あたりまえ意識は大切だよ。個々の人間の「あたりまえ」はまったく違うものだけれども
マクロでみれば一定の範囲にあるんだ。それだからその境界線を学者なり議員なりが
輪郭を描き取ってくることで国法なるものが出来上がる。そこを明白に逸脱したものには
ただ「理」だけがあって「道」がない。天皇主権や天皇独裁は現代のあたりまえ意識において
「道」ではないが、かつては本道であったし、現在もこれらに「理」をみるものも多くある。
そして真正護憲論は現代の「道」にもかつての本道であった「理」にも沿うていない、たんなる
私理に写るのよ。