0539名無しさん@お腹いっぱい。
2018/10/27(土) 00:15:47.36ID:XvwYOcrf0昭和52年にも西郷死亡場面についての論争が起こり
「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は、桐野利秋による西郷銃撃を目撃した“城川”なる人物の実在が証明されていないとし、
この目撃証言を奇説として退けた。
また昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野銃撃説は否定されました。
架空の人物による、架空の目撃証言だと言うのです。
ところがその数日後に同じ南日本新聞で入佐俊興氏が、昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として「別府晋介附従卒城川市二」との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されたのです
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さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
何事か話しをしていた。
城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
“今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
“わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐しています。
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