確かに、憲法の条文を表面的に解釈するなら、自衛権を担保するための相当程度の実力組織の保持も違憲になるだろう。僕も高校生の時まではそう思っていた。
しかし、法解釈は、部分部分を取り上げて断片的になされるべきものではなく、
他の条文との関連やその法全体の精神、さらにはその法の制定のいきさつや立法者の意思、
そして法全体を敷衍する実質的意味の法全体を総合して解釈すべきものである。

これは>>75で述べた英文翻訳技術と共通する部分である。
一つの文ごとに原語を解釈してそれに忠実に訳していたら、とんでもない誤訳になることがある。
とりわけその文に、その原語が話されている地域特有の社会通念や慣習や表現法などが深く反映されている場合は顕著である。
よく逐語訳か意訳かという議論がなされるが、大切なのは著者が何を言いたいのかをくみ取り、その意図から外れることなく、その真の意図に沿ってできるだけ分かりやすく自国語に置き換えることである。
受動態を能動態で訳すといった誰もが知っている単純な問題ではない。
こうした手法は決して原文の巧妙な改ざんではなく、学問的に認知されている翻訳の真髄であることは、少なくとも外国文学を専攻した者なら誰でも分かるだろう。
この部分をわきまえていない者は翻訳家としては問題である。

法学も同じである。「木を見て森を見ず」的な解釈は決して正当とは言えないのである。
法学ではその点を一通り勉強しているはずだ。