聖飢魔IIの音楽性について議論するのは別に良いが
どんな音楽性に進んでいれば成功だったのかを定義付けるのは意味が無い
というのも聖飢魔IIにとって音楽など「おまけ」だから

有害のライブビデオを見れば分かるが、織田信長だったか何だったかのイントロで
ひたすら「エ〜スゥ! エ〜スゥ! エ〜スゥ!…」と清水の名前を叫び続けるババアの声が思いっきり入っている
(しかもそれを編集でカットしていない=公式でそういう声援が認められている)
MCでは、小暮「今日はお前らを客だと思ってないぜ……恋人だと思ってるぜ」
客「キャ―――!!」

聖飢魔IIが作りたかった世界というのは、↑こういうものであって
それが有害の時点で既に完成されている…つまりかなり早い段階からそういうものを目指していたことになる
そしてコロコロ変わる音楽性とは反対に、そういうものは現在まで一切ブレていない
つまり「そういうもの」こそが聖飢魔IIの本体であって、そこに付属している音楽などおまけでしかない

チンドン屋・小暮の夢を具現化させる形でデビューさせてるんだから
そりゃあそうなるわ