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マレーシアのマハティール元首相の自伝を読んだが、
戦争の部分は非常にドラマチックだった。こんな感じ

■マハティールの履歴書 (日本語) 日経BP 2013/5/14
https://nikkeibook.nikkeibp.co.jp/item-detail/16869

戦前のマレーシアでは、マレー人は英語を学んでクアラルンプールの
総督府で英国人と共に働くことが最高のステータスで、マレーシア人は
英国の植民地であることについて何の疑問を持っていなかった。
私(マハティール少年)も学校で懸命に英語を学んで、将来はあの美しい
総督府に務める事が夢だった。マレーは平和で静かな時が流れていた。

しかし1941年12月から始まった日本軍のマレー侵攻が全てを変えた。
同じアジア人である日本軍は英軍を蹴散らし、無敵だったはずの英軍は
どんどん負けて後退した。日本軍が銃剣で英軍人を突き刺して殺したと
聞いたときは、皆が心の底から震え上がった。

仲間だと思っていた英国人は自分だけ船に乗って豪州やインドに逃げて、
マレー人・インド人・シナ人は一切乗船を許されず、鬼の日本軍が間もなく
やって来るマレーに取り残された。この時初めてマレーシアが植民地で、
英国人は支配者であり、我々は植民地人種であることを思い知らされた。

(中略)日本の統治ではシナ人が公職から全て追放された。マレーの華僑が
日中戦争を戦っているシナに資金援助している事は有名だったからだ。英国人
やシナ人の代わりにマレー人が公職に抜擢された。日本人は「この国はマレー
人の国だ。マレー人が主役にならねばならない」と繰り返し言った。

(中略)戦争が終わって日本の支配が終わり、英国人が帰って来た。しかし、
もうマレー人は、自分だけ船で逃げた英国人の支配を受ける気はなかった。
「マレー人が主役になる時が来た、独立しかない」とすべてのマレー人が
確信していた。