明治維新とは何だったのか?
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アマゾンにあった原田伊織という人の本の
タイトルを見るに江戸幕府による工業化、近代化という可能性を主張する
人のよう。
未読でありさらに自分には、その論の是非を述べる学識もないけども
ここは素人でも放言することを許される場であろうし語らせてもらおうw
思うに徳川幕府には、欧米列強の干渉がある最中に国内の不満や反対を
排し全国的に工業化、近代化を実行できるほどの政権に「強度」は無かった
と考える。
近代国家確立のためには、相応する専門能力のある人材の配置を用意に
行えるよう重層的身分制度と資源の適切な投下が行えるよう領民に
寄生する身分(大名・武士)の解体は不可欠だったろう。
これらを幕府が行うにはあまりにも幕府は、脆弱だったのではないか?
ペリー来航において幕府は、諸大名や市井にすら意見を求めたり
(権威が低下し倒幕運動に発展する遠因の一つになった)さらに諸大名の
反感を恐れ参勤交代を緩和したのを見るとそう思う。
片や新政府の版籍奉還要求に対し各藩諸大名は、言われるがまま城を
明け渡し東京に参府した。
事実上の藩主として薩摩藩に君臨していた島津久光ですら毎夜花火を
打ち上げ抗議の意を表すしかなかった。
禁門の変を機に緩和した参勤交代を旧に復しようとした幕府に対し
各藩は従うことを拒否したのとは雲泥の差がある。
なぜこの違いが生じたか?
惰性に安住し、お人好しの幕閣で運営される幕府とちがって
ファナティックな情熱に突き動かされている”テロリスト”によって
構成されている明治新政府に緒大名�ヒ士は恐れを抱き抵抗する気も起らなかったのだろう。
この恐怖、蛮勇は幕府にはなかったものだ。
これが政権の「強度」といえるのではなかろうか? やっぱり鳥羽伏見で慶喜が大坂城から逃亡したのが最悪手だったな
あの時点で薩長奸賊を討つと宣言して全面戦争に入れば紀州も尾張も彦根も
薩長になびくことなはく戦いに勝てただろう
慶喜には大政奉還後の新体制プランもあったようだが、その実現に向けて
ちゃんと戦うべきだったわ
結局度胸がなかったんだろうなこいつは あと幕末で許せないのが勝海舟だわ
こいつは中身なんもない口だけのやつだろ
維新後の手柄とかも全部の自分のおかげみたいに申告して
そうじゃないだろって指摘されるようなクズ中のクズ
慶喜と海舟というゴミ二匹が結託したことによって
江戸時代という日本人にとって最高の時代が終わってしまった あと幕末で惜しいのが松平容保
この人は会津戦争で死ぬべきだったわ
そうすれば義に死すとも不義に生きずを実践した人として歴史に残ったのに
無駄に明治を生きてしまったために評価下げたな 幕初は、政治責任を大名に追求するのが普通だったが幕末になると
大名間の婚姻関係やらからみあって敵の殿様は自分の殿様の親類なんて
状態になり処罰しがたい対象になっていく。
最たるものは、実母は皇族の徳川慶喜で薩長と言えどさすがに
詰め腹切らせる対象じゃなくなっている。
欧州で王族が特別な地位を形成していたのに似ている。
あと、長年の参勤交代の成果か殿様の権力の形骸化がすすんで
家老などが主導することが増えていたってのもあるな。 今からでも明治政府の横暴にはできるだけ対処していかないといけない
まずは福島県→会津県、新潟県→長岡県、山形県→庄内県に改称して
それぞれ県庁所在地も会津若松、長岡、鶴岡に変えるべき 最たるものは東京を江戸に戻して天皇を京都に還すことだ
歪んだ日本を正していこう 日の丸も捨てていい
当初幕府が考えた中黒旗を新生日本の国旗にすべき
薩摩の意見を取り入れたところから日本の間違いは始まった >>104
同意。おれはそれを「NHK史観」と呼んでいる。(世間的には司馬史観だな。)
アレだ、勝海舟と坂本龍馬が明治維新をやった、という歴史観。最近ではこれに慶喜や天璋院も入っている。 司馬遼太郎と大河ドラマは日本人に謝った歴史認識を与えた。
まあ、原田伊織などは今はやりの日本版Qアノンつーところかな。 >>97
なぜ水戸から将軍を出したのがダメなのか
水戸は代々儒教に凝り固まった藩だからである
儒教に凝り固まり2020年現在でもろくな民主主義を実現できていない中国や半島を見よ 東北遊歴前の吉田松陰さん
「水戸・仙台・米沢・会津など文武盛んの由」
水戸で水戸学に魅了された松陰さん
「水戸にて逢ひ候人は皆さるものなり」
帰国後に旅の感想を漏らす水戸ヲタ松陰さん
「そもそも快の最も忘るるあたわずとなすものはひとり水府の士のみ」 令和なんて改元すべきだけど一世一元の制のせいでそれもできないな
江戸時代の方が優れていたわ
一世一元の制とか廃止すべき
天皇の名前なんて後から適当に決めればいいだけ
ずっとそれでやってきたんだから しかし江戸城をよくここまで破壊したよな
中国共産党だって紫禁城の破壊なんてしなかったのに
明治政府がいかに基地外だったかの証左 江戸城西の丸には歴代将軍の霊廟である紅葉山東照宮があったのにそれまで破却したのだから恐れ入る
神社破壊って日本人の感覚じゃねえよな
ほんと長州人て朝鮮人だろ いくら戦争で燃えたとはいえ、増上寺の霊廟跡を再建するでもなく
保存するでもなくホテルにするとか罰当たりにも程がある
ほんと明治以降の政府って基地外だわ 破壊しかできない薩長
明治で制度やモノを作ったのは肥後土佐と旧幕臣
法を整備したのは江藤新平だが、その江藤を法治国家ではありえないインチキ裁判で梟首にした薩長 明治時代の廃城令より数十倍もの数の城を
一国一城令で大量破壊してた江戸幕府のほうが糞だろ 明治政府ってほんと売国だよな
公事方御定書とか江戸時代から日本にも刑罰法はあったのにそれを発展させるでなく完全輸入ものにして日本の法体系を断絶させやがった
結果現代では江戸時代以上に悪人を裁けない世の中になってしまった >>121
江藤新平は、江戸時代の公事方御定書の恣意性を排して刑法を作った
ところが、きわめて恣意的な裁判で裁かれ、梟首に処されるという皮肉
法律は解釈運用でどうにかするという大久保が糞すぎた ◆日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた山本五十六の犯罪行為
@1934年、岡田首相他、海軍上層部と結託し条約継続の予備交渉で
戦艦を全廃すべきだと無茶苦茶な提案をし、交渉を意図的に破綻させ
日本を軍縮条約から脱退させた
A1937年、海軍軍縮条約から脱退と同時に、対米戦争用の兵力を
大幅に拡大するマル3計画、マル4計画を作成
航空機を主力とした機動部隊、地上航空隊の新規配備。山本五十六が主導
B1937年、日中全面戦争を勃発させるため大山事件の陰謀を企てる
大山中尉に自爆突入させ、海軍省記者クラブを使い、そのことを宣伝
それを口実に海軍は独断で中国空爆を強行(渡洋爆撃)
日本海軍は上海、南京等、都市に対する無差別爆撃を実施。
そのため日本は世界中から非難を浴びた
・ルーズベルト大統領による隔離演説
・国際連盟による都市無差別爆撃に対する対日非難決議採択
・国際連盟による、日本の不戦条約違反、9ヵ国条約違反、侵略戦争を非難する決議採択
・9か国条約会議でも同様の決議。
国際社会は中国支援決定。対日経済制裁を是とする決議採択
連合艦隊へ移動した山本に代わり、井上成美が主導し
海軍は重慶に対する、さらなる空爆強化の計画を作成。航空機を大幅に増強。 >>122
江藤みたいな有能は人物を廃して独裁しようとしたのが薩長政府よな
大久保を殺した島田一郎は義士として讃えられるべき 江藤らも薩長を排除して主導権を握ろうとしたのもこれ事実
対立の構図を煽ったのはとにも肥土からであるのは明確な事実
お互いが排除しようとして対立した結果、江藤らが政争に負けただけの話
倒幕維新を成し遂げる原動力になった薩長のポジション
一方、先進開明知識豊富な土肥
対立すべくして対立した現実
たまたま薩長が巻き返せたにすぎない
逆の立場も大いにあり得たことを忘れないようにな もう1回徳川にセイケン移したほうが日本よくなるんじゃない?
カス政治家しかいないもんな アメ公の属国だもんな現状 >>89
日韓協約を強引に締結させて韓国併合の功績で爵位まで貰らい、朝鮮併合の三人男と称された会津出身の林権助は
実はすり替わった長州人だったのか。 明治維新の構想は、それより前に徳川慶喜のブレーン西周と小栗忠順が持っていた
小栗は農軍の構想を含む軍の近代化、横須賀製鋼所の建設を手がけていた
慶喜が小栗を切ったこと、保護せずに放置して長州のゴロツキに小栗が殺されたのは痛恨事
小栗と対立していたとされる勝海舟でさえ、西郷との会談の下交渉を務めた山岡鉄太郎を小栗の下へやって、江戸城引き渡しへの付帯条件につき意見を聞いているぐらいだし
小栗が生きていたら、大久保はいずれ重用していたと思う そもそも日本の歴史教育は出鱈目すぎる
黒船が急に現れて幕府はてんやわんやみたいに教えるけど大嘘
ジェームズ・ビドルが1846年に訪れて既に開国を要求している
それで上手くいかなかったから今度はペリーが砲艦外交で強行手段をとった
幕府もオランダや琉球から情報は得ていてペリー艦隊が来ることなんて当然しっていた
幕府が無能だったってことにしたいからこんないい加減な教育が行われているのだと思う
本当に薩長とその系譜の自民党の罪は重い こういう出鱈目な教育を真に受けたやつが
徳川幕府のままだと日本は植民地になっていた
とか
明治維新が日本を植民地化の危機から救った
とか
信じちゃってるんだろうな 実際には江戸は17世紀には水道が敷かれる世界の最先端都市だったし
大坂の堂島米会所では世界で最初と言われる先物取引が成立していた先進社会だったし
庶民の識字率は世界最高と言われるレベルで教育が行き届く先進社会だったのにな 司馬遼太郎とか今読むと笑っちゃうよね
誠に小さな国が開花期を迎えようとしている−とか(笑)
まあ昔は江戸時代の知識ってその程度だったのかもしれない
薩長支配が色濃く残ってた時代のなごりがあったからしょうがないのかもしれないが
しかし現代人はもっと正確な知識を身につけないといけないよ >>132
江戸幕府が正常なら、長州なんかに負けるわけないだろ
薩長を抑えられず戦ってで負けるとはw
江戸幕府がいかにダメ組織だったかを証明している 阿部正弘がミスしたんだよ この人、すごく評価高いけどさ
ペリー来航でわざわざ天皇の勅許をもらうということをしたり、意見を広く徴したために尊王攘夷の思想が巷にあふれてしまった
幕府が倒れるきっかけを作ったのは阿部だよ >>133
偽錦の御旗を見ただけで思考停止して江戸に逃げ帰った慶喜を将軍にしたのが全て
そもそも、本気で勝とうとするなら、ロッシュの下で訓練された近代化軍を送り込むだろ
江戸へ逃げ帰った後も、小栗の献策の通り箱根で足止めして、駿河湾から海上砲撃すれば勝てたのに、ビビって拒否したチキン慶喜のせいで降伏だったもんね >>135
一番ダメなのは勝海舟だろ
幕府がこの口先だけの男に頼ったのが間違い
いずれにしても薩長に負けるようでは
江戸幕府には海外と渡り合って日本を発展させるような能力は無いということ >>134
そうそう。ドラマとかだといつも名宰相みたいな描かれ方するけど
江戸幕府崩壊のきっかけって大体こいつが作ってんだよな
勝を登用したのもこいつだし 江戸時代には幕府という言葉は無かった。仮にあったとしても一般的であったとは思えない。
明治期に、国史学に於いて、当時の政府と武家政権下の政府を対比し、後者が幕府と規定されたのが始まり。
幕府とやらの批判は誹謗中傷も含めてOKだったが、時の政権‐政府批判は御法度だった。
幕府が崩壊し、新政府が樹立された、という国史学上のストーリー自体がおかしい。
せめて、武家政権が崩壊し新政権下の政府に移行した、とでも規定すべき。混乱を避けるために。 1846年にビドルが開国要求に来て、日本が降伏したのが1945年
つまり日米百年戦争だったんだよな
それに日本は負けた
つまり明治維新は失敗だったんだよ >>139
昭和の一時期だけ暴走しただけだろ
日本を暴走させたのは山本五十六を中心にした
賊軍の勢力じゃないか
賊軍勢力が軍部で主導権を握ったとたんに、日本は暴走し破綻した >>140
違うよ
明治維新などなくて、徳川慶喜が西周、小栗忠順の構想の通りにフランス、アメリカとの交易を中心に経済強化、近代化を進めていけば、満州国を作って中国に深入りして、対米戦争を起こすこともなかった >>141
だから江戸幕府にそのような能力があるなら
薩長ごときに負けないはずだろ
薩長に簡単に負けるような幕府には
政治力も外交能力も何も無い、だめ組織だということ
そんな無能組織に何ができる?w >>141
それに対米戦争を起こしたのは賊軍勢力の山本五十六
日中戦争もこいつの暴走
賊軍が権力を握ると、ろくなことがない。
国を亡ぼす。
史実がそれを証明している >>141
小栗忠順は幕府で、相当な軍事力の強化、近代化をやったそうだが
なんでそれで薩長に勝てないんだ?
普通なら圧倒的に幕府が有利だったはず。
それで負けたのだから、勝海舟ともども
幕府は無能ぞろいだったということ。 >>144
鳥羽伏見に小栗が強化した陸軍を派遣しなかったからだよ
しかも小栗の言う通りに箱根で海陸からの挟み撃ちをすることもせずに降伏
慶喜チキン将軍と薩長のスパイ勝海舟のおかげ 徳川慶喜というよりも水戸藩が幕府を滅ぼしたんだよ
井伊直弼を殺しておいて、明治維新まで藩内抗争に明け暮れて何の役にも立たない無能藩 >>146
いくら幕府に最新の兵力と良い人材があっても
それを生かせない組織なのだから、江戸幕府には望みは無い。
自力で改革なんかできるわけがない。 >>128
たしかに間違いなく小栗は有能だが
徳川が明治新政府より早く廃藩置県ができるわけない
つまりいつになっても中央集権化できず封建体制のまま
徳川は近代化徐々にしいけるだろうが
他の大名たち全員ができるわけもなく
日本全体の近代化とはならない
税収入も依然大名個別のままだし!まとまった金での運用ができん
大名により軍隊の企画、装備、運用、作戦、戦術、指揮はすべてマチマチ
かたや最新式のライフル装備してる部隊とかたや弓、槍、刀に鎧の部隊がごっちゃになってまともな組織戦闘などできるわけない
そうこうしてるうちにロシアの南下がはじまり、なんの抵抗もできず日本は飲み込まれておしまい >>130
判ってるやつなら徳川ではロシアの実力行使に対応も対抗もできないから言ってる
もちろん知識がちゃんとないやつは薩長史観で言ってるだけだろうが >>131
その先進文化を活かせないお粗末な軍事力しかなかったということ
江戸初期には世界に対して武装中立ができる実力があったのに
国を閉ざし、米本位制による不安定で国内だけでまわす経済にしたがゆえに頭打ちの右肩下がり軌道をつくったすべてはそのツケ
もちろん250年の平和をつくった功績はデカいが、時代によりその役目も終え終焉のときをむかえたということ >>132
原田伊織とかのまったく未来を見据えてないその場、その瞬間だけの朱子学的動議による反薩長親徳川感情論も爆笑だけどな
要はバランス
偏った知識に感情など入れたら本当の歴史など判らん >>133
薩摩や長州のようになりふり構わず幕府が本気出せば勝ててたのだよ
政権担当組織としてはダメだけど
軍事力に関してはダメどころか当時の日本最大最強組織である
じゃあ何故負けたのか?
これを理解し判るまで細部までちゃんと勉強してないと判らん
簡単にそう言い切るのはステレオタイプ的な知識と勉強しかしてないということ >>134
たしかに阿部が諸大名に政策や意見を求めたことで先例秩序が破壊され、ずっと政治の蚊帳の外にパージされてた外様がここぞとばかりに政治参画を謀ったことで混迷した
つまりそれはこの時点で幕府には幕府単独の判断で問題解決できる実力も経済力も軍事力もなくなってたということである
これは阿部でなくとも遅かれ早かれなったこと
それならその弱体化の原因をつくった起点にこそ責任がある
すべては徳川家斉と松平定信のせいである >>135
慶喜は絶対に天皇に逆らわない、逆らえないのはちゃんと慶喜の生い立ちから勉強して知ってれば判るはず
薩摩には本気で勝とうとしたけど(それでもまだなりふりの構わなさからみると100%ではないが)、天皇に本気で勝とうしたわけでない
近代化した幕府陸軍も投入してるが
指揮官不在のために本気で衝突せず引いてる
小栗の箱根会戦案もやれば勝てただろうが
官軍となった薩長軍に恭順する藩が続出でこの戊辰戦争が長引くのは必定
史実で既に局外中立を決め込んでたはずの列強が江戸総攻撃前に中立を破棄して軍隊介入する旨ちらつかせてるのに長引いたらどうなることか
知識もなく額面通りを見ただけならそらヘタレと解釈されて当然かもしれん
が、慶喜の人と成りを知り、今まで外交を取り仕切っていた経験と実績
そしてなにより慶喜自身が幕府の限界を判っていたからこその英断である
長きに渡る歴史と伝統ある徳川幕府を己の代で潰す決断をしたその心中、察して余りある
混乱、動乱をソフトランディングさせた功績ははかり知れない >>136
幕府が頼ったのでなく慶喜が頼ったのが正解
慶喜の意で左遷失脚させてたのを戻してこの事態収拾を任せた
以外に関しては激しく同意 >>138
政府批判はご法度というがこれまったく違うよ
言論の自由あるし、ずっと明治新政府は批判にさらされてる(例外として共産主義言論またそれらの人らの批判はご法度だった)
政府批判がご法度になるのは昭和に入り治安維持法改定になって以降
あとのことはほぼ同意
600年以上も軍事政権が断続的に日本を支配してそれが終焉むかえたことは特筆するべきよね >>139
ロシアとの攘夷戦争に最終的に勝利してるのに明治維新の失敗はない
アメリカとは開国以降最大の友好国である
日本がアメリカとの対決を強いられるようになるのはハワイ併合とフィリピン植民地化から
つまり半分の50年戦争ということ >>141
そのとおり近代化しても所詮近代化できてるのは徳川だけで日本の大半以上ろくな近代化もどきないでいることなるのは判らんのかな?
また中国(清)がガタガタでロシアの南下を抑えられないから安全保障上どうしても満州には日本が対応するしかないのだよ
そんな机上の空論で語られる簡単な話でない >>143
賊軍勢力が云々というのは判らんでもない
が、日中戦争が山本の暴走というのは笠原とかの反証不能なトンデモ本に影響されすぎだな
そこまで山本は有能でもキレ者でもないただの凡将 >>144
運用となりふりのの構わなさとしか言い様がないなそれはw
有能だといえど組織全員が有能であるかどうかはまた別の話
その担当者がたまたま無能だったなんて話よくあること
とくに徳川みたく巨大な組織ならあるあるかと
徳川だけでなく薩長側だってもちろん無能はいるわけで
こんなもんお互い数え上げればきりなく出てくる >>145
鳥羽伏見の戦いに近代化幕府陸軍は派遣されてますがw >>146
まあ、真人間ていつの時代もバカをみるのよね〜
直弼は真人間すぎた
水戸はインテリ集団だからね
みんな頭良すぎて内ゲバはじめるのよ
共産主義者のそれと一緒 >>157
樺太千島全部獲られて何が最終的に勝利だアホか >>164
攘夷戦争を第二次世界大戦とごっちゃに考えてなんも理解できてない無知がアホすぎて草 >>165
何が攘夷戦争だよw
明治維新と第二次大戦は直線で繋がってるわ >>166
やはり程度の知識しかないなにも知らないド無知で草
お粗末すぎ
今時直線で繋がってるとか己で無知晒して誰得なのこれ? >>167
直線で繋がってるとか浅知識しかないから単純思考で薩長批判、徳川賛美なんだろコイツら
薩摩閥なんて早々に消滅したし、長州閥も実質山縣が生きてる間だけで、しかも山縣いても進むにつれ勢力も急進力も圧倒的に他に追いつかれてるのに
後継の宇垣閥など最早長州閥と呼べるものでなく更に政治に入ることも中々できない
そもそも長州閥追い落としたのが賊軍派閥の一夕会で
それら主導で太平洋戦争に突入させていくのに直線とかまともな知識がちゃんとあればこんなことは言わないよな
結局ちゃんと勉強もせず知識もない奴が原田みたいなパヨク本読んで感化されて知った気でいるという恥ずかしい奴ということよね 明治維新否定をしてる奴らの理由は薩長の拒否と批判であることはスレ上から読めば大体わかる
大概の言い分は薩長が汚い手を使って幕府を打倒し政権を強奪したと
ま、そんなとこだ
じゃあどういうかたちがお望みだったわけ?
幕府が現状維持存続したかたちによる近代化なのか?
大政奉還後の徳川が構想してた諸侯会議による政権運営実現による近代化なのか?
そのまた真ん中の幕府存続にての政治構造改革による諸侯会議発足と近代化なのか? >田畑勝手作禁止令(たはたかってさくきんしれい)は、江戸時代に幕府が出した農民統制の為の法令の一つ。
>作付禁止令、田畑勝手作りの禁令とも呼ばれる。
>江戸幕府は石高制を採用して、米主体の経済政策(農本主義)を基本としていた。このため寛永20年(1643年)、
>この法令によって米を作るべき田畑において木綿・煙草・菜種等の商品作物を栽培することを禁止した。
>この法令自体が最終的に廃止されるのは、幕府滅亡後の明治4年(1871年)のことであった(田畑勝手作許可)。
徳川家光ってアホなのか? 家光公は鎖国と参勤交代制度を確立し泰平の世の礎を築いた英雄だろうが
こんな大昔の法令にケチつけて何が言いたいんだか 明治維新を無条件に礼賛するほうがどうかしている
近代化は必要だし必然だったが、薩長による近代化でよかったのか
もっとマシな近代化はなかったのか
結局敗戦という帰結になったのだからどこに問題点があったのか
検討して反省するのは当然の行為 明治体制下の何が駄目って統帥権とか言って軍事権を独立させたこと
そのため軍部大臣現役武官制につながりそのため軍部の意にそぐわぬ内閣は倒閣することも組閣させないことも可能になった
軍部が暴走したのはたまたまでも一時的でもなく必然だったと言える 明治体制下では総理大臣の決め方も結局明文化されず(笑)元老が決めていた
(元老が西園寺公望一人になってからは重臣会議に引き継がれたが)
結局一部の重臣たちが決める方式なのは最後まで変わらなかったので明確な法治国家とも言えない人治国家だった
一時政党与党の党首が総理になる時代があったが、それは元老がそれがふさわしいと判断して決めていただけで法律ではなかった
そのため5.15事件後は政党の党首が総理はふさわしくないと元老(西園寺)が判断したため政党与党は総理になれなくなった(笑)
そして軍部の意向にそう人物しか総理になれなくなり敗戦まで止まらなかった 明治維新とは結局こんなポンコツな国家体制しか作れなかった
一世代目が生きているうちはなんとかなったのだろうが、作った世代が死んでポンコツな制度だけが残ったらまともな国家運営が行えず即敗戦になった
これを礼賛しろって言う方が無理がある >>172
徳川による近代化では薩長のそれにはるかに及ばず事足りないことは周知の事実
薩長による維新を無条件礼賛などしてる奴などいない
徳川と薩長を比べマシな選択をしたというだけのこと
それに対して徳川に回帰して無条件に賛美してるほうがどうかしてる
アメリカとの総力戦とその敗北をすでに力を失い政権から遠ざかりかなりの時間が経過してる薩長のせいにするのはあまりに短絡的でただの責任転嫁にすぎない
では訊ねよう
その言ってるもっとマシな近代化とは具体的になにか?どういうものなのか? >>173
近代国家というものに対しての知識も理解も乏しい奴しかいない生まれたての日本において
なにもわからない奴が軍事に介入するのは危険であると山縣が政治と軍を切りなはした
案の定、山縣の読みどおり国会は開設して10年くらい与党勢力が負けまくり野党がやりたい放題
朝鮮を攻めろ!ロシアと戦争しろ!税金は安くしろ!戦争はどんどんやれ!
こんな奴らが軍事に介入できてたら日本など何個あっても滅亡したろ
初期の段階では政治と軍を分けて正解
ただたしかにこれは近代化国家としての実績と経験を重ね慣例化しある程度成熟したときにシビリアンコントロールに以降すべきことだったな
攘夷戦が一応の完遂を遂げた日露戦争から世界の大国になった第一次世界大戦くらいの期間で移行すべきだったと結果論として感じる
現役武官制を利用して倒閣されるよになったのは昭和に入ってから
現役武官制も元老が健在の間は倒閣に利用それることもなかったまともな運用がなされていた
し、先例踏襲の慣習法による運用は当たり前のようにヨーロッパ列強国では行われていた事実からもこうもアホな運用されるとは思いもしなかったであろうことは推測し察する
現役武官制を復活させたのは広田であり
まともな運用されていたのに政争の道具に統帥権を引っ張りだし、統帥権に自我を吹き込み目覚めさせたのは鳩山らである
攘夷戦を知らん世代が積み重ねてきた慣習をその無知蒙昧さから己のが闘争のために利用し壊した結果である
そこにはすでに薩長の威光も力もなく離れたところにある
すべては第一世代の薩長を排除した無知蒙昧で傲慢になった第二世代の連中の諸行である 大政奉還後の国家構想 wikiより
西洋の官制に倣う三権分立が形式的にではあるが取り入れられ、行政権を公府が(暫定的に司法権を兼ねる)、立法権を各藩大名および藩士により構成される議政院がもつこととしており、天皇は象徴的地位に置かれている。
公府の元首は「大君」と呼ばれ、徳川家当主(すなわち慶喜)が就任し、上院議長を兼ね、下院の解散権を持つものとされていた。
軍事については、当面各藩にその保有を認めるが、数年後には中央に統合するものとされた。
その他、従来の諸大名領を現状のままとし、公府の機構は幕府のそれとの関連が意識されているなど、極めて現実的な計画であった。
これを見る限りでもで薩長主導のカルト国家よりマシな近代化案だな
薩長が小御所会議でクーデターしなければこれがベースの近代化になっていたのだろう
少なくとも史実の明治時代よりも日本全国から優秀な人材を取り入れた時代になっていたであろう 薩長藩閥の弊害として出身者が西南雄藩に偏りすぎたため北方軽視になり樺太放棄という愚策に繋がった
また出身地に近い台湾朝鮮に傾倒することにもなった
薩長肥の藩閥以外で総理になったのは1918年の原敬が最初
それまで薩長藩閥以外の人間は政治権力を得ることができなかった
その間に日韓併合までやられて日本はメチャクチャにされた
薩長藩閥の罪は重すぎる 吉田松陰は幽囚録で言っている
威力をもって朝鮮に質を納めさせ、貢を奉らせていた古代の盛時のようにし、北は満州の地を分割し、南は台湾とルソン諸島を治め
と。この愛弟子たちが権力を握ったために近代日本の国家目標はこのように性格付けられてしまった
徳川主導の近代化であればこんな日本にならなかったろうにと悔やまれる >>173
西、小栗らが唱えたように幕府主導でフランスを手本にした緩やかな民主化をすれば良かったんだよ
明治維新で一番駄目なのはプロシアを手本にし憲法は欽定憲法、軍事権のチェック機能は実質ゼロという片輪の制度を作ってしまったこと >>177
明治憲法による軍の位置づけが駄目だから、シビリアンコントロールは憲法改正しないと無理だったんだよ 憲法改正が恐ろしく面倒なことぐらいわかるだろ
明治維新のときの制度設計に重大な誤りがあるんだよ >>176
明文化云々とか一体憲法をアメリカのナニとどこから学んできたのか?w
アメリカは人種民族雑多で建国して日も浅く、歴史的、伝統的、価値観も慣習もまったくのバラバラなので明文化憲法となった
一方イギリスは歴史と伝統、慣習に基づいて不文律憲法である
これは今現在においてもそうである
ヨーロッパ型憲法は基本的にこの流れをくみ
元々君主がいて臣民がいるヨーロッパ諸国と国体の似ている日本が手本とした理由もそれであり
明文化されてないことに拘るなど憲法学、公法学の勉強が足りない証拠
総理大臣および内閣に関することは附属憲法である内閣職権及び内閣官制にて規定してるので帝国憲法には明記されてないことも知らないとは…
憲法とは本文と附属法と憲法習律のこの3要素で構成されるものである
条文がすべてであるような言い方はただの無知の恥ずかしい発言である
日本においては帝国憲法と同時にすべての附属法の制定と配備もあり
重複するようなものや後年に施行される予定のものはくみこまれていない
本文中にないものは附属法で補足され、さらに憲法習律、つまり運用にて補完する
近代憲法として当たり前を踏襲してるのに明文云々は片腹痛い
日本の変革上、維新に功績のある元老達の意見は無視はできない
これは逆に徳川が薩長を駆逐した世界におていも徳川の意見が無視できなくなるのと一緒である
完全なる市民革命でないかぎりこれはいつまでもまとわりつくもの
天皇に政治的失策の責任を負わせることもできないのでこのシステムが憲法習律となったことも知らないといけないだろ
このような状態でも世論を無視した政治などできんから大隈や原なども総理になってきたのにナニをいってるのか?
憲政の常道のことを言ってるようだがこれこそ素晴らしい憲法習律であることを知らないだけだねそれは
憲政の常道が515で崩れたのは、先ほど言った世論を元老が無視できないということの完全な裏返しであることをまったく理解できてないという証明にもなるがw
更に言えば
憲政の常道が崩れても昭和20年の敗戦まで国民に不信任された内閣は内閣にとどまれない憲法習律はちゃんと残って守られている
あの東條内閣ですら総辞職してるのだ
今現在においての運用となんの違いがあるのか? ごめん
アンカをミスったわ
>>174
明文化云々とか一体憲法をアメリカのナニとどこから学んできたのか?w
アメリカは人種民族雑多で建国して日も浅く、歴史的、伝統的、価値観も慣習もまったくのバラバラなので明文化憲法となった
一方イギリスは歴史と伝統、慣習に基づいて不文律憲法である
これは今現在においてもそうである
ヨーロッパ型憲法は基本的にこの流れをくみ
元々君主がいて臣民がいるヨーロッパ諸国と国体の似ている日本が手本とした理由もそれであり
明文化されてないことに拘るなど憲法学、公法学の勉強が足りない証拠
総理大臣および内閣に関することは附属憲法である内閣職権及び内閣官制にて規定してるので帝国憲法には明記されてないことも知らないとは…
憲法とは本文と附属法と憲法習律のこの3要素で構成されるものである
条文がすべてであるような言い方はただの無知の恥ずかしい発言である
日本においては帝国憲法と同時にすべての附属法の制定と配備もあり
重複するようなものや後年に施行される予定のものはくみこまれていない
本文中にないものは附属法で補足され、さらに憲法習律、つまり運用にて補完する
近代憲法として当たり前を踏襲してるのに明文云々は片腹痛い
日本の変革上、維新に功績のある元老達の意見は無視はできない
これは逆に徳川が薩長を駆逐した世界におていも徳川の意見が無視できなくなるのと一緒である
完全なる市民革命でないかぎりこれはいつまでもまとわりつくもの
天皇に政治的失策の責任を負わせることもできないのでこのシステムが憲法習律となったことも知らないといけないだろ
このような状態でも世論を無視した政治などできんから大隈や原なども総理になってきたのにナニをいってるのか?
憲政の常道のことを言ってるようだがこれこそ素晴らしい憲法習律であることを知らないだけだねそれは
憲政の常道が515で崩れたのは、先ほど言った世論を元老が無視できないということの完全な裏返しであることをまったく理解できてないという証明にもなるがw
更に言えば
憲政の常道が崩れても昭和20年の敗戦まで国民に不信任された内閣は内閣にとどまれない憲法習律はちゃんと残って守られている
あの東條内閣ですら総辞職してるのだ
今現在においての運用となんの違いがあるのか? >>175
>作った世代が死んだら死んでポンコツな制度だけが残ったらまともな国家運営が行えず即敗戦になった
ポンコツな制度なら作った世代もまともに国家運営などできんのにナニいってんの?
まったくのイミフ
作った世代(薩長)が死んでポンコツ(賊軍勢力)だけが残ったらまともな国家運営が行えず即敗戦になった
コレのほうがしっくりくるがw
そこまで言うならじゃあポンコツでない制度とは具体的にどういものか教えてくれよ
礼賛できる制度とは? >>178
具体的なもっとマシな近代化のアンサーがwikiコピペで草
あれだけ豪語しておいて自分の意思意見ないのかねぇ?w
>西洋の官制に倣う三権分立が形式的にではあるが取り入れられ、行政権を公府が(暫定的に司法権を兼ねる)
初期明治政府でもまったく同じですがw
>立法権を各藩大名および藩士により構成される議政院がもつこととしており
つまりコレ封建体制が続くということですがw
更に一番大切な予算先議権は?w
>天皇は象徴的地位に置かれている。
運用として明治政府と同じですがw
公府の元首は「大君」と呼ばれ、徳川家当主(すなわち慶喜)が就任し、上院議長を兼ね、下院の解散権を持つものとされていた。
>実質どころかほぼほぼ幕藩体制の継続ですがw
>軍事については、当面各藩にその保有を認めるが、数年後には中央に統合するものとされた。
数年後っていつですか?
御親兵は明治4年早々に設立してますが
当面軍事力の保有を各藩に認めるが、というけど封建体制において軍事力を取り上げることが如何ほどのことか判らないのですか?w
どうやっても藩には軍事力が残るでしょうよw
版籍奉還も廃藩置県の発想や議論、案もまったく影も形もないでどのように、いつごろまでにそれができるのか?
>その他、従来の諸大名領を現状のままとし、公府の機構は幕府のそれとの関連が意識されているなど、極めて現実的な計画であった。
はい、封建幕藩体制まんまですがw
国家財政は?w
まったくもって笑い話なんですがw
これのどこがその薩長主導のカルト国家よりマシな近代化案なんだよw
>薩長が小御所会議でクーデターしなければこれがベースの近代化になっていたのだろう
こんなお粗末な近代化と鈍さでは世界情勢は待ってくれませんよw
>少なくとも史実の明治時代よりも日本全国から優秀な人材を取り入れた時代になっていたであろう
大名と数が限定された各藩士のみの参加が全国から優秀な人材を明治政府より取り入れた時代だって?ww >>179
>薩長藩閥の弊害として出身者が西南雄藩に偏りすぎたため北方軽視になり樺太放棄という愚策に繋がった
ヨーロッパ近代史をまったく理解してないとすぐこういうことを平気で言い出す奴いるよな
こんなのまったくの無知かただの思い込み
当時世界ナンバー2のロシア相手に対等条約を結べたことだけでもミラクルなのに
バルカン情勢が落ち着いてれば樺太も丸ごと獲られて千島列島すら譲歩してもらえなかったのに
国境が画定して超大国との争いの火種を消したことも理解できてないとは…
>また出身地に近い台湾朝鮮に傾倒することにもなった
朝鮮は背後のロシアの脅威があるからであり
台湾はその朝鮮とのことで介入してくる中国とのことで結果的に得たものである
結局はロシア問題によるもので北方軽視などというどのソースつかまされて言ってるのか?
徳川の時代より日本はロシア問題が国家安全保障上一番の問題であることくらい知らないとか…
台湾はまた台湾征討のことを言ってる可能性もあるとおもうので言及しとくが
沖縄と中国の国境画定のための行為であるということ
もし台湾征討のこと言ってるならこの根本をまったく判ってないね
>薩長肥の藩閥以外で総理になったのは1918年の原敬が最初
>それまで薩長藩閥以外の人間は政治権力を得ることができなかった
民権派が無茶苦茶をやるから任せられるわけないだろ
税金は安くしろ!戦争ばドンドンやれ!とか言ってる奴らだぞ
そんなんが総理になったらどうなる
大隈がなったときですらいいのか?状態だったのに
案の定大隈は開国以来の最大の友好国であるアメリカに宣戦布告と間違われるような外交やっとるんだぞ
議会も民主主義も国家運営も成熟してないものに任せると取り返しのつかないことになるそのホントよい例だろこんなの
>その間に日韓併合までやられて日本はメチャクチャにされた
日韓併合はちゃんと国際法にのっとった合法によるもの
むしろ朝鮮が己で近代化してロシアに対抗できる勢力、国力、国家になってれば併合など面倒を抱え込むだけでする必要などないのだわ
>薩長藩閥の罪は重すぎる
罪はゼロではないのは判る
それは徳川も同様であるから
ただそのようにサッチョウガーサッチョウガー言うのなら同じ量だけ徳川のどこがまずかったのかを考えるべきである
結局はただのアンチの薩長批判という低レベルの行為であることが見透かされてるだけというオチにしかなってないからなコレ 薩長の駄目なところは欧州の後進国プロシアを真似て国の制度設計をしたところ
フランスを手本にすべきだった >>180
>徳川主導の近代化であればこんな日本にならなかったろうにと悔やまれる
徳川主導の近代化なら遅々として進まずロシアの南下に対抗できず歯も立たないままその幽囚録に書かれた内容が逆に日本のことになって悔やんでも悔やみ切れない惨状になるわ
幽囚録はペリー来航のおり密航を企てて捕まったときに牢内で書いたものである
つまり維新主導し明治新政府首脳になる者達を指導するはるか前の話でなのである
その内容は吉田松陰が書き残した他の数多くの文献に比べ一目瞭然でわかるほど捲し立てるような荒々しさに加え書きなぐられたかのような勢いでいつもの理論的な理に著しく欠けたものとなっている
文面、更にはひとつひとつの文字の書かれ方が他の松陰の残した文献とは比べ物にならないほどの異質中の異質さで、密航という国禁を犯し、初めて白人を目にし、話し、そして失敗に終わり、更に幕府に捕縛されたその興奮、怒り、失望、挫折、憤り、嘆き…様々な感情がごちゃごちゃになって一気に書きなぐられてることが容易に見てとれるもの
現代人でいうとこの感情のままブログやらTwitterを更新して炎上させてるそれである
そのような内容でもちゃんとこの前後を読んでいれば、これが列強大国のやり方であるということに言及してることが判るのに、長い文面のこの一部をくりぬき己に都合のいいように解釈して批判の材料にしてるだけなのは文面すべてを読んでいる人間にはバレバレでお見通しである
やってることがマスゴミ、もしくは共産党とのやり口とまったく一緒で恥ずかしい
これより前に書かれた文献には国を開き先進文化を取り入れ国を富まし強化する旨書かれていて
これよりも後に、欧米のみならず、アジア、アフリカ、オーストラリアに至るまでの各所に駐在公使を置くことや、貿易により力をつけてからの条約改正など書かれている
その中間にあるこの内容が如何に異質なことこ
最終的には日本、清、朝鮮の三国による軍事同盟による列強大国によるアジア侵食を打破しアジア人による秩序の形成構築を唱えるに至っている
松下村塾にいたメンバーはむしろこの教えに基づいてである
この一部を切り抜いた文章を都合よく利用したのは後の軍国、国粋主義者と
なにより戦争はどんどんやれ!税金は安くしろ!と言っていた民権派(非薩長)ではないか >>182
帝国憲法下では憲法を改正などしなくともシビリアンコントロールに移行することは普通に可能なのである
更に言えば、上でも言った憲法習律と憲法附属法を用いて移行すればもっと確固たる移行を遂げれる
憲法改正が恐ろしく面倒なことという発想はそもそもアメリカ型の条文憲法の思想思考からくるもの
もちろん現行の日本国憲法はまさにこのアメリカ型の憲法であり、そのような運用をされてるからそれをベースに言ってるのだろうとは容易に推測できるがこれはまったくの勘違いである
アメリカ型の条文憲法には合憲か違憲のどちらかの解釈しか存在しない
だから条文を変えないと(憲法改正)しないとならない
一方、帝国憲法はイギリス、ヨーロッパ型であり
イギリス、ヨーロッパ型には合憲と違憲の他に立憲であるか非立憲であるのかという思想思考が存在する
合憲であっても非立憲は許されないシステムであり
違憲でも立憲においてはそれを無視できないシステムなのである
軍隊の性質上、統帥権は独立してて当たり前のもの(軍隊もってる国で独立してない国などあるのか?)
それがシビリアンコントロールなのか否かはその国によっての運用によるもの
このことが詳細に明記されてるアメリカ型憲法下ではそら恐ろしく面倒なことなだけである
制度設計に重大な誤りがあるのではなく、先人達が逝き、それにより憲法習律を理解してない、勉強してない奴が大勢を占め、己の政争の道具に利用し、運用を間違ったことが原因 >>181
フランスを手本とは幕府とスランスがズブズブだから手本にしたにすぎず
実際西も小栗も本で読んだだけの知識しかない非常に理に欠ける方針
フランス憲法の熱烈支持者で信者だった板垣などが実際にフランスにいって学びこりゃダメだとなっとるのだよ
ゆるやかな民主化の前に封建制度の廃止と強力な中央集権化だわ
それが明治新政府に比べて徳川はできないから言及しとるのだ
そんな状態で民主化なんかしたらそれこそ日本に小国が乱立して日本の国体が消滅する
ウェストファリア体制の神聖ローマ帝国より酷いことになるだろ
プロイセンを手本にしたのは完全にイギリスのやり方をマネするには高度すぎるから
イギリス的運用を行いつつ条文化もそれなりにされていたプロイセンやベルギーを手本にした
手本にしたといってもただコピペしたわけではまったくない
当初は一番いいとこの、いいと思う憲法をコピペすればいいんでしょ的な感覚でいたのは事実
それが各国を周ってドイツに至ったときにローレンツ・フォン・シュタインと出会う
シュタインにより憲法とはその国の歴史、文化、伝統の体現であるとい言葉に開眼させられ
日本人がドイツの条文猿真似してもダメなんだと、無理だしできるわけないとして日本独自の国体としての憲法づくりを始める
もう一度日本の歴史、文化、伝統と頭から向き合いすべての史料、編纂物などをさらって議論に議論し10年かけてつくったのが帝国憲法である
条文コピペをベースにちょっとした新要素盛り込んで1週間程でちゃちゃっとつくった現行憲法と訳が違う
ドイツ式を選択したのもこのシュタイン氏の教えがあるからである
市民革命でない以上欽定憲法になるのは当たり前
啓蒙専制君主国家になる以外道はない
軍事権のチェックは山縣が嫌った
理由は上の方でもレスをした通りである
当時の日本において最良の選択であるが
結果論として山縣が健在のうちにどこかのタイミングでシビリアンコントロールへ移行すべきだ
ったとは個人的には思う
最初からシビリアンコントロールなどさせてたら民権派によって暴走させられていたし
山縣死後は第二世代の旧賊軍勢力が暴走させて結果はご存知のとおり
ifがあるなら山縣が150歳くらいまで生きれてるというリアリティのない前提が必要となる
結局時系列から見ても後の世代がまともな運用をしてないということに尽きる
この手の議論で暴走した当事者本人らは棚に上げて、ちゃんと運用して暴走などしない、させてこなかったのにもかかわらず
結果暴走できてしまう機構を構築したとして、つくった人批判に徹するのはおかしい
道理としてそうしないと都合の悪い人や勢力の工作としか思えませんね ミスタイプ
フランスを手本とは幕府とスランスがズブズブだから手本にしたにすぎず
でなく
フランスを手本とは幕府とフランスがズブズブだから手本にしたにすぎず
ね
失敬 >>188
プロイセンのどこが後進国なのか?
それはとんでもない間違いである
プロイセンは当時の世界の5大国のひとつである
そこまで何度も言うからにはそれ相応の知識があるから言うはずであるから尋ねるが
薩長はプロイセンのナニを真似たのか?
プロイセンの国の制度のどこを真似て日本の国家設計をどうしたのか?
どうしてプロイセンを真似たのか?
君の口でちゃんと説明していただきたい
更に、フランスを手本にすべきだったとこれも何度も繰り返し主張してるが
フランスのナニを、どう具体的に手本にすべきだったのか?
また、そのフランスとプロイセンの違いについてを君の口にて説明していただこうか 会津は被害者。孝明天皇をずっと守っていた会津は正義
そんな孝明天皇を殺して御所に発砲した長州こそ真の賊
そんなこと今時良識のある人ならみんな知ってる 江戸幕府がずっと守ってきた樺太を明治政府が即放棄したのは歴史的事実
そもそも北方で幕府が必死に樺太防衛してるころ国内でいざいこざ起こして政権掻っ攫ったのが薩長
そしたらすぐにロシアに譲渡
ほんとに売国。ロシアの樺太領有のサポートしたのが薩長 >>173
統帥権を持ち出したのは鳩山一郎と犬養毅と加藤寛治 >>194
孝明天皇も松平容保も擁護のしようがないアホやん >>196
軍隊の位置付けを決めたのは明治政府だろ、馬鹿なのか >>197
孝明天皇は薩長の酷さを見て自己批判して考えを変えたんだよ >>194
やはりそうかキミぃw
道理でずっとまったくどうにも合理的でないことばかりを言って主張するなあこの人と
どうにも会津くせぇなと思ってたらやはり会津史観と会津観光史学に洗脳されきって朱子学の毒で思考が完全停止してるてる人かあ(笑)
判りやすいw
とうとう馬脚あらわし正体を見せたとw
>会津は被害者。孝明天皇をずっと守っていた会津は正義
会津は被害者である前に加害者である
こういうことをちゃんと理解把握してない
もしくは都合よく頭から切り捨ててる
これが会津信者
天皇は会津だけでなくみんながお守りしてきたもの
キミみたいな奴の理論を逆手にとるなら
孝明帝は守って明治帝は守らなくていいのかという矛盾になる
結局こういう天皇の正義をサポートとして具現化することを考えてでなく、己の立場としての独りよがりの"正義"を言ってるだけで天皇の正義が御座なりになってる
正義の履き違えも甚だしい限りである
>そんな孝明天皇を殺して御所に発砲した長州こそ真の賊
>そんなこと今時良識のある人ならみんな知ってる
孝明帝を殺した証拠や史料がまったくないのにでっち上げるこれが会津の正義なのか?
会津はなんにしろ主張の根拠となる史料やソースに乏しいことはもう今時良識のある人ならみんな知ってること
孝明帝の死去前の症状がヒ素中毒に似てるかもというだけでそれをまったく反証できないもの
実行者も首謀者もわからないで暗殺だとか陰謀論に頼らんと会津の正義は成り立たないくらい脆弱なんですねw
しかも長州ってw
長州ってこのとき朝敵で御所に近づくことすらできず
御所内部にも長州派などひとりのこらず追放それてて誰もいないのにどうやって長州が暗殺できんだw
どうやったか教えてほしいもんだw
すぐなんでもとにかく長州に結びつけるのが会津信者の特徴
孝明帝の暗殺説は検証もままならないほど史料、証拠に乏しいのに幕府方を支持する奴らにやたら引用されプロパガンダのように使われるが
会津を含む一会桑政権と孝明帝の間には兵庫開港問題での軋轢が常にあって列強諸国との板挟みになりほとほと困り果ててる事実がある
つまり会津、幕府方にも孝明帝排除のために暗殺につながる動機がしっかりあることを都合よく頭から消し去ってるがどうなんだと?
同時期の家茂も一会桑政権による暗殺説があるのに己をまったく顧みることなく、相手ばかりをとにかく責め立て自分は棚に上げて責任の所在をばかりを追求するそれは正に会津史観に洗脳されきって合理性の欠片もない朱子学の毒で思考が完全停止したそれである
御所に発砲したのでなく御所より締め出した勢力に対し発砲したのだ
それがかたちとして御所に発砲したとなったことくらい今時良識のある人ならみんな知ってる
なら同理論で錦旗向かって発砲した会津をどのように説明するのだキミぃ?w
今時良識のある人なら現在の会津信者がいってることはみんな嘘であると知ってる
史料、証拠、ソースがないものばかりだとみんな知っている
キミみたいなのが逆に会津を貶めていることに気づけない
当時の会津の、容保やその家臣団がもった崇高な誠と正義の理念を捻じ曲げてそれを失墜させてるのはキミらみたいな今現代の会津信者なのだよ >>195
知識もないのに会津史観による朱子学の毒で完全に思考停止してる合理性の欠片もないただの感情論乙
樺太を江戸幕府がずっと守ってきただって?w
嘘つきですね
日本人、ロシア人、アイヌ人間で強盗、強姦やら殺人事件が繰り返されてる中で治安維持活動のための組織すら作らず、派遣せずでなにが守ってきただよw
放棄などしてないだろw
ちゃんと代わりに千島列島を獲得してるのに嘘ばっかり言ってんなあw
こんな幕府の北方防衛では手薄すぎて樺太などロシアに実効支配されて日本の主権消えるわ
キミが信望する会津な
あそこの山川浩が明治直前に使節としていってロシアと交わしてきた日露間樺太島仮規則など、いったのにまったくの骨抜きの内容で成果などないものにしかなってねーだろがw
樺太こと話し合いにいったのにいく前と一緒の日露両国の雑居地のままで手打ちじゃねーかw
幕府が大国ロシアに相手にもしてもらってないのがよく判る案件だろこんなのw
明治政府がロシアと結んだ樺太・千島交換条約がどれだけすごいものか無知で無学なので理解できてないね
ヨーロッパ近代史を勉強してからもの言いなさい
ホント恥ずかしいよキミ
日露間樺太島仮規則では北緯48度以南を主張して相手にもされてないで帰国させられてるのに
結果、千島樺太を明治政府で交換した上に、日露戦争により北緯50度以南を獲得
日露間樺太島仮規則より2度も北の領域を獲得できてるのにナニ言ってんのキミ?
もっと勉強してきなさい
売国というのはね、戊辰戦争中にプロイセンに北海道の領地、及び警備担当地を売却しようとした会津のことを言うんだよ
もっと勉強しなさい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています