白川村で四百年前の大地震で一夜で埋まったとされる「帰雲城(かえりくもじょう)」の位置は
「同村保木脇の庄川の左岸」だったとする研究結果を、歴史愛好家でつくる白川郷埋没帰雲城調査会がまとめ、
十九日、発表する。
 調査会によると、飛騨の地役人が一七四六(延享三)年に書いたとされる地誌「飛騨国中案内」に、城のあった場所として
「往昔は帰雲、其後(そのご)は帰山なり。に今至て其所を帰雲川原と言ならし候」との記述があった。調査会ではこれまでに
「氏理の居城のあった所を帰雲川原と言うようになった」と解釈してきた。
 新たに今回、白川村役場が所蔵し、地誌より十年以上前に描かれた同村の古地図「享保年度山林絵図面」を調べたところ、
保木脇周辺の庄川の左岸部分に「帰雲川原」と記されていたという。調査会事務局長の野田秀佳さん(56)は
「長年追い求めていた場所が分かり、感無量。伝説にも一歩近づけた」と喜ぶ。