■結論から言えば西郷は史実として西南戦争を積極的に主導していた

しかしいまだ「西郷は勝つ気など無く、自ら士族とともに滅ぶつもりでその身を若者たちに捧げた」
と主張する人は少なくない

その根拠として西郷が3月12日熊本から鹿児島の大山県令に宛てた手紙で
「私どもは、はじめから勝敗を問題にせず、一つの条理に斃れようとの決心なのです」と書き送った史実がある
なるほどこの一行だけ見れば西郷の真意は勝ち負けではなく、何かの条理のためにあえて滅ぶつもりだったと解釈することもできる

しかしこの一行、西郷を神格化したい人間がそこだけ切り取って印象操作してるだけなのだ

同じ日付の手紙で西郷は「全力を熊本攻略に注いでいる。熊本が落ちれば全国の士族が蜂起する」
「これより他に策は無い。熊本を包囲して政府の援軍をおびき寄せ、これを打ち破る」
「そのために我が兵を熊本に集中させている。戦いは峠を越えている。六七分のところまで勝ち進んでいる」
などと戦意旺盛であり、熊本集中が西郷から出た戦略であったと思えるようなことまで書いている。

参考(https://saigou.at.webry.info/201201/article_3.html