西郷信者はどうしても、西郷が津田を見出したってことにしたいらしいが
津田は紀州にいた頃から超有名人であり
津田が独自に紀州で編成した西洋式の徴兵軍はすでに2万人の規模であった

視察者は全国から集まり、薩摩からは村田新八の前に西郷従道が視察してるし
米英仏は公使自らが和歌山まで足を運んでいる
はっきり言って西郷は津田ブームに便乗しようとしたミーハーなオッサンにすぎないよ

一説によれば西郷は津田に感銘を受け、津田を首相の地位に就けようとしたと言われるが
実際には首相どころかくすぶって終わってるという、西郷伝説のいつものパターン

言われていることと史実がぜんぜん違うという

この逸話が本当だとしたら、西郷さんは津田という英才をまったく生かせなかったわけで
むしろ不名誉なことだ