22条の「何人も」という文言は昔から批判があったような気がするんだが、
それはともかく、ふと思いついたのであるが、
戦後、満州とか朝鮮が日本国の支配から脱却したとはいえ、
まだサンフランシスコ平和条約より前の頃であり(憲法公布は1946年)、
満州や朝鮮の人達も日本の国籍を喪失をしていなかったので、
(国籍喪失者となるサンフランシスコ条約は1952年)
彼ら植民地人も視野に入れて、「国民は」とせずに「何人も」としたのではないだろうか。
つまり植民地は国際政治的になくなったとはいえ、個々の植民地人の意識としては
なお日本人と思っている人たちも多く混乱していたので、
その人たちへのメッセージを含んでいた、と。