山一證券の二代目社長は太田収という。岡山出身だが会津藩家老・手代木勝任の孫である
戦時中の株の暴落、とくに鐘紡株に目をつけて大博打にうってでて
失敗して青酸カリで自殺した壮絶な人間である

太田の後も山一證券の博打体質は続き、大蔵大臣の田中角栄の特融で聞きを乗り切るも
法人相手の持金でやりたい放題やって破綻した

東北人は他人の種銭で博打をして破滅するから困る