>>337
>「ある存在の有無」を議論しているのではなく
>(すでに存在する)「人権法案の条文や法務省QA」の「内容の価値」を議論しているのだよ。
ガチで日本語大丈夫か?
俺が言っているのは「QAの有無」ではなく、「QAの妥当性の有無」なのだが。

言い方を変えれば、「QAの信用性の有無」だ。
たとえばだ。科学論文には必ず出典が示される。
この出典は何でも良いというわけではなく、「信用に足る情報源」でなければならない。
たとえば2chやwikipediaを出典にしたら失笑を買うだろう。
具体的に言えば「他の科学論文」を「出典」にしなければならんわけだ。

文系分野においても、自然科学ほどの厳密性は求められないにせよ、「信用に足る情報源」は当然に必要になるだろう?
法学で言えば「判例」なり、「法学者の書いた論文・教科書」なりだ。
ではさて、法務省のQAは「信用に足る情報源」「判例や法学者の教科書・論文に匹敵するほどの信用度がある」と言えるかどうか?という話だ。
まず君が「法務省QAは信用にたる情報源である」ということを証明した上で、「QAにおかしな点があるならば証明しろ」と俺に求めるならわかる。
しかし君は「QAが信用に足る情報源である」ということを証明しないまま、
「QAに反対派の危惧することは起こらないと書かれている。だから反対派の危惧することは起こらない。おかしいというのならばQAが間違っているということを証明せよ」と言っているわけだ。

このような論法が通るのならば
「聖書が信用に足る情報源である」ということを証明しないまま、
「聖書に神様は存在すると書かれている。だから神様は存在する。おかしいというのならば聖書が間違っているということを証明せよ」という論法も通ってしまうな。