法哲学/法思想/倫理/日本の思想/世界の思想
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>>38
法学関連で本当に重要なのは、実証研究となじむ
政治学、商法学・法と経済学、刑事政策・犯罪心理学 >>39
規範論にせよ実証分析にせよ
認知科学と人間行動生態学を知らずに至近因ばっかやってたらどうしようもないでしょ 誰かにとって守れない可能性のあるルールを定めてはいけない 伸びないのは実定法云々の前にスレのカテゴリの括り方があまりにバカっぽいからだと思うぜ >>40
まあそうだけど、実定法偏重と司法試験中心の結果が、21世紀になっても
法解釈の妥当性の議論にほぼエビデンス・ベースドが入ってこない遠因であって、
多少はどうにかならないかと。 実証研究の結果を実定法解釈にフィードバックする、というアプローチがもう少し取り入れられても良いかもしれないとは思う。
子どもの面会交流について、アメリカの実務では当初、面会交流に否定的だったが、
ジュディス・ウォーラースタイン(ワラースタイン)の長期実証研究で、面会交流のプラスの影響が明らかにされ、
面会交流を認める方向で実務が変わったのは有名。
独禁法実務でも、アメリカでは、公取が違反を判断する上でエコノミストの意見が重視されるらしい。
他分野の研究が即、法規範の有りように直結するのがよいとは思わないが(経済学では臓器売買を認める方が合理的だという議論あるが(マンキューとか)それは受け入れがたい)、
振り返り(reflection)の機会として貴重なものがあると思う。 >>44
遅延価値割引とか、死んだら効用が帰属しえないこととか、
本人の子供に対する負の外部性も十分に考慮すれば、
臓器売買の話しも(売春でも)パレート改善されるんだから、
あながち不当とはいえないと思うけど。
(例えば、学費のために売春する人が多数いたとしても、それは再分配の問題で、
売春が禁止されている場合よりもパレート改善だし) >>45
経済系の人はそういうことを言うんだよな。
(マンキューは右っぽい奴だからだと思ったら、左っぽいスティグリッツも似たいようなことを・・)
しかし直感的に受け入れがたい。
その理由を俺は上手く説明出来ないが、倫理学とか社会学の人が代わりに説明してくれると思う。 >>46
多分誤解があると思うから付け加えると、自分は左寄りだから、再分配は学費のために売春が行われない水準でされるべき(勿論、本人の動機を外部から観察はできないが)だし、もっといえば給付型奨学金受給権を憲法上の権利にするぐらいのことはしてもいいとは思う。 人は法律の奴隷であってはならない
法律も人の道具であってはならない 身を守る為のイレギュラーな暴力は、どのレベルまで許容されるべきなのか 道徳心理学や神経倫理学よんでると
内省と思考実験にだけ頼ってる哲学的アプローチがオワコンにみえる
自然主義に屈しろとは思わないが、自然主義的研究をふまえて規範分析したらいいのに 大脳生理学的に道徳を基礎づけよう、相互交流しようというのが最近の哲学の1つの流れだからね
ただ、どこまで到達するかはわからないよ 各規範理論が仮定している人間本性自体を検証することで、昔ながらの神学論争は回避できそう
もちろん新たな神学論争が勃発する可能性もあるけれど 不道徳な事実も、事実は事実と踏まえて、それを前提に規範分析するしかないのにな。 事実を直視すると飯の種がなくなる人もいるからしょうがない
社会決定論的なジェンダー研究とか焦土と化してしまう >>56
べつにジェンダー研究してる人だって、統計学とかもちゃんと勉強して、どういう政策をとったら男女間で格差原理にかなうか提案するべきっていう話だろ。 >>58
(進化論は否定しないけど、進化論を援用する研究は根拠薄弱であんまり好きじゃないんだよな。。。) 非科学的な神道信者と人権思想信者。争いは同じレベルの者どうしの間でしか起こらないって、はっきり分かるもんだね。 上場企業の求人(2014)
合計11万
理系4万
文系1万
指定無し(営業など文理を区別しない職種)6万
就活生の総数56万人
理系22万人
文系34万人 関与罪を毒親に
放置罪をネグレクト親に。老害罪を鬼女に!!
『家族という病』という稚拙ながらも個人の思うところの本に『家族』を過度に守る法律面に通じるような描写がありました。
日本という国の家族に対する無関心さが見えたりはたまた過度な労働を押し付け合う農家の人が見えたりさまざまですが、
家族の中に戦争がある毒親や発達障害持ちの親や『子供をころしてください』という本に書いてある通り子供をころしてほしがる親に対して子供はどう対処したらよいのか?
法学的に厳罰に処す社会の対応が見もの。 超音波テロの被害にあっています。
卑劣極まりない被害にあっています。
何が起こったかわからないときから、
わかってみれば、
まだ世の中に知られていない超音波テロ。 世の中のどれだけの音の振動源・発信源が
使用されているのかわからないが、
多数の振動源・発信源がシステム化され、
ネットワークを通して、
超音波・音波を集中させて
対象を攻撃するらしい。 人や社会が襲われ、罪もない人が超音波で襲われ、
卑劣な被害にあっています。
聞こえる声、音。超音波テロの加害者の声。
「もらいました」という声とともに、
形のあるもの、ないもの、奪っていき、壊していく
超音波テロの加害者の声。
聞こえる声、音。超音波テロの加害者の声。 超音波による物理的な力で、
ものが飛び、ものが壊れる。
それが人間の体に対してまで。
身体の表面を突き抜け、内臓を攻撃される。
頭蓋骨を突き抜け、意識を失わされる。
聞こえる声、認識できない声で、精神的なダメージ。
人間の体を壊そうとする超音波テロ。 日本国中、どこにいても超音波で襲われる。
車に乗っている人間が襲われる。
歩いている人間が襲われる。
自宅で超音波の攻撃を受ける。
被害を訴えても信じてもらえない。
罪もない人間が超音波で襲われる。 「見続けるのがいやだから、殺して終わる」、
「証拠隠滅だ」という超音波テロの加害者の声とともに
強烈な超音波の攻撃。
叫ばされ、いたぶられ、
超音波テロの卑劣な被害にあっています。
心の底から被害を訴え、祈っています。
天に神に届きますように。 これであってるかな、みなさん。
「法の概念」 ハート
25位/241作品。翻訳小説SF以外。
法は命令である。
法律は正義ではない。だから、邪悪だからといって法律に違反するわけではない。
法と道徳の関係性で証明されたものはひとつもない。
国内法と国際法は別々に発達してきた。国際法はうさんくさい命令である。
道徳的根拠がある場合にのみ法律が意味をなすという主張は誤りである。
法律が不完全なものであるという認識を明確にしている点は高く評価できる。
運用もその方が効率がよいであろう。
法の代行者は、正義の代行者にあらず。ただ世の中がそうなっているのである。 >>6
ブラクトン曰く「國王はいかなる人の下にも立つてはならないが、~と法の下に立つべきである」とし、英國に於ける「法の支配」の原則を確立した。
「法」とはコモン・ロー(國體・規範國體)の事であり、國の共通的一般慣習法であり、世襲の法理などに支へられた「永遠の眞理」として、人間の意志を超越した~の啓示であるとする。
「創造された法」ではなく「發見(確認)された法」であつて、傳統的な慣習は法たる效力のある慣習(慣習法)であるとする。
是はこそ英國に於ける最高規範たる「國體」の事である。
「布告事件(1611)」に於て「國王は布告などによつてコモン・ローのいかなる部分も變更出來ぬ」と判決した。
ソクラテスの言葉とされる「惡法も亦法なり」とする實證法主義を眞つ向から否定し、「惡法は無效なり」とする「法の支配」を宣言した判決である。 >>6
コーク曰く「國王大權は法(コモン・ロー)の一部であつて主權に非ず。」
「主權はマグナ・カルタやその他の總べての制定法を弱める。」
「マグナ・カルタに主權者は居ない。」
「法(コモン・ロー)を超越する主權を國王に附與すれば、法による權力(power in law)は實力による權力(power in force)に取つて代られる。」
「自由は權力を制限する事に因つて體現出來る者だから、主權を附與された權力に對して是を制限する事は不可能となるので、自由の侵害が生じる。」
・・・日本の憲法学者がいかに「法の支配」を知らないか、その実態を清宮四郎の『憲法T』(有斐閣)を例として示そう。
次のように、立法という公権力の働きを古来からの遥やで制限するという「法の支配」とは何の関係もない、「個人の尊厳」を最高の価値と認めるとか、「個人の基本的人権を憲法で保障する」とかといった、まったく別次元の、出鱈目な話に変造している。
『本来の〈法の支配〉は、個人の尊厳を最高の価値と認め、法(法律のこと?)も国家もそれに仕えるものとみなし、それにもとづいて、個人の基本的人権を憲法で保障し、……裁判所の権威によって、右の保障を確保しようとする』(注1、カッコ内中川)。
日本の憲法学者のなかでめずらしく良識を堅持した美濃部達吉ですら、
「法治主義(rule of law,Rechtsstaat)とは国家の統治権に依り、人民の意思を規律しその権利義務を定むることは立法権のみ……」(『日本国憲法原論』、注2)と、「法治主義」の定義をそのまま、rule of law(法の支配)のことだと勘違いをしている。
たしかに日本の憲法学者で、「法の支配」を理解するためには欠くことのできないコーク、ヘイル、ブラックストーンらの著作を、手抜きせず真正面から読んだ形跡のある人物は皆無である。
美濃部ほどの学者すらそうであるから、日本では「法の支配」について何のことだかさっぱりわからないのは当然であろう。
要するに、これほどに異様な事態に陥ったのは→日本の憲法学界が基本的に英米法を排斥して、ドイツの三大社会主義憲法学者-----イエリネック/カール・シュミット/ケルゼンーに依拠してその論を立てるという、偏向をきわめた学風の永年の積弊による。
加えて、大量殺戮の狂人ロベスピエールが制定した「一七九三年フランス憲法」(未施行)に心酔する憲法学者すら危険人物とはせず日本では放置されているのだから、それらと対極の思想軸にある「法の支配」が、憲法学界から徹頭徹尾拒絶されるのは当然だろう・・・ >>74 ぼくにはハートが「法は命令である」に反対しているとは読めなかったんだよなあ。
反対意見もあると書いただけで。 半年以上前のレスを批判するのもアレだが
反対意見なんて“全く”無いだろ
どんな『法の概念』概説にも必ずハートは法実証主義の擁護者で
古典的な自然法論の法命令説を批判したと書いてある
そうでないという論文があるなら出典をきちんと書いてくれ
ようするにオースティンの法命令説は「あらゆる法は強制命令である」と主張で
ハートは「法には命令(義務を賦課するルール)以外にも権能を付与するルールが存在する」といっている
二者がともに法の強制命令的性質を認めるからといって論理学的にはこの2つの主張は両立し得ない 集団ストーカー・電磁波犯罪被害の科学的根拠及び、技術上の根拠は以下のアドレスへ
http://jbbs.shitaraba.net/study/12517/ http://live.fc2.com/44408670/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:e0d4793365125e4bd37cad56cd2ee290) 秋葉原通り魔事件で逮捕された加藤智大さんは犯人ではありません。
この事件を詳しく検証した下の動画を見ていただければ加藤さんが
冤罪であることは明らかです。 皆さんの目で一度確かめて見て下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=OD87ETBXMKY
※どうやら秋葉原通り魔事件の真相を世間に知られたくない輩が上の動画の信頼性を損なわせることを目的として
youtube評価の「よくない」の方に毎日一票か二票ずつ投票するという粉飾工作をしているようです。
すでに事件から何年も経過しているのになぜ今になってそんな工作をするのかは不明です。 イギリスの主権概念(最高意志決定権としての主権)について質問があります。
イギリスといえばダイシーの議会主権論が有名ですが、この論は大陸の人民主権論や
君主主権論に対抗するために唱えられたにすぎず、そもそも英(米)法においては、
最高意志決定権としての主権という概念はないというのが私の理解なんですが、
やはり私はおかしいのでしょうか? 中川八洋の本読んでたら俺が高校時代にぼんやりと
考えていたことと同じことが書いてあってびっくりした。
やっぱりベンサムやルソーなどが全体主義を招くと考える人もいるのね。
大学で法学部にすすんで法哲学とったらいきなりジョン・オースティン
の主権者命令説なんて教えられてびっくりした。こんな独裁思想ありか?ってね。
講師もベンタム礼賛ばっかりしてたし。 社会契約で法律は守られると言っても契約に何故従うのか
自分の意に添わない契約には従わない
そうなったら社会契約は成立せず法律は規範として成立しない
人々は法律を守らない、約束を守るは個々の約束からは出てこない
自然的な摂理だから法は守られるの自然法思想は現にそう考えずに
法律を破る人がいる時点で説明になっていない
ベンサムやオースティンがカリスマなのは一応そのことに説明つけたように見えたから
法律を守るのは社会全体の効率性を増やすからだよ、社会全体では得するからだよ
主権者がこれを守った方が社会にとっては得だから従えと強制するからだよ
天下りな自然法ではなくちゃんと人間の立場から法が規範として何故成立したか
人々が何故従うのか説明してみせたからすげぇと騒がれた
でもちょっと考えればそれも説明になっていないのはすぐわかる
自分の利益になる法律はそりゃ従うだろう
でも自分の利益が損なわれる約束には従わない、約束は結ばない守らない
同じ社会の一員にはならないだろう
主権者として抱かない同じ社会をつくらないだろう従わないだろう
ハートは主権者の命令だからって人々は従わないだろう
合法と人々が判断できる手続き、立法だ、変更手続きだ裁判だ
承認しやすくする二次ルールがあると分析ツールを増やして
法哲学者の仕事を増やし業界の利益を増やしてアイドルになったが
これも何で意に添わない約束を人が守るのか
何も説明していない
馬鹿じゃなかろうかと 約束は作為の契機でも約束は守らねばならないは作為の契機では説明できない伝統であり慣習であり自然である
約束は何故守らねばならないか
それは約束自体からは出てこない、約束を守れば自分の得にならない、破れば得になりうる状況で、約束は守らねばならないは功利性等からは基礎づけられない
約束は破られる、それでも約束は守る、それで相手がどう応じるかこちらには決められない。それでもやり約束の履行を広げていく、そういう積み重ねがあってはじめて成り立つ
自分の意に反する契約であっても結ばれたなら従う、それが成り立たないなら社会契約は成立しない
その意味で法が万人に成立する近代社会は異常で伝統的な社会の武力なり宗教的権威の届く範囲で法が成り立つが正常
町奉行は町人や浪人を、武士はそれぞれの大名を、寺社は寺社奉行が管轄する伝統的権力が正常
将軍は大名は臣従させられても大名の家来は将軍の家臣ではない
ケルゼンという法実証主義者は民主主義を最善とする
相対的な選択の可能性こそが選択肢を増し豊かな未来を可能にすると
議会制民主主義、公開の討論、野党の存在、小数意見の尊重
カール・シュミットは議会は公開の裏で取引の場で無責任なお喋りと実行する気のない言論だけ撒き散らし社会に分裂を強いる、決められない政治の場にすぎない
憲法制定権力の絶対の決断こそが分裂や議会の腐敗堕落を阻止して決められる政治を可能にする
それは自由主義じゃないにしろ議会制民主主義よりこちらの方が民主主義だと
カール・シュミットやハイデガーは浮薄なお喋りや言論や数値まみれの取引よりもナチスの決断とそれへの連帯こそが真の民主主義だと言った
でも決断するからとそれが約束を守れるようになるわけでもない
約束を守るは作為の契機ではなく人為ではなく、そこにはない伝統、慣習、自然だ
何故、自分にとって損なものでも約束に社会契約に従うか、多数意見だからと言って意に沿わない少数意見の人間が従うのか
それはシュミットの決断でもケルゼンの選択肢の多さでもない
シュミットは論外としてもケルゼンも少数意見が議会で展示閲覧されるからとそれ自体は少数意見の尊重でも少数意見の尊重の契機でもないから間違い
それは多数意見であっても一枚岩ではなく更に少数意見を取り込んだり一分多数意見を切り捨てでも取引したり
多数意見と少数意見の分断対立を超えて相互に働きかけ枠を超えられるから
少なくともその可能性があるから、議会制民主主義は取引と汚職ができるから
完全な競争万能弱肉強食のレッセフェールでも完全な分配の平等でも反競争でもない議会制民主主義と資本主義はその中間で取引ができる
表の公開討論では綺麗事を並べながらできること出来ないことを整理して取引できる
一回だけならともかく延々繰り返される立法過程の中で取引の過程は無限にある
金持ちと貧乏人のどちらの立場で分裂せずにどちらにとっても得になりうる形で妥協できる
金持ち優遇のレッセフェールの筈の自民党が土建国家と福祉国家で高度成長と所得分配をやり野党の政策をパクリ汚職した金を野党に回し貧乏人も儲けさせる
二大政党にはそういう傾向がある
ばらまきやりすぎて競争の足を引っ張っては当然いけないがばらまきや腐敗汚職が多数派にも少数派にも良い結果をもたらす、それが事実としてある
完全なレッセフェールでも完全な競争否定社会主義でもないということは裁量が利くわけでそれは汚職し与野党でプロレスし取引できるということ
一回だけではないエンドレスな立法過程の中で
角栄が金を集め金丸が野党に金を配りながらいつの間にか野党の政策を実現する
社会契約に戻ると約束を今は果たされなくとも守ろう、少数意見と多数意見の対立を越えたもっと大きな融和が双方への利益をもたらすから社会契約に従う、約束は守らねばならない
議会制民主主義と資本主義にはそういうメカニズムが内包しているから
その為にはワイマールや大正デモクラシーのようにある程度の腐敗堕落非効率と時間の手間を容認せずに決断を求めないことが必要でそれを容認できないとファシズムに突入する
議会制民主主義は腐敗を汚職を前提にしてだからこそ社会契約が有効に機能する、そういうメカニズムを内包しているから それはシュミットの決断でもケルゼンの選択肢の多さでもない
シュミットは論外としてもケルゼンも少数意見が議会で展示閲覧されるからとそれ自体は少数意見の尊重でも少数意見の尊重の契機でもないから間違い
それは多数意見であっても一枚岩ではなく更に少数意見を取り込んだり一分多数意見を切り捨てでも取引したり
多数意見と少数意見の分断対立を超えて相互に働きかけ枠を超えられるから
少なくともその可能性があるから、議会制民主主義は取引と汚職ができるから
完全な競争万能弱肉強食のレッセフェールでも完全な分配の平等でも反競争でもない議会制民主主義と資本主義はその中間で取引ができる
表の公開討論では綺麗事を並べながらできること出来ないことを整理して取引できる
一回だけならともかく延々繰り返される立法過程の中で取引の過程は無限にある
金持ちと貧乏人のどちらの立場で分裂せずにどちらにとっても得になりうる形で妥協できる
金持ち優遇のレッセフェールの筈の自民党が土建国家と福祉国家で高度成長と所得分配をやり野党の政策をパクリ汚職した金を野党に回し貧乏人も儲けさせる
二大政党にはそういう傾向がある
ばらまきやりすぎて競争の足を引っ張っては当然いけないがばらまきや腐敗汚職が多数派にも少数派にも良い結果をもたらす、それが事実としてある
完全なレッセフェールでも完全な競争否定社会主義でもないということは裁量が利くわけでそれは汚職し与野党でプロレスし取引できるということ
一回だけではないエンドレスな立法過程の中で
角栄が金を集め金丸が野党に金を配りながらいつの間にか野党の政策を実現する
社会契約に戻ると約束を今は果たされなくとも守ろう、少数意見と多数意見の対立を越えたもっと大きな融和が双方への利益をもたらすから社会契約に従う、約束は守らねばならない
議会制民主主義と資本主義にはそういうメカニズムが内包しているから
その為にはワイマールや大正デモクラシーのようにある程度の腐敗堕落非効率と時間の手間を容認せずに決断を求めないことが必要でそれを容認できないとファシズムに突入する
議会制民主主義は腐敗を汚職を前提にしてだからこそ社会契約が有効に機能する、そういうメカニズムを内包しているから いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
少しでも多くの方の役に立ちたいです
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
IPHAL 多弱野党が騒いでいた加計学園問題の発端は官僚の勝手な「告示」だった。
それも、獣医師団体からの要請で行なったことだった。なおかつ資本家なのだ。
さらには岩盤規制突破による団体の意見を聞いて「1校に限る」とかの告示を出しやがった。
実際これは社会主義での地獄を生み出した「計画経済」でしかなく、
さらに資本家を優遇した結果であるし、歯科医師とか弁護士団体も同様だ。 ☆超人に関する思考実験
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/rikei/1546290997/
エジプト文明最盛期にはヒエログリフが読める者が超人であった
中世ヨーロッパではアルファベットが読める者が超人であった
近未来の地球社会では認識力・分析力・推理力に優れ10手・20手先を読める者が超人と呼ばれるだろう
自然に産まれる超人もいるだろうし
生命操作で産まれる超人もいるだろう
超人にとっては生命倫理など価値なんかない 特殊な炭素素材で水を水素と酸素に分解 ゼビオHDのグループ企業、クロステクノロジーラボが開発 人を奴隷として扱う者こそ、奴隷として扱われるにふさわしい。
生きものを物として扱う者こそ、物として扱われるにふさわしい。 アルファベットは遺伝子や血統に刻まれている気がする。 倫理ってさ、自然法ベースだとレイプは倫理観内なのか?
子供の虐待も
野生動物もレイプしたり子供間引いたりあるだろ?
いじめもあるだろ?
人間特有だなと感じるものはなかなか見つからない あったわ
ペドだ
小児性愛は人間特有じゃないか?
動物は赤子犯さないだろ 法学者って、日本語でしか研究しないから、それが日本文系の学問水準を抑えているよね。消えてほしい。 学閥の強い大学トップ10
PRESIDENT 2017年2月13日号
01位 慶應義塾大学
02位 東京大学
03位 京都大学
04位 一橋大学
05位 早稲田大学
06位 東京工業大学
07位 大阪大学
08位 東京理科大学
09位 同志社大学
10位 明治大学、中央大学 NHK教育を見て65074賢く修正 アリストテレスの倫理学 人生のすべては、法や、地位、規則には費やされず、自由意志と快楽に従うもの。
起きたい時に起き、食べたい時に食べ、飲み、働き、寝る。
誰も起こす者はなく、誰も食べることを強いず、他にすることは何もない。
なぜなら、人々は自由で、家柄が良く、育ちが良く、仲間に誠実なため、
自然に生まれ持った才能を持ち、美徳の行動に拍車をかけ、悪徳から身を引き、高潔と呼ばれるからだ。
人の本質は、禁止された物事を切望し、拒否されたものを欲するのは道理に合っている。
汝の意志することを行え。
「これが正しい」という基準などない。倫理とは戯言である。
それぞれの星は独自の軌道を行くべきである。「道徳原理」などはどこにもないのだ。
自分自身の法によって生き、 自分の意志するやり方で生き、 自分の意志するままに働き、
遊び、休息し、 自分の意志する時に自分の意志する方法で死に、
自分の意志するものを飲食し、 自分の意志するところに住み、
自分の意志するままに地上を動き回り、 自分の意志するままに考えよ。
自己の自主性を確立せよ
他人の意志を妨害することを避けよ
犯罪とは自己の真の意志の侵害となることである ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています