法解釈は観念の操作なので、ある意味ではどんな結論を導くこともできるが、
しかし、肝心なのはそれが人の「信」を得られるかどうかであって、そこでは歴史や言葉への誠実さが問われることになると思う。

9条解釈論は1項2項の各学説の順列組合せでいろいろな結論パターンを生み出せるけれど、
歴史や言葉(そこにやどる精神)からみてどれがもっとも信頼できるものかが問われることになる。

さて、
>しかし、法律用語は必ずしも国語的に解釈すべきものではない。ここがポイントであり、非常に強調したい部分である。

これはある意味正しいが、間違いでもある。
法解釈は、解釈が文言を離れるほど説得力が乏しくなるのは否めない。

9条についていえば、2項「陸海空軍その他の戦力」とは普通の言葉の意味で考えて自衛戦争のための実力組織をも含むものだろう。
憲法はあえてそのような「戦力」という言葉を使っているのであって,それを換骨奪胎するような解釈には、これに関するその相当に説得的な論証が必要だろう。

他方、国際法上、個別国家に認められるのは,個別的自衛権と集団的自衛権だが,日本国憲法上,個別的自衛権も集団的自衛権も認められ,そのための軍事組織も認められるのだとしたら,憲法に「第9条」をわざわざ定めた意味がほとんどないことになってしまう。

“自衛権が認められるから,憲法が禁ずる「戦力」を限定的に解釈しよう”という発想に基本的に無理がある。