明治維新じたいが天皇の主催によるものじゃないからな。
討幕の当初から一貫して天皇は無答責かつ無責任という
立場が一貫して保持されていたのだから、維新が成り太政官が
復活したからといって親政がいきなりおこなえるようなものではない。
これは明治以降の「親政」派と「親裁」派という対立につながっていく。
三条や岩倉ら旧貴族派は天皇による親政を望み太政官政府に
反抗的な在野勢力もそれを支持することで「君側の奸」を除去しようと
したが、現実に明治新政府が直面した近代国家としての新日本の政治は
天皇が「親政」できるような簡易なものでなく膨大な行政・法令・外交実務が
あり、明治10年頃にもなれば「親裁」派が勝利することになる。
天皇は報告を受け、質問をする。その質問のようすから天皇の真意を
忖度するシラス政治の確定である。