>>114
その裁判官の話は初めて聞いたが、あんたにレスする前に
俺自身のその言葉の周辺の解釈をまず。

@法というのは完全な公理系であって、世界の本質は全て
その法体系の内部から演繹して導かれるのでは"ない"。
世界の本質がまず初めに存在し、それがうまく機能する
ための補助として後から法体系が生まれた。

Aそれはこのスレの連中にありがちな「法体系の方が上位にあり
ただその(上辺だけの)法的知識を知っているというだけで、
それをこねくり回すだけで
世界の本質をねじ伏せる事が出来る」という考えを牽制するものである。

Bゆえに法がなぜそうあるべきか、そうあり得たかを既存の法体系、
既存の法的論理から離れて見つめ直す事は不可避な
作業である。(蛇足:たとえ立法府が作った法であっても
その法に不合理な点があればそれは無効なのであり
それが3権分立というもののはずだ。)

C既存の法体系から離れるという作業は世界の本質はどうあるべきか
と自問する事であり、そのあるべき姿の答えは既存の法体系の内部には
存在しない。つまり法的判断によって判例が作られるのでなく、
法体系の"外側"から判断された個々の判例を集積したものが法となる。