吉野開墾社って、家禄を失う士族の授産を見据えた先進的な試みのように説明されることが多いけど
実態はぜんぜん違うからな

西郷の下野に従って東京の政府軍を辞めた者たち(桐野利秋をはじめとした150名の元薩摩藩士)が自活するために
作った宗教コロニーみたいなもんだからな

吉野開墾社が設立されたのは明治6年?であり、明治9年に士族が秩禄処分で禄を失っていく以前のことであり
その当時は薩摩の地元の士族たちは禄も貰っているし、べつに生活に困ってない

政府軍で高給を得ていた西郷一派の武士としての家禄がどうなっていたか知らんが
たぶん権利は喪失していただろうから
その西郷一派の授産のために作られたのが吉野開墾社であり
士族一般の授産のために作られたわけではないのだ
西郷個人の都合で作られたものである
(明治9年以降は一般の士族授産の目的も付加されたかもしれないが)

西郷が吉野開墾社をテーマに作った漢詩が残っているが
なんか早起きして畑仕事すれば心身が健康になるとか
そういう次元の話で、中でやってることは郷中教育的な、
ようは薩摩流の精神修養で若者を洗脳していく人材教育だと感じた