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正論 2007年9月号
●NHKウオッチング第123回  中村粲
https://web.archive.org/web/20101206043114/http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0708/mokji.html

宮澤元首相追悼番組を見て

 宮澤喜一元首相が死去(6月28日)した直後の同30日、NHKは特別番組「宮澤元総理を語る〜戦後政治とともに〜」を放送
した。山本孝解説委員の司会で、出席者は中曽根康弘元首相、内海孚元大蔵省財務官、御厨貴東京大学教授。55分間もの
番組でありながら、「知性派の政治家」(中曽根)、「権力の執行に慎重」(御厨)等の評は聞かれたが、その人間的魅力や
総理としてのステーツマンシップの真骨頂を物語る言葉が誰の口からも出なかつたのは、御当人の人間的器量と識見の
限界を端なくも示してゐたやうだ。
 宮澤元首相が日本に残した最も迷惑な置土産が昭和57年、第一次教科書検定騒動の時に、内閣官房長官として決定した
「近隣諸国条項」であることは衆目の一致する所であらう。中韓両国に媚びたこの売国的条項が、その後の教科書記述を
いかに歪め、また中韓の干渉的言辞をのさばらせて来たかは改めて説くまでもない。日本の歴史教科書を駄目にした第一
の責任者は宮澤元首相である。「見通しのすぐれた政治家」(加藤紘一氏)などの評言は全く見当外れだ。中曽根氏の
「知性派の政治家」と云ふ賛辞も持ち上げ過ぎではないのか。
 死屍に鞭打つ気持はないが、この人の生前の言動には、どうも真実味の乏しいものが感じられた。人に会つた時、一番に
「出身校はどちらですか」と訊ねる癖があり、その答へが東大か否かで、宮澤の態度が一変したと云ふ。この話がどの程度
まで真実であるかは保証の限りではないか、如何にもありさうな話だ。

徴兵逃れて“経歴詐称”

 宮澤元首相と云へば、誰しも“経歴詐称”発言を思ひ出すだらう。平成11年8月22日フジテレビ<報道2001>に出演した
宮澤蔵相(当時)が「私も戦争に行つた人間として……(現憲法は)変へない方がいいと思ふ云々」と述べた。これについて
東京の渡邊有氏は「宮澤氏は入隊して十日足らずで分隊から消えてしまつた。病気でもないのに兵役免除のやうな待遇を
受けたさうだ。これは知つてゐる人は知つてゐる」と聞かされ唖然とした。氏は宮澤氏に往復葉書で事実関係を問合はせたが
返事が来なかつた由。
 またある雑誌編集者は書いてゐる。「寛大な日本人は宮澤喜一の“徴兵逃れ”を問題にしようともしない……同胞が南海北溟
で国運に殉じていたとき、東大を出て大蔵省に入り、ビルの中で軍人恩給の計算をしていたのである。宮沢と同年同郷で……
戦地から帰つてきた兵士は、まだ数多く生きていることだろう。当時の兵事係や役場の上司の中にも昔を知る人はいるはずで
ある。……宮沢の、あのどことなくうさんくさい……局外の評論家のような物腰は、戦争中に同胞と運命を共有しなかつたとき
いらいのものではないか」(『諸君!』平成4年5月号23頁)
 己の護憲論を値打ちあらしめるために「戦争に行つた人間として」などと平気で“嘘”をつく人間に国民の指導者たる資格は
ない。「宮沢氏よ、卿が政界にある間に、本当に『戦争に行つた人間』なのかどうか、是非事実関係を明らかにして貰ひたい」
と当時小欄は書いたのであるが(平成12年8月号)、そんな小さな声に反応のある筈もなく、真実は宮澤氏と共に墓場に持つて
行かれてしまつた。

「近隣諸国条項」の責任は?

 宮澤氏は若い時から英語が好きで得意でもあつたらしい。アメリカ訛りの英語を得意気に口にする日本人のバタ臭さには、
他人事ならず気恥づかしさを覚えるものだが、それは好みの問題だから措くとしよう。英語好きの宮澤氏は外交官になるのが
第一志望であつたやうだ。調べてみるとこの人は昭和16年に外交官試験に合格してゐるのだが、成績は40人中35番。この
成績のために外交官への道は諦めたらしい(平成13年1月号小欄)。この人が外交畑へ進まなかつたことは、それはそれなり
に、我国のために幸ひであつたと思はずには居られない。
 死んだ人のあら探しを好む訳ではないが、元首相ともあらう人の生前の功罪を語るのであれば、その後の日本にとつて
大きな負の遺産となつた「近隣諸国条項」と宮澤氏の責任についてぐらゐは一言触れるのが公共放送の公共放送たる所以
ではないのか、と大きな疑問と不満を覚えた次第である。