■西郷隆盛死亡場面の時代的変遷2

明治42年〜 「西南記伝」が"黒龍会"より出版され
その中で描かれた死亡場面がこれ以後通説となる。

『西郷以下残された薩摩士族全員が一列になり最後の突撃をする。西郷は政府軍に脚を撃たれて負傷。
最初は「まだまだあ」と気張っていたが動けなくなり「晋どんここらでよか」と言って
地面に跪坐。厳然と襟を正し、東の皇居の方角に深々と頭を下げ、別府晋介に首を刎ねさせた。』

ちなみにこの死亡場面が真実であるかの根拠は「西南記伝」でとくに示されているわけでもなく、
西郷の最期として講談調に説明されているだけなのですが
死に方が潔く立派で"大西郷"の最期としてふさわしいと思われたのか
これ以後の西郷顕彰本や一般向けの歴史本では
この死に方があたかも真実であるかのように引用されるようになり通説化した。

ところでこの本を世に出した「黒龍会」とは何者なのでしょうか?
Wikipediaによると1901年に東京で設立された右翼団体の大手で「大アジア主義」「大東合邦論」を展開した。
大物運動家や政治家も多く参加し、西欧に対抗するために日本のアジア進出を唱えており
対露開戦を主張。玄洋社(右翼団体)の海外工作センターといわれた。
ようは西郷が生前感化された「東アジア団結」思想の流れをくんでいるのが黒龍会や玄洋社であり
プロパガンダとして西郷隆盛を神格化する意図があったのだと思われます。

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中二感全開の黒龍会シンボルマーク