とりあえずアメリカ大使館から法の支配の概念だけ
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-principles8.html
人類の歴史の大半にわたって、支配者と法律は同義語であった。法律は、支配者の意志に過ぎなかったのである。
そうした圧政からの決別の第一歩が、法の支配の概念だった。そこには、支配者でさえも法の下にあり、法的手段に基づいて支配すべきである、
という概念も含まれていた。民主主義は、この法の支配を確立することによって、さらに前進した
何の問題もない社会や政治制度などは存在しないが、法の支配は、政治・社会・経済上の基本的な権利を保護する。
そして、専制政治と無法状態以外にも道があることを気付かせてくれる。

法の支配とは、大統領であれ一般市民であれ、いかなる個人も法を超越した存在ではないことを意味する。
民主主義政府は、法を通じて権限を行使し、自らも法律の制約を受ける。

法律は、人民の意志を反映すべきものであって、国王、独裁者、軍人、宗教指導者、
あるいは勝手に政党を名乗る集団の気まぐれを反映したものであってはならない。

民主主義国の市民は、社会の法律に進んで従う。それは自分たち自身の規則や規制に従うことを意味するからである。
正義が最もよく達成できるのは、法律に従わなければならない当の人々が、自ら法律を定めた場合である。

法の支配の下では、独立した強力な裁判所制度が、最高指導者も含めた政府関係者に対して、
国家の法規に関する説明責任を果たすよう求める権限、資源、および権威を保持しなければならない。

このため、判事は、十分に訓練され、独立した、公正な専門家でなければならない。
法律および政治制度の中で必要とされる役割を果たすため、判事は、民主主義の諸原則に忠実でなければならない。

民主主義国の法律の出典は、成文憲法、成分法や規制、宗教および倫理上の教え、文化的伝統や慣習など、
さまざまである。しかし、法律はその由来が何であれ、市民の権利と自由を守るための、次のような一定の規定を明記しなければならない。

法の下での平等な保護という要件に従い、法律が特定の個人あるいは一集団だけに適用される内容であってはならない。

市民は、恣意的な逮捕や、不当な家宅捜索、あるいは個人財産の押収から保護されなければならない。

犯罪の嫌疑を受けた市民には、迅速な公開裁判を受けるとともに、告訴人と向き合い、質問する権利がある。たとえ有罪判決を受けたとしても、
残虐あるいは異常な刑罰を科してはならない。

市民に、自らに不利な証言を強制することはできない。この原則は、市民を威圧、虐待、拷問から守り、警察がそうした手段をとろうとする誘惑を大幅に減少させる。