【千両箱】埋蔵金発掘が趣味の人【9箱目】
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前スレ 【千両箱】埋蔵金発掘が趣味の人【8箱目】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/hobby/1511435129/
古今東西埋蔵金の話ならなんでも結構です。
ただし、「my雑巾」は禁止します。
※皆さんの自由闊達で、活発そして想像力豊かな書き込みをしてください。
【書込み注意事項】
荒らし防止のため、E-mail欄に sage と入力し書き込みしてください。
E-mail欄に sage と入力し書き込みすると、カテゴリーのトップに上がることはありません。
sageを入れることで、ひっそりとお話ができるということです。
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【注意事項(諸注意)】
@埋蔵金の本質から地域・人物等に迷惑がかかる場合があるので、人名・固有名詞等の記述は慎重に 年々厳しくなってくね
春秋は季節消滅しかかってるし ははは…
さては、私の師匠から何か連絡が有ったのかな?
(※N氏のことを初対面から私は、師匠と呼んでいます) メールが来て返信しておきましたので確認してみてください。 了解しました!
いつか会いたいですね。
その機会を待ちます。 明日、真夏の赤城西麓にて磁気探査します。
死ぬほど暑いので、秘密裏に成功できると思います。
帰りに、見晴らしの湯でひとっ風呂あびて帰ります。
こんな暑い日誰も探索していないよね。
赤城西麓、がんばるぞ! 二代目!いつかってw
近々会いたいから連絡してきたんとちゃうんかいw
おいしいたこ焼きごちそうしてくれたらいつでもいくで〜
お!磁気探査楽しそうですね。
赤土の特性をすり抜けられるかしら?
赤城もしばらく行ってないなあ >>353 「磁気探査」とは?
どういう探査方法ですか?
そして、確率は? (※発見の正確度的な見解は) 真夏の赤城行って来ました。高速の社外温度は40度でしたが、お山は35度。
やはり、すれ違う車もなく、ましてや人もいません。いたのは野生のシカでした。
草は伸び放題で、暑さよりも虫が凄かった。特にアブには難儀しました。
さて、磁気探査ですが、成功確率は掘ってみないと分かりませんね。
そこの帯びている磁気の違いを測るもので、磁力計の一種です。 赤城の土はすでに磁気を帯びているので向かないのではないかと懸念していましたが、あらかじめ、何度か普通の土地でデータをとっていたのと変わりませんでした。
バランスを何度もとりながらというのは、他の金探と同じですね。こんな暑い日にと思うでしょうが、土地がカラカラに乾いている時にやってみたかったのです。
結果は、200m×200m位の所に一か所だけ何度やっても強い反応(金属を示す赤い印)が3m×3mにわたって出る所がありました。そこを金探でもしたかったのですが、山歩きと調査で体力の限界が来てしまい、できませんせした。
帰宅後体重を測ったら3kg減っていて、日頃ビール漬けの体には、ちょうど良いトレーニングになりました。 お〜他の土で研究してから挑んだとは本格ですね。
あとは、赤土層と黒土層の遊水帯の判別でしょうか。
暑い中お疲れさまでした。 335>
世良田の下に徳川町と言うのがあり
明治には徳川東照宮があり現在⇒満徳寺
↓明治初期の地図
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html 世良田東照宮と徳川東照宮は別です、300〜500mぐらいはなれています 調べて見ました。ありそうですね!⇒
徳川満徳寺(まんとくじ)は、江戸時代に鎌倉東慶寺(とうけいじ)と並んで女性を救済するという縁切りの特権を認められた尼寺です。
満徳寺の由緒書等によれば、鎌倉時代、徳川氏の祖新田(世良田・徳川)義季(よしすえ)を開基とし、
義季の娘浄念比丘尼(じょうねんびくに)を開山として創建されたと伝えられます。代々の住職は新田氏一族の子女が住持となりました。
新田氏の衰退と共に荒廃していきましたが、天正19年(1591)徳川家康より徳川郷内に朱印地(しゅいんち)100石を拝領し、
衰退していた寺を復興させました。大阪夏の陣(1615)の後、2代将軍徳川秀忠の娘千姫が豊臣家と縁を切るために入寺
(実際は待女が入寺)し、離婚後再婚した例にならい、縁切寺法の特権が幕府に容認されたと伝えられます。
明治5年(1872)廃寺となりました。現在、縁切寺満徳寺遺跡公園として、本堂・門・庭園等を復元し、資料館を開設して一般公開をしています。 >>361さん 正解です。
徳川寺に関しては、お書きのように後から付けた部分が多く、ノーマークでいいかと思います。
そして徳川寺より川沿いにに赤城神社があります。
しかし、この赤城神社は、もっと川岸にあったのですが、流出してしまい現在の位置に再建されました。
すべてが新しいのですが、お祭りがいまでも続いており、流出前の信仰が今でも息づいています。
世良田に関しては、長楽寺の赤城山、東照宮、そして赤城神社等徳川埋蔵金のワードがそろっている場所でもあります。 今回、長楽寺の干上がった池を掘りたいと書きましたが、それなりに考えるところがあります。
長楽寺を訪れるとわかるのですが、あちこち小型重機で掘ってあります。
>>339で書きましたが、過去に空洞らしきものがあることが調査で判明しています。
その調査の精度は不明ですが、調査に影響されて掘っている可能性があります。
まあ住職に直接聞いたわけではありませんが。
もし、山っ気がある住職であれば、無給で池を掘りたいと申し出れば許可していただける可能性があるわけです。
怪談がある池で、徳川関連の地であれば、モノが出なくてもワクワクするといった寸法です。 ご丁寧にありがとうございます。埋蔵金発掘が趣味の人たまに覗いてました。
自分もお寺か神社に分割してあると思います。
日本人は信心深いですから浅い場所に埋めても掘り起こさないですものね。
龍バミもどんなところか見に行きましたが明治の北朝鮮のようなはげ山の写真を見て
その時に見つかってかなって、今は木がぼうぼうだし熊の糞もあったし・・・
山奥とか洞窟とかは赤城山のように軍が大人数で掘り返して軍資金にしてしまったのでは? >>364さん 聡明な見識恐れ入ります。
龍喰は、お話のとおりハゲ山で、364さんと同じように感じました。
しかし、よくよく調べてみると、伐採を逃れた地帯があることがわかりました。
現在そこを調査中で、その地帯周辺で鉱山跡と思しき場所を発見しました。
もうすでに無いかもしれませんが、ここでよく論議していた「無いなら無い証拠」を見つけなければなりませんので、
その作業をコツコツやっているのですが、
連絡をくれない二代目が「ある」とおっしゃっているので困惑していますw 流石です、新発見を期待いたします、初めていろいろやり取りできたので是非に
聞きたいことがあるのですが、ドキメントで戦地へ向かう事になった学生がその前に
金峰山目指して登山して途中道に迷い一晩洞窟で泊り朝日が差し込んだ時周りに
鎧があり下に木箱に入った金の延べ棒を発見して10本ずつ持ち帰り
一人は亡くなり一人は山中で工事関係者に助けられてその時
延べ棒を重くて捨てて最後の一本だけ持っていた話をご存知だと思いますが
うそですかね?そのような洞窟がもし口を開けていればすぐに林業関係者に
発見されると思うのですが、、、 歴史好きさん
そのお話は有名ですが、ほとんど書物には書かれていません。
今パッと思い出せるのは、加門七海の黄金結界ぐらいでしょうか。
一度検証したことがあるので、忘れてしまっているだけかもしれません。
一度、話にあるルートを検証したことがあるのですが、意外に可能性がありました。
可能性とは、鉱山師(工事関係者ではない)と出会った点です。
その後、東大の学生(当事者)、大学教授らが捜したなどのキーワードがありますので、記録が見つかれば事実だったのではないしょうか。
山中を歩くと光の加減で浅い窪地が洞穴のように見えたりします。
そんなところが数多くあるわけですから、埋蔵金探しをする人でなければいちいち覗いたりしないのではないかと思います。 歴史好きさん 里山とか山中の城跡とかを訪ね歩くのが趣味の者です。
山の中の地形は、意外と変わりやすいものです。城跡とかを訪問しても、
井戸跡とか、武者隠しのくぼ地とかは時の流れによって埋もれてしまった箇所
も多々見受けられます。洞窟等も、入り口が埋まってしまっていたり、昔は人が
自由に出入りできたところが、小さな穴になってしまったりとか、、 過ごしやすい秋がやってきました!
みなさんのこの夏の成果は…
酷暑や災害で無理かな? 暑さも和らぎ、皆様におかれましてはますますご盛栄のことかと思います。
だいぶさみしくなっていますので少々。
埋蔵金伝説の中に黄金のニワトリ(時にはつがい)を埋めてある伝説があります。
朝、鳴くなど、奇怪な伝承すらあるものもあります。
皆様がもつ、この黄金のニワトリのイメージは?宇治の平等院の屋根の鳳凰ののようなイメージですか?
わざわざ埋めるのですから、美術品の価値が高そうなフォルムをイメージしがちかもしれません。
実は、黄金のニワトリが見つかった事例があるのです。
見つかった場所は、宮城県栗原市金成
ここの金成には、炭焼き藤太伝説があります。炭焼き藤太については記録もあり、どうやら実在の人物のようです。
炭焼き藤太の話は、全国にある炭焼き話とほぼ同じです。
この藤太が長者になった後、同地の鶏坂に黄金のニワトリを埋めたという伝承が残っていました。
1818年、この坂を直していると、炭の中から黄金のニワトリのつがいが発見されました。
この黄金のニワトリは現存しており、雄は尾までの長さ7.5cm 高さ3cm、雌は尾までの長さ6.3cm 高さ3cm
雄には「神」雌には「山」という文字があります。
検索すれば、黄金?のニワトリの画像を見ることができますのでお探しください。
埋蔵金?の伝承があり、たまたま合致するニワトリが見つかった事例としてご紹介しました。 165さん
黄金の鶏見ました😙自分の思い描いていたのと若干違いましたが🐔しかし実際に発見されているのを知りませんでした。貴重な情報感謝です(^_^ゞ 赤城や武田、今まで色々な方々が書き込んでくれたのに…
みんな疲れたのかな?
165さん、よろしくお願いします。 とあるブログに、場所は非公開でしたが、
40年ほど前、庭に池を作ろうと掘っていると、油紙で封をされた壺が出てきたそうです。
伝承などがないため、封を開けるのが怖くなり、そのまま池の底に沈めてあるそうです。
伝承があれば封を開ける気にはなるでしょうが、ブログにも人骨だったかもしれないと書いてあります。
日本人は、信心深いのか水木しげるの罠なのか、この手の得体のしれないものを忌み嫌います。
特に封をされているとなると、さらに手が出しづらい。
埋蔵金探しも難しいですね。 165さん、ありがとうございます。(※困ったときの165氏ですな!) Amazonの埋蔵金本を見てたらサヤサヤさんのレビューがいたるところに
サヤサヤさんどうしてるのかなあ ノルウェー、エストフォル県に広がるのどかな農村地帯には、数世紀前の秘密が隠されていた。船葬墓が新たに見つかった。
高解像度の地中探知レーダーによって、そこにバイキングの墓が隠されていることが明らかになったのである。
バイキングには船を棺として用いる船葬墓の習慣があったことが知られている。
これまでも船葬墓はいくつも発見されてきたが、保存状態の優れたものとなれば珍しい。
https://niku.no/en/2018/10/georadar-detects-a-viking-ship-in-norway/
過去にバイキングの墓から、多くの副葬品が見つかっている。
今回の船葬墓にも副葬がも一緒に葬られている可能性は高い。
歴史的価値も相当なものだろう。
私が歩く限りだが、未発掘、未登録の古墳らしきものを多く見かける。
考古学の教授でもない私が、市に掛け合っても調査も掘らせてもらえないだろう。
熱心に掛け合えば掘らせてもらえるのだろうか?
教育委員会等は、話だけ聞いて自分たちで調査、掘るのではないか?
一旦、教育委員会が絡めば、埋蔵金の分け前すらもらえない。
工事途中にたまたま発見される埋蔵金は、国や市の網目を抜けるための手段ではないのだろうか。
埋蔵金というのは、そうしたジレンマの中に埋もれている気がする。 埋蔵金で説の多くに古墳が関係している。
朝日さす夕日輝くがそれだ。
古墳とまではいわないが、こんもりとした墓である可能性は高い。
古墳は今でこそ貴重な遺物だが、石田三成の忍城攻めのように古墳を切り崩したり(石田堤)と、
昔は、古代の墓程度に扱われ、消えていった古墳も多く存在する。
以前、徳川埋蔵金を調査していると古墳に当たると書いた。
原点に返れば、赤城山の伝説のように、更地にわざわざ新たに穴を垂直に掘る必要があるのか?
更地の縦穴を掘り返すのも容易ではない。
古墳の当初は、横穴式埋葬だったが、その手間から竪穴式石室に代わっているほどだ。
古墳には、しっかりとした石室がある。
この縦穴石室を利用すれば、埋蔵するのは容易だと思う。
となれば、俗に赤城山の山中に、わざわざ新たに縦穴をほるより、
古墳とまではいわないが何らかの墓跡に埋めた可能性は高くなる。
それが、水野智之氏が著書に書いている、児玉老人が探してたという五輪塔だ。 五輪塔は、墓である。(塔婆も五輪塔を模している)
五輪塔の構造は、下から地・水・火・風・空を表し、これこそまさに風水であり、八問遁甲につながる。
五輪塔は墓である。
その下に石室(石棺)がある可能性は非常に高い。
畠山氏の日本の埋蔵金で登場する児玉老人が、五輪の塔を探していたとのことから、
児玉老人は埋蔵金埋蔵の当事者ではなく、水野家より早く、どこかで聞いた話から埋蔵金を探していたひとりとして扱うべきだと思う。
なので新たに登場したライバルとなる水野氏に突然切りつけたりしたのではないか。
余命いくばくもないと悟った児玉老人は、今までの探索結果を大儀兵法秘図書にしたため、水野氏に渡したのではないかと思う。
しかし、私もそうだが、ここだという場所を打ち明けるのには躊躇する。
なので、大儀兵法秘図書のように話をぼかし、あとは自力でという意味で、水野氏に託したのではないだろうか。
大儀兵法秘図書に児玉老人の探索結果が書かれていることになる。 また、「掘りかねる井戸」という言葉も残されている。「かねる」は、できないという意味だ。
直訳するならば、掘れない井戸ということ。
井戸をイメージしてもらいたい。
円形に深くまで崩れないよう石組みがされているのではないか?また、木材で井桁状に補強されているものではないだろうか?
掘り返すのは容易だ。水野家をはじめ、源次郎の井戸を掘り返している。
井戸は元々人が掘ったもので、水が枯渇して埋めたからといって掘れないわけではない。
児玉老人が残した言葉の「掘れない井戸」は、井戸を指しているのではない。墓なのだ。
墓は掘り返したくないというのが日本人の感情だ。児玉老人は墓である五輪塔を探していた。
五輪塔は墓であり供養塔で、その下に石室(石棺)がある可能性は高い。
数メートル下の墓に向けて穴を掘るのは簡単だ。そして墓は信条から暴きづらい。特に五輪塔を崩してまでも掘りづらい。
石室(石棺)であるなら、構造的に井戸に近い。
日本の埋蔵金を持っている人は、P57を見てもらいたい。三枝茂三郎氏の発掘の図面が載っている。
TBSの林修氏の番組を見返してもらいたい。(私のサイトでも見れるよ^^)
三枝氏は、五輪塔方面に向けて横穴を掘っている。
当時の地主が許可してくれなかったので、やむなく五輪塔まで横穴を掘ったかもしれない。
ということは、児玉老人と同じように、五輪塔を探す必要がある。
さて、サヤサヤさんはどう思うかな?w 読み返すと、つくづく日本語が下手だなと思うw
酔っぱらった勢いもあるかもしれないが、本当に下手だw
赤城山に埋もれた五輪塔が数多くあるのを場所も含めすでに把握している。
あとは、銅板と照らし合わせた上で、埋蔵場所かの確認をするだけだ。
埋蔵金を発見する日は近いかもしれない。 勢いで書いてますw
とうか、私は赤城山以外説
なぜなら、ほかの場所で、古墳に行きついている。
なにも山の中の五輪塔にこだわる必要はないのだ。
しかし、いろいろと見過ごせないのも確かで、
日本の埋蔵金の中で、赤城山で石の祠を発見した記述もある。
三枝氏も埋められた多くの石を見て、宝庫だと思っている。
ということは、三枝氏も石で囲われた井戸のような所に埋められていると思っていると思ってたわけだ。
残念ながら、水野家のように土中に直接埋めてあるといった代物ではない。
メディアの皆様もY氏だけに頼るのではなく、他の研究者の意見も聞いていただければ、世紀の発見になるかもしれませんよ。 165さんお久しぶりです
五輪塔ですか。私は訳があって道祖神を探しているんですよ。似たり寄ったりですねw
暇なので、歩尺図のこじつけを書いてみますね。
実は、本当はこの図には他の意味合いがあるんですが、こじつけの一つを書いてみます。 1から9ということで頭に浮かぶのは九星魔方陣ですよ。
この1から9に甲から庚を入れていきます。定位の位置は決まっていて、1は北が入ります。
つまり、甲は北、乙は南東、丙は西、丁は南西、戊は中央、己は北東、庚は東に入ります。
なぜなら、甲186の最初の1は入るマス(北)すなわち方度で同じように乙297の2が方向の南東です。
魔方陣を見ながら入れてみるとすぐ分かります。 図を見ると、番号で言えば6,5,4のラインですが、己、戊、丁になりますね。これは「戊己ト記シタルハ丁ノ目ヲ續キタルノ記ナリ」に相違ないですね。
中心の戊を銅板が見つかった双永寺とすると、北東の己は金山宮、南西の丁は井戸もしくは家康像。己64の6は方度、4は足斟なので4町すなわち道のりで
436メートルで金山宮、南西に位置する丁429は、4が方度、29が29町だから道のりで3200メートル行くと目的の家康像になりますね。
これは、道が一本道だったから分かるのかも知れません。方度足斟ノ両用トスにも相違ないですね。
でもね、これってこじつけなんですよ。
私が重要だと思ったのは、甲から庚までが7こある点と1から9までの繰り返しなんです。
ですが、あるとしたら井戸を中心としたどっかでしょうね。いい大人が真顔で言うと恥ずかしい話ですね。(-_-;) やっぱりサヤサヤさんはずごいなあ
九星魔方陣!超大正解です。
ここまでは水野家も解いていた形跡があります。
7つと9つが対応しきれなかったようです、苦し紛れに付け加えたのが二十四方向でした。
ここで、三枚の銅板の謎文の解読をやめたっぽいです。
ご存知の通り、水野家は、家康像が出た地点と思われる場所から、円周上に調査をしましたが発見できませんでした。
九星魔方陣の解読が中途半端だったのと、中心点を誤っていたということです。
九星魔方陣における中心は「5」であり、中心の5を五方(ごほう)といいます。
この中心(五)をどこに定めるかが問題です。
水野家は初動を誤ってしまいましたが修正しはじめます。
水野家は、なぜ円周上に調査したのでしょうか?
ここからは、私の想像です。
水野家は、児玉老人が埋蔵の関係者だと思い込んでいました。
児玉老人が、五輪塔を探していたと聞いて、自分へのヒントだと思ったかもしれません。
なので、中心(五)から円周(輪)上に探索したのではないでしょうか。
その最長端にあるはずの塔を探して。 サヤサヤさんも
そういった理由で、道祖神を探しているのではないでしょうか?
沼田街道沿いの石仏は、ある程度抑えられていますが、赤城山西麓の石仏の資料は皆無です。
群馬県の石仏についてのありとあらゆる資料を見ましたが、沼田街道沿い以外の石仏についての資料はありませんでした。
こうなると、山中に分け入り、転がっている石すら調べなければなりません。
大変骨が折れる作業となりますね。
>私が重要だと思ったのは、甲から庚までが7こある点と1から9までの繰り返しなんです。
赤城本命さんも私も同意見です。私より赤城本命さんのほうが三歩ぐらい先に行っています。
三人とももう少しのところに来ているような気がします。
赤城本命さん元気かなあ 最近、クラウドファンディングなる資金を調達手段が盛況でして。
ものによっては数千万円の資金を調達しています。
場所さえ確定したら、クラウドファンディングを使って資金調達もいいかなと思っています。
この資金調達方法には、ある程度見返りが必要で、安いものはお礼のお手紙から、物産品の返礼まであります。
埋蔵金発掘となると数千万円でしょうから、3,000円でお手紙、10,000円発掘イベントへの参加、100,000円で赤城の物産品と出れば小判1枚など
妄想だけがどんどん膨らんでいますw
やっぱり資金ですよね〜 三枚の銅板の写しをお見せすることはできませんが、内容について正確に書いてみましょう。
三枚の銅板の写しのほかにもう1枚、謎文と方位図が書かれた長い和紙がありました。
その長い和紙には、サヤサヤさんがノーヒントから導き出した九星魔方陣が書かれています。
その九星魔方陣の上に、薄く墨で縦(951)横(357)斜め(258、456)の線が引かれており、方位を考えたと思われます。
謎文に書かれている甲・乙・丙・丁・戊・己・庚は7つ、九星魔方陣にマスは9つで甲乙を当てはめると2マス埋まりません。
この埋まらない2つのマスを埋めるため、本来であれば十子の甲・乙・丙・丁・戊・己・庚のつづきである辛・壬・癸を使うのでしょうが、
これだと逆に1つ余ってしまいます。
そこで水野家は、埋まらないマスに、後天八卦の乾・坤・震・巽・坎・離・艮・兌を使い埋めていきます。
それを同じ長い巻物に書かれている方位図に書き込んでいっています。 つづき
書き込んでいったと書きましたが、水野家が書き込んだのかは不明です。
誤りや解読途中のメモなどは書かれていませんでしたので、三枚の銅板の写しのほかに解き方について書かれたものか、
三枚の銅板は謎文、九星魔法陣、方位図の組み合わせだったか、本当は4枚の銅板だった可能性があります。
この組み合わせの銅板の写しであったと仮定すると、九星魔法陣からサヤサヤさんの導き出した解き方に近づくはずですが、
解けなかったのか放棄してしまったようです。 今日、地元蓮田市で、遺跡の発掘をしている人と話す機会があった。
遺跡の発掘をまじかで見るのは初めてで、微妙な土の色を頼りに掘っていくとのこと。
製鉄をした跡があるなど、興味がわく話と、縄文式土器の破片をまじまじと見た。
話が弾み、蓮田から出た甕に入った大量の古銭(A)についての話になった。
165「あれは埋納銭だと思いますね。埋納銭であれば甕はあと5つあるはずかと」
先生「え?・・・実は報道に出ていないんですが・・・Aのほかに2つ埋めてあった形跡があったんです!」
165「おお!やはり!」
先生「どういった理由で6つなのですか?」
165「埋納銭は、風水で6か所に埋めてあるそうです。ある一定の方向に・・・」
先生「埋納銭は呪詛的な目的なのでしょうか?」
165「いやいや。永楽銭などが入っていましたので、災害復興資金かと思います」 先生「一説ですが、戦に向かう前に埋蔵して出かけ、帰ってきてから掘って戦後処理にあてたのではないかと推察しています」
165「それなら、全部掘り出しているはずでしょう。元荒川の氾濫もありますので復興かと」
先生「実は、今回見つかった甕(A)は、地上40cmぐらいのところに埋まっていまして、あと10cm残して掘るのをやめた形跡があるのです」
165「あとひと鍬だったわけですねw おしかったw」
先生「そうなんですよw」
165「今後、発掘範囲を広げる話は?
先生「道路工事の際に、たまたま見つかったのでないです。
165「そうですか・・・あるかもしれないあと3つの行方が気になりますね」
先生「はい」
165「実は私、埋蔵金を探している者なのです。トレジャーハンターです。赤城とか山梨とか」
先生「!?」
165「掘るにはお金がかかるので、まったく進めていませんけどw」
先生「堡塁にはお金と時間がかかりますねw」
165「発掘に大変興味があるので、バイトとか雇っていませんか?w」
先生「ボランティアならw」
165、先生「www」 それと、古墳についてもお話しした。
先生「この辺には古墳が多く、あの辺にも3基ほどありました」
165「(チラ 狭い一角だなあ)あのあたりなら、円墳ですか?」
先生「!?(なんだこいつ?)その通りです。」
165「石室とかありましたか?」
先生「古墳で石室がちゃんと残っているのは数が少ないんです。」
165「・・・副葬品とかは?」
先生「盗掘されていましたが、銅剣が見つかっています」
165「長い時間で石室が露出したりと、古墳だと分かれば盗掘されますよね」
今日は非常に楽しかったです。 >戦に向かう前に埋蔵して出かけ、帰ってきてから掘って戦後処理にあてたのではないかと推察しています。
ここに埋蔵金マニアと考古学者に違いがあったと思いました。
埋蔵金マニアは、滅亡後の御家復興資金
考古学者は、戦争に行く前に埋めて、帰ってきたら掘り返す。
似たような感じですが、埋蔵金マニアは敗軍の将で、考古学者は勝軍の将の視点でした。
戦に行って必ず勝てるとは限りませんが、勝ちを前提にした簡単に掘り返せる深さとなりますね。
埋蔵金マニアは、敗軍の将の視点ですから、「みすみす取られるわけにはいかない」が前提となり、深く深くなってしまうのでしょう。 もう少ししたら、山の中も藪が無くなって探索しやすい時期ですなー。 165さん、山梨・赤城の今の状況と進展は…
よろしくお願いします! (速報)
今夜9時から、BS-TBSにて市原隼人の「幻のスペイン財宝船を追え!第1夜」
が放送されますよ! はいはーい。ちょっと忙しかったけど、落ち着いてまいりましたw
どうしましたか?
>>143のご質問のことかしら?
*山梨
今年は行っていません。><
危険な龍喰、大常木以外の探索なら大歓迎。
幻の露天掘りの跡らしき場所のご案内もしちゃいますよーw
*赤城
掘りたい場所はあるんだけどお金がね・・・><
掘りたい場所が本物なのか?「中」の場所が3つあるので調査を続行中! 近況報告、ありがとうございます。
他に何か面白いネタ、有りませんかね。
よろしくお願いします。 面白いネタかあ
以前に書いたネタですが、
地主の許可がとりやすいと思われるのは、
世良田の長楽寺の枯れた池のかい堀り、
かい堀は、過去にやっているけど、金属探知機使いながらとか面白そう。
住職も山っ気ありそだし、枯れている池を戻したいだろうし話に乗ってくれるかも
それと紹介したブログの池を作るときに出た壺
かなり具体的なんで一発ありそうな気がする
これまたかい堀りw
あと、品川にある寺の池に沈んでいるとされる黄金の観音像
京浜急行の工事の時に池を削った際に手のひら大の土偶が見つかってる。
土偶で当たりなのか、別に観音像が沈んでいるのか調査しても楽しい。
この寺は、墓石の下まで掘り返せるコネありますw まあ、いずれにしろ、どこまで人(メンバー)がついてきてくれるのかと、自主性がどこまであるかですよね。
多くの方が会社員でしょうから、有給休暇使っても土日の探索が中心になりますから、
集まりが悪ければ計画通りにはいきませんよね。
それと、手掘りとしてもスコップなどの道具が必要です。
上記の3個所は、いずれも小さい池なので排水にそうそう時間がとられないと思いますが、
素人がTV番組の見よう見まねでどこまで水を抜けるか?排水の行き先は?などがあります。
業者に水抜きを頼めば、お金がかかるでしょうし、池が原状回復費用するかも素人なのでわかりませんw
このような費用負担をどうするかが問題なのです。
もちろん割り勘ですが、一人当たり10万とかになったときに、
お宝が出なくてもいいことを前提に負担してくれるかどうかですね。 あと、二代目と電話会談をしたときに話にでたのですが、「たたり」が大きな問題ですね。
お宝が埋まってると伝わってて、誰も掘り返していないという場所(過去に書いた)があるんですが、
「たたり」も伝わっているんですよ。
迷信なんでしょうけど、万が一にでもたたられたら嫌じゃないですかw
そこを掘り返してくれる強者が欲しいですよねw 話を繰り返してばかりで申し訳ありません。
気になったブログを無断転記します。
子供の頃から動物が大好きだった私は、近所で可愛いワンちゃんを飼ってた老夫婦が住んでたお家によく遊びに行って、
そこのおじいさんとおばあさんととても仲良くしてました。
おじいさんがお煎餅を焼いてくれたり、いろんなお話をしてくれました。
お茶を飲んでいた時におじいさんが、この家を建てた時に庭に池を作ろうと穴を掘っていたら油紙で蓋をしてある壺が出てきたそうです。
小判が入っているのか、ひょっとしたら人骨が入っているのかもしれないしと、ご夫婦で話し合い悩んだそうですが、
結局、蓋もあけずにそのまま池の下に埋めたままにしてあるそうです。
これは掘りたい! 上記ブログ主にコンタクトをとってみました。
場所が特定できれば、遠方でも訪れてみたいと思っています。
もし、承諾が得られれば掘ってみたいのですが、
さて、どれだけの人がついてきてくれるでしょうか?
昨日書きましたが、
交通費宿泊費は自己負担、排水費用およびその他経費は道具を持っていても割り勘、掘削は人力
※蓋を開ける特攻隊には、総費用の100%OFF(OFF分は他の参加者が負担)
お宝だった場合、警察に届け出て、その後、法律を遵守したのち、余った埋蔵金を現代換算し、ブログ主に3割
残りの7割を参加者に分担でどうでしょうか?
ツボの中身が人骨だった場合、警察に届けて終了。
特攻隊のお祓い費用は、他の参加者で割り勘
その後、祟られてもアフターフォローなし 中二病で申し訳ないが、リスクとしては
のろわれる、たたられる、可能性はあります。 どうなんでしょうね
ツボの蓋を開けた人だけなのか、一緒にツボまで掘った人たちまで及ぶのか、
呪いやたたりは、目に見えないものですから
特攻隊や支援者が呪いやたたりだと思えば呪いやたたりでしょうし
偶然や迷信だと思えれば呪いやたたりではないでしょう そうするとスレを見て心の中で応援してるだけでも祟られるのかな >>429
書き込んでいる人に対して、揚げ足を取るような書き込みをしている「君だけ」
たたられると思うよ。 >>430さん 気にしない気にしない
先日行われた忘年会でも笑いを提供してくれましたw
来シーズンの予定が決まりました。
@山梨の幻の露天掘りらしき跡は、新しい参加者が加わり引き続き調査を続行。
A徳川埋蔵金は、過去に関東グループで場所を再調査するため続行。
B新しい箇所として、山間に眠る梅雪の埋蔵金をやります。
二代目率いる関西グループとの合同「発掘」になります。
すでに事前調査で、岩に刻まれた武田菱を発見済み。
過去の調査結果を踏まえ、ついに辰の口を掘ります!もちろん!出たても闇から闇ですw 揚げ足を取るようで、悪いですが、梅雪も山梨なんですが… 梅雪が謎の死を遂げたせいもあり、梅雪埋蔵金伝説が残っています。
山梨県の龍喰川流域の財宝は、梅雪が移し替えたものだといわれていますが、梅雪じゃないと思っています。
来年手掛けるのは、山梨県の梅雪です。 434さん、165さん、ツッコミ、お返事ありがとう。
塩山に親戚がいるので竜ばみの話は興味深く読ませてもらってました。穴山梅雪は南部のほうでしたっけ。書き込みは難しいかもしれませんが、報告楽しみにしています (速報!)
本日、テレビ BS-TBS 午後7時から、
4K開局SP 「市原隼人 × 黄金伝説A スペイン財宝船を追え」
が放映されま〜す。 見ている限り山梨が多いようですね。山梨の親戚に埋蔵金伝説を聞いても、曖昧な笑いで返されます。現地の人にとってはただの昔話なのでしょう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています