.
黒澤明の三船評。<(『七人の侍』で)農民がぶんどったものを担いできて怒られるとこがあるでしょう。そのなかで三船が泣くんです。そのとき、『おれ本来は百姓なんだから、泣くとき青っぱなたらしていいですか』というわけ。
そんなこといったって、うまく出てくるわけない(笑)。『まあ、やってごらん』といってさ、そうしたらほんとに出てくるんですよね。青っぱなが。それですすり上げたりね。・・・すごいよ、ほんとに出すんだもの>。
「三船敏郎がマクベスを演じたらどうなるか。黒澤のこうした発想から本作(『蜘蛛巣城』)は発展していった。・・・本作は、三船が演じる鷲津武時の首に矢が突き刺さるクライマックスでも話題を呼んだ。
・・・三船もこの撮影は相当にプレッシャーを感じたようだ。なにせ本物の矢を射られるのだ。恐怖を覚えないわけがない。
・・・撮影の前日の夜はうなされて眠れなかった、とのちに複数のインタビューで答えている」。
「(『無法松の一生』で)三船は松五郎がたたえる豪快味と背中合わせにある孤独な男の哀しみを巧みに表現した。ときおり現れ出るユーモアも旨味をかもした。
それが絶妙なペーソスとなった」。
「(『隠し砦の三悪人』の撮影が佳境を迎えていた時、大型台風のため)東京の世田谷区では入間川が洪水となり、三船の自宅がある成城近隣地帯も水没した。
三船は近隣の水に浸かった世帯の取り残された住人18名を、自宅のモーターボートを繰り出して成城警察署の署員と力を合わせて救出したのである。
後日、消防庁が感謝状の授与式を大々的に行おうとしたが、三船が固辞し、マスコミにも公表されなかった」。

「『用心棒』で三船が見せる殺陣のすさまじさは、日本映画史に刻まれるものとなった。
・・・(第22回ヴェネツィア国際映画祭主演男優賞を獲得して)自分を支えてくれている周囲の人々にまで想いを馳せる――。いかにも三船らしい言葉である」。
「(黒澤によれば、『椿三十郎』の観客の度肝を抜いたラストの決闘シーンの)殺陣には三船のアイディアが多く採り入れられた」。
黒澤の発言。<『椿三十郎』の時、加山(雄三)たち若いのがお疲れさまの後、ラーメン食いたいって言うので、取ってやったんだ。
そうしたら次の日、三船が血相変えてボクのところに来て、『ああいうことしちゃ困ります。
スタッフの人たちだって寒くて、疲れていて、皆ラーメン食べたいんです。あいつらだけ甘やかせちゃ困ります。やめて下さい』って言われちゃってね。
・・・そんな風で、仕事に対してはマジメでスタッフ思いだから、皆に好かれてね。だからよけいに、良い演技も出来たんだと思うね、そういうことはとても大切なことだから>。
この件(くだり)を読んで、三船をますます好きになってしまいました。そして、そういう三船を認めていた黒澤も。
『天国と地獄』で共演した香川京子の三船評。<三船さんがつねにその役になりきっていらしたから。頭で考えるという観念的な芝居ではなく、体でその役を表現される。
大変な努力家でいらしたけれど、それを表には出さない。CMで『男は黙って・・・』というのがありましたでしょう。まさに、あのとおりで『黙ってやるべきことはやる』っていう方でした。
体全体で自然にその役になりきっておられるので、私はそれについて行くだけ>。

三船の黒澤評。<脚本ができあがってから、いろいろ外部から妨害されることもあるが、そんな夾雑物を敢然とはねのけ、妥協しないところが黒沢脚本の真骨頂である。
勇気があるのだ。つねに社会正義がその底に流れているからだ。黒沢さんはチーム・ワークを重視する。
・・・脚本を書きはじめる段になると、役者だけでなく、カメラマンや大道具、小道具のスタッフ、あるいはスクリプターにまで集まってもらい、こんどはこんなものをやってみたいと話してくれる。
みんなが納得しないものはやらない主義である。関係者の呼吸が合っておれば必ずよなのい作品が生まれる。黒沢さんが心がけているのは『完全な映画を作る場』ということではないだろうか。
わたしが撮影に入る前、セリフを全部おぼえていくのは、こうした黒沢イズムのなかに溶け込もうとする気持ちもあった。
他の人たちがわたしに向かって『あんたは根性がある』などといってくれるが、わたし自身は根性には程遠いものだと思っている。根性でなければなになのか。職業意識である。
とてもわたしはひょんなことから役者の世界へ飛び込んだ。人間は自分に与えられた職業を通じて世の中のために少しでも尽くさなければならない。それが人間の義務である。だから、わたしは役者という職業に徹しようと努力しているだけである>。

三船敏郎という役者、三船敏郎という人間を深く知ろうとするとき、欠かせない一冊です。