このスレから何度か身を引こうと思ってそのことを述べたこともあったが、ここまで議論が深まるとは思わなかった。

ところで山口元最高裁長官が集団的自衛権限定行使違憲論を主張したが、法的根拠に値するものは示していない。
氏は、従来の憲法解釈が長年定着して慣習化したので解釈を変えるべきではないという趣旨のことを言っているが、
これは従来の解釈の合憲の根拠にはなり得ても、解釈変更を否定する根拠にはならない。
論者にはそうした区別ができていないようである。
長年定着していた重要判例が時代の変化に伴って変更されることもあるが、論者の論理だとそうした判例変更も違憲ということになる。
一部のマスコミはまるで最高裁の見解であるかのように報道しているが、一個人しかも元判事の意見にすぎないのは言うまでもないこと。

法文は必ずしも国語的に解釈しなければならないものではないことは繰り返し述べてきたが、
法学部関係者以外の人を対象にもう少し補足しておく。
憲法第三章表題には、「国民の権利及び義務」とあるが、権利の性質によっては外国人にも適用される。
20条は政教分離を規定しているが、かかわりを全く否定しているわけではない。
21条では、「その他一切」の表現の自由の保障が規定されているが、すべてが許されるわけではない。
41条では、「国会は、国権の最高機関」とあるが、行政府や司法府に法的に優越するものではなく、民主的基盤を有する国会が重要な国家機関であることを政治学的に述べたものに過ぎない。
このように法文を国語的に解釈しない例はいくらでもあるのに、
国語的に自衛力は憲法が禁じる「戦力」に含まれるので、自衛力保持は違憲であるという主張は、正直言って法学の素養を疑う。