中久喜好きです。続きます。
戦国乱世の時代には、砂金とかはお金ではなく、軍事物資(主に食料)の交換材料という認識
だったそうです。結城氏は、乱世の時代城を奪われることもあった家柄です。
居城を奪われるという体験をしているにもかかわらず、再興できたのは軍事物資をどこかに
埋蔵していたからかなーと思われます。(腹が減っては戦は出来ない。人も集まらない)
ですから、用心深い結城氏の事ですから、複数個所に分けて秘蔵していたのではないかと。
中久喜城とか、別邸とか、関係が深い寺院とか、、
まあ、憶測ではありますが。