日本の憲法学界は倉山満氏の憲法学へ反論しないのか [転載禁止]©2ch.net
唾棄すべき「東大憲法学」の名の下に、好き放題で品性も欠いた攻撃の矢を放っています。
しかし倉山氏が帝国憲法と日本国憲法の本質的な差異を理解しているようではない。
本格的な反論本を一冊ぐらい上梓して反撃する気力もないのだろうか? >>106
>>104は完全な誤である。
美濃部博士は>>104のやうな縡は何處にも述べてはゐない。 >>106
主權と統治權とは權力を表す詞としては共通してゐる者の其の意味するところの概念は全く別である。 占領憲法とは
「革命憲法」「クーデター憲法」と同樣に「占領憲法」も從來の憲法とは無關係に――
否、寧ろ從來の憲法の一貫性を破る縡を眞の目的として、全く新しく作られる者ではあるけれども――
其にしても前二者との閧ノは非常な相違がある。
先づ第一に「制定者」である。
「革命憲法」「クーデター憲法」に於いて其の制定者は從來權力の座にあつた者と無かつた者との相違はあるにしても、
孰も其の國の人であつたのに此の「占領憲法」の場合は外國人である。
外國人と云つても外國の正規の軍隊、正確に云へば占領軍司令官たる軍人である。
此の占領軍司令官が被占領國の既存の憲法を廢棄して、其の一存に因つて新憲法を作り、之を以て被占領國の新憲法とするのである。
從來も戰爭の結果、戰勝國が戰敗國の領土の一部亦は全部を領有する縡となり、其の新領土の在來の憲法を排除して、
戰勝國好の憲法を―― 大抵は一部の留保附ではあるとしても―― 行はせる縡は無いでは無いが、其は「戰爭終了後」の縡である。
爰で問題になつてゐるのはまだ「媾和條約締結前」即ち「戰爭中」であつて、自國の領土とはなつてをらず、
占領中に過ぎぬ明かに他國の領土を、其も其の領土の一部では無く全體を支配する爲に「憲法改正」の名の下に、
戰敗國の憲法全體を廢棄して、占領國亦は占領軍司令官の好の儘に新憲法を強要する者である。
凡そ憲法と云ふ者は獨立の國家が自己の主權を以て、自國の組織及び行動の規準を定める者であつて、
此の意味から云へば、「占領憲法」と云ふ縡は其自體一個の矛楯概念に外ならぬ。
一般憲法論をする以上は勿論之に言及しなければならない縡になる。
固より占領軍司令官なる者は一般に内政不干渉の義務を有するは勿論の縡、國際法の一般的規定及び當事國閧フ降伏條項の拘束下にあり、
自國及び聯合國の軍律及び授權の範圍内に縛られてをり、殊に占領地の現行法は絶對の必要の無い限り之を尊重せねばならないと云ふ縡は
現行の戰時國際法―― 千九百七年の陸戦法規―― が明文を以て規定する縡であるからである。
「現憲法無效論―憲法恢弘の法理― 」著井上孚麿、昭和五十年發行 その兵力で占領できるわけがない。勝負あったが、
謙虚な日本国のれっきとした憲法だ。
戦争の外国人への屠殺の歴史研究が大事だ。 秋葉原通り魔事件で逮捕された加藤智大氏は、明らかに冤罪
http://youtu.be/gj0X2qLNbUg >>108
何度も言うがそんなこと承知の上で、美濃部は天皇主権論者だと述べている。
そして8月革命説を唱えた論者。
自決した清水澄や8月革命説を唱えた美濃部達吉は、日本に革命が起こったと考えた。
彼らの法思想を学ぶだけでは革命を否定できない。
彼らを超えなければいけない。
新無効論は論外。 >>114
「革命説」は昭和廿年の八月十五日に日本に革命があつた。ポツダム宣言受諾即革命である。
其に因つて帝國憲法は無くなつて仕舞ひ、日本は君主主權國から民主主權國になり、欽定憲法から民約憲法になつたのである。
革命に因つて憲法が無くなつて仕舞つた無法の地盤に日本國憲法が帝國憲法とは全く無關係に新しく作られた者である。
だから日本國憲法の成立が帝國憲法の條章に反するからと云つて、其の成立は無效であるとは云へぬ。
帝國憲法から見れば違法であり、無法であつても、帝國憲法は八月革命で消滅してゐるのだから、
其とは沒交渉に全く新しく出來た日本國憲法は有效に成立してゐると云ふ縡が出來る。
此の「革命」と云ふのは唯日本國憲法は有效なりと云ふ縡を言ひたいが爲に説明の便宜上「革命」と云ふ觀念を借りてきた丈の机上の操作に過ぎぬ。
革命が未だ實現出來てゐない縡は革命の本元たる共産黨が存在してゐる縡からも能く判る。 >>114
抑法とは「法理の筋を通して處置する縡が最小限度の要件」(井上孚麿)である筈なのに、其の最小限度の要件すらも御座なりにして、
國民の思惟や感情、更には現實はかうである等と云ふ尤もらしい理窟を以て、法の法たる最低限度の要件すらも否定してゐるのである。
かう云ふ輩に憲法の權威や法の恪遵等何うでも宜く、法に因る拘束力以上に國民の思惟や現實こそが勝ると云つてゐるのである。
之こそが「獨裁」なのであり、立憲主義、法の支配の否定の何者でも無い。 法の存立基礎は社会的心理力とか法的確信とか言われるものであって、
結局、法理もそういう社会心理といったものに立脚するわけです。
法理も普遍的なものと地域によるものがあるのだろう。
話が変わるが、法理としては8月革命説自体は筋が通っている。 人をを行動の上で言語の上で抑留するな。0.1秒でも。 新無効論とかナンセンスだからな。
憲法上の改正手続きなしに帝国憲法と矛盾する日本国憲法を
天皇の一存で70年も存立できるとか、絶対君主制じゃないか。 >>117
>>115の何處が法理として通用するのかね(嗤)。 >>122
> 新無効論とかナンセンスだからな。
何が何うナンセンスなのかね。 >>124
読んだらわかるやろ。
新無効論がナンセンスなのは、
日本を絶対君主制と考えないと成立しえないから。 マイクロ波兵器、秘密ビーム兵器、指向性エネルギービーム、電磁波兵器、心理−電子工学兵器、指向性エネルギー兵器、電磁兵器、精神侵略兵器、無線指向性電磁エネルギー…
など、呼称はいろいろあるようだが、対人に特化したメーザー兵器である可能性が高い
不思議なことに、原理説明が不十分な兵器類でもある
ちなみに、DEWのWikipediaに掲載されている解説
指向性エネルギー兵器
http://ln.is/ja.wikipedia.org/wik/qyaGC
組織的ストーカー・電磁波犯罪被害 牢屋や刑務所を使わず実質的餓死を統計でカウント、
リクルートから、犯罪心理学で兵糧栄養計算だ。 裁判官も最高裁判官志望も外かぎで仕事してほしい。
密室で有罪の確定を怠惰な座りながらすることだけはやめてほしい。
牢獄とはどこだ。ここは地国。 女は自由 男は一人 で極力行動するように。
数的優位を造らないこと 異性に対して 同性に対しても。 あらゆる正法の有(罪)。刑を完全に廃した。有がsein している。
と無限。 新無効論に則って考えると、天皇の講和大権によって帝国憲法に反する議会運営と
国民の自然権たる自衛権の行使を制限する9条を成立している。
このようなことが戦後70年後の平時においてもできるなど、
日本が絶対君主制と解釈しない限りあり得ない。 >>129
>>143
主張がめちやくちやで何を云つてゐるの歟さつぱり解らぬが(嗤)。 結 )界)会 に法案が果たして通るのかとか、まあなあ
のほうが 三権分立よりなんかアニメで実写でロマンな
リアルで楽しいよな。 無視庁 の方が警視庁より いいよ。強制的な威オーラ
からの、強烈な干渉より ソフト ハード肌 エロス。 新無効論を受け入れてしまう知性の低い人間には、
理解できないか。 つまるところ、『帝国憲法に大きく違反する政権運営を
70年も維持できる』とする説明が、新無効論にはない。
講和大権の発動という回答では法理としておかしい。 >>151
世界の如何なる法理に本づいても占領憲法が憲法として有效となる法理なんて何處にも存在しない。 8月革命説に法理としておかしいところはない。
あると思うなら指摘してみたらいい。
おかしいと思う側が、それを主張する。 >>155
法理上の誤りの指摘になってないんだよな。
清水澄や美濃部達吉という法のプロたちが革命がおこったと考えていた時点で、
全くの矛盾なく自然に成立する学説だと、気づこうな。 >>156
固より革命説は法の理窟では無いから(嗤)。 シードの全国大会かったやつが逮捕したとかされたとか
聞いたことない。やはりそれくらいでコート
で最高裁判官判事。 最高法官の方がいいのにね。華代かなあ。
最高神官も。 芦原-sho-gun- =naive ダンサー憲法講義でした。 帝國憲法第十三條に據りポツダム宣言及び降伏文書に調印。
ポツダム緊急敕令(第五四二號)に本づき第八絛及び第十三條以外の占領秩序と衝突する條項の停止。
占領中は憲法秩序が停止してゐるので、其の最中での憲法の改正及び新な憲法の成立は不可能である。 「明治以來の言語學者は西洋の體系をそのまま鵜呑にして、大きな間違を犯してゐる。
大體西洋ではまづ言葉があつて、といふのは音の集合體があつて、それを文字に書き表すこを思ひ附き、ローマ字のやうな表音文字を發明した。
ところが日本ではなるほど原始生活をそのまま反映した和語はあつたが、それを文字に表さうとは思ひつかないうちに支那の文字と言葉とがはひつて來て、
しかもそれが言葉よりは文字を中心に取入れられ、擴がつて行つたのである。
つまり文字がそれも表意文字が先にあつて、その音を日本化した言葉が後に生じたのです。
從つて漢字を追放することは「螢光燈」を「けい光燈」に變へてしまふ場合のやうに漢語を追放することになる。
言語文字のさう云ふ發達の歴史が間違つてゐるの何のと云つても、千年にわたる宿命的事實はどうしやうも無い。
文字は言葉を寫すものといふ西洋の公式一で國字改革を企てる表音主義者にはその事實の意味も重みもわかつてゐないのである。」
憲法問題も亦如上の論と同じく、帝國憲法及び國法學と占領憲法及び現行憲法學との對比の中での問題と全く同一なのである。
根本問題を無視する占領憲法及び現行憲法學樞軸は本當に度難い。 緊急勅令は"緊急"時の必要不可欠なものだから憲法秩序の停止という絶大な権力が認められて、
有効なものと判断されるのだよ。
つまり、『帝国憲法の秩序を停止し講和条約として日本国憲法が成立している』とする主張は、
70年間緊急時でありその危機を回避するのに日本国憲法を必要不可欠と考えるものに他ならない。
しかし、実際は必要不可欠ではない。破綻している。
あらゆる時代の知能ある人間にバカにされるのが、
新無効論ですよ。 >>168
☆現在の法の優先順位
國内法 國際法
壹、國體(文字を超える根本規範)
貳、帝國憲法(本質・國體)
←帝國憲法第十三條講和大權(ポツダム宣言・降伏文書・占領憲法)→→→→
參、帝國憲法(技術・政體)
肆、一般條約→→→→→→→→→→→
伍、法律
陸、命令(敕令)
*根本規範(=制憲權)>講和大權≧降伏條約群(憲法的條約)≧通常の憲法規範(=憲法改正權)>一般の條約(=條約大權)>法律≧緊急敕令
ポツダム宣言受諾、降伏文書調印での帝國憲法第十三條講和大權は、
帝國憲法の國體法と政體法の中間に位置してゐる。 >>168
先づ話の大前提としてポツダム宣言及び降伏文書調印が帝国憲法第十三條の媾和大權の效力の範疇にあると云ふ縡を判つてゐない。
占領統治の效力は此の帝国憲法第十三條の媾和大權の效力の範疇に歸し、其の占領中に成立された占領憲法の效力も亦――
帝国憲法第十三條の媾和大權の效力の範疇を出る縡は有得ず、帝国憲法自體を改廢する效力は當然認められぬ。
ポダム緊急敕令(本質・國體)に據つて占領統治を受容れ、其に伴つて占領統治秩序に矛楯する帝国憲法秩序の部分停止をしたのであるから、
何等論理的法理的矛楯は存在しないのである。 別に緊急勅令ではなく講和大権でも同じことなんだよ。
なぜ講和大権で憲法秩序を停止できるかというと、
戦時という緊急性と必要性があって初めて停止できるわけです。
70年間日本国憲法を維持する必要性がほんとにあったのか?
ありません。新無効論は破綻してます。 >>171
> 新無効論は破綻してます。
全然破綻と斷ぜられる根據になつてゐないのだけど(嗤)。 >>根本規範(=制憲權)
この発言だけで左翼だと分かる。 >>173
()で括つてゐる意味が判らぬの歟(嗤)。 ()で括っていてもアウトなのが分からないのか(笑) 日本において制憲権を有するのは、いったい誰かね?
あるいは、どの機関かね? >>178
誰が日本を前提にしてゐると云つてゐるのかね(嗤)。 >>169で日本のことを前提に喋ってるんだよなぁ。
記憶障害かなんかか? >>180
制権權とは占領憲法に係る話だが(嗤)。 >>179で制憲権は日本に関係することではないとする趣旨の発言をし、
>>181で占領憲法(日本のモノ)に関係するものだとしている。
ID:Bjr5bgQ6は相反する二つの主張をしている。知能障害か何か?
>>169の説では、根本規範(=制憲權)を講和条約より上位に位置付けているのだから、
講和条約と見做している占領憲法だけの話にはできないのは、
明白なんだよな。 >>182
併し占領憲法は制権權では成立してゐない(嗤)。
其處を説いてゐる訣だが、御前さんには其が判らぬやうだ(嗤)。 制憲権ですよ。制権權って(笑)
占領憲法が制憲権で成立しているかは問題ではないんだよ(笑)
8月革命説でも帝国憲法時代の制憲権で成立していないんだから。
そこは無効理由にならないんだよ(笑)
そもそも私が問題にしているのは、制憲権を根本規範としていることだから。 占領法改正派に於ける論理的傾向
一、國體破壞の容認と無視
二、五箇條の御誓文の無視
三、天皇大權及び統治權の無視
四、皇祖皇宗の御遺訓の無視
五、皇室の自律と自治との侵害
六、國體論が絶無
七、國民主權に因る傲り高ぶり
八、日本人たる矜持無し
九、近代泰西思想に對する疑が希薄
改正論者は國民主權主義者であり、國賊である。 >>185
なら、日本において制憲権を行使する人ないしは機関を答えていただこう。 >>186
あなたは、日本の国体って何だと思っていますか? >>188
相變らず阿呆だな(嗤)。
法段階を解り易くする爲に敢へて制権權を插入したのであつて、別に日本の法的状態を表した者では無い(嗤)。 >>189
國體とは言語的には「国の体質」に由来し、「国柄」と同義であつて、其は万世一系の皇統とやまとことはの言語体系を核として
構成された我が国固有の惟神の古代精神と歴史文化伝統から抽出される普遍の真理の総体(真理国体)を意味することになる。
詰り皇室、言語、歴史、文化、伝統、伝承、慣習等で、日本に伝統的に伝わる「雛形」の縡。
そして我が国の國體は天壌無窮の御神勅に示された民族の理念である惟神の道、万世一系の皇統連綿、皇位の世襲、國體の支配、
君臣の辨へに加へ、臣民の家系的地位と辨への相続、君が代、日の丸、やまとことのはにより表現される文化総体である。
改正によつては変更し得ない根本規範(國體、制憲権の帰属、欽定憲法性、皇室の自治など)の領域迄其の改正権の限界を超えてなされたものであるから絶対無効であるとされてゐた。
國體とは・・・我が國の國體とは前に述べた通り、萬世一系の皇統と「やまとことのは」の言語體系を核として構成された
我が國固有の惟~の古代精~と歴史、傳統から抽出される祭祀、政治、産業、經濟、宗教、道コ、規範、武道、學問、藝術、
技術、民俗、生活樣式等の文化の總體を意味する縡になる。
そして此の國體には前に述べた通り、「事實」の領域に屬する「文化」と云ふ存在(Sein)の側面(文化國體)と、
「規範」の領域に屬する「古道(ふるみち)」と云ふ當爲(Sollen)の側面(規範國體)とがあつて、兩者は等價値的な對極事象にある。
即ち「かくある文化」と「かくあるべき古道」との兩面があり、此の内、國法學、國體學で取扱ふ領域としては規範的側面である「古道」であり、
之を規範國體」と呼稱する縡とし、其の規範性の源泉となる文化事實の側面である「文化國體」とに區別し、以下に於ては特に斷りがない限り、國體とは此の「規範國體」を意味する者とする。
ところで國體は日本丈に限らず、「傳統」を持つ全ての國家に存在し、概ね理念的要素によつて形成されてゐるが、
之に權力的要素を含むか否かは其の國の傳統によつて決されるのである。 >>169と>>185では制憲権を根本規範としており、
法体系に制憲権を組み込んでいる。
一方、>>190では制憲権は法的状態ではないとしている。
あなたは矛盾したことばかり言っている。
あなたは知性に問題がありますね。
だから、新無効論なんて主張しちゃうんだろうけど。 >>191
制憲権の帰属が根本規範というなら、
制憲権の内容とその帰属先を答えよ。 >>192
> 一方、>>190では制憲権は法的状態ではないとしている。
「日本の」法的状態と云つてゐるが。
>>193
憲法制定權力。
憲法制定權力が憲法の上位に位置してゐなければ、抑が憲法を制定するに際して何を以て憲法を制定しるの歟。
法の下位から上位を羈束する縡は先づ有得ぬ。
常に上位から下位の方向に働く。
だからこそ占領憲法の國民投票法と云ふ法律を擔保にして、上位の占領憲法の改正の法的妥當性を擔保すると云ふのは法矛楯を來す縡となる。
肆に占領憲法は永久に改正は不可能なのである。 >>194
>「日本の」法的状態と云つてゐるが。
ずっと『日本』の話をしており、わざわざ断らなくても自明なことだが。
>>169と>>185と>>191では制憲権(の帰属)を『日本』の根本規範としており、
『日本』の法体系に制憲権を組み込んでいる。
一方、>>190では制憲権は『日本』の法的状態ではないとしている。
あなたは矛盾したことばかり言っている。 >>195
相變らず論點が全く解つてゐないやうだな(嗤)。
制憲權の背後には必ず憲法改正權が存在する。
占領憲法にての改正權は國民主權主義に根ざした者だが、現在の我々には制憲權自體は存在しない。
制憲權は憲法を制定した第一世代のみに存在し、後世の國民は憲法制定世代の制憲權に據つて制定された法に縛られる縡となり、
現在の我々には改正權しか與へられてゐない。
之は國民主權論からすれば完全に矛楯する縡になる。
だから國民主權に根ざした占領憲法の效力審査論を語る上では制憲權と改正權との問題は不可分の問題なのである。 >>194
>憲法制定權力が憲法の上位に位置してゐなければ、
抑が憲法を制定するに際して何を以て憲法を制定しるの歟。
必ず憲法は人間の意思力によって制定されなければならない、という考えが間違い。
仮に、『憲法が人間の意思によって制定されるべき』とする思想を採用したとしても、
その権限の所在を決定する権限とはいったいどこだろうか?
その権限の所在を決定する権限は?無限に続けられる。
どこかで人間の意思(権限)なしで成立しているとしなければいけないわけだ。 >>198
ぶー。これが左翼と保守を分かつ大きな法思想の違いなんだよ(笑)
それが分かっていないから8月革命説に与しているとか言われちゃうんだよ(笑) >>199
憲法典が現存してゐる以上――
> その権限の所在を決定する権限とはいったいどこだろうか?
> その権限の所在を決定する権限は?無限に続けられる。
―― と云ふ論點に一體何の意味があるの歟(嗤)。
議論の根本を否定みせて御前は一體何を論じたいのかね(嗤)。 >>196
>現在の我々には改正權しか與へられてゐない。
之は國民主權論からすれば完全に矛楯する縡になる。
これは何の問題もない。
例えば、ある国が君主主権とし憲法が制定されたとしよう。
その後、もし、君主が憲法で定めた改正手続きに従わず、自由に新しい憲法を制定できるとしたら、
それは、君主が憲法の規定を無視出来ることに他ならず、その国は立憲君主国とは言えない。
君主も憲法を順守しないと立憲君主国と言えない。
制憲権者が過去に制定された憲法に拘束されるのは、別段不思議なことではない。
これは所有権を保有するものが、過去の契約に拘束され所有権を移譲する義務が生じる場合と、
『過去の法的行為に拘束される』という点で似ている。
制憲権者も憲法に拘束されるとする説は美濃部も同様の学説を唱えていた。
だから、あなたは、美濃部を読み込んでいないと言っている。
そもそも制憲権という強大な権限を絶対必要なものと考えること自体が間違い。 結局は、
新無効論者は、憲法としてではなく講和条約としてであっても、
『日本国憲法』という条文を有効な法のモノとして受け入れている。 >>201
國民主權が何なのか全く理會してゐないの歟(嗤)。 >>202
だから何度も云つてゐるだらうに「憲法としては無效であり、帝國憲法を改廢する效力は無い」と。 尾木氏は「教育勅語は戦前の天皇主権の欽定憲法であり、親孝行や友達大切に等の12の徳目は全て天皇からの臣民、
赤子たる者へのお言葉、願いであって、文言は正しいのですが、戦後の国民主権の民定憲法の精神や立場とは相反し矛盾します。
だからこそ1948年の衆参両院で訣別宣言、教育勅語の破棄が確認されたのです」「戦後の教育は教育勅語の否定から始まっているのです」と指摘。
「・憲法守る立場の大臣たる者が憲法違反の教育勅語の擁護をするとは憲法99条にも反します…個人の思想信条の自由は大切ですが公人公職者の発言は慎重さが必要ですね」
と稲田氏を戒め、教育勅語問題について「みんなでしっかり考えたいですね♪」と呼びかけている。
http://fxya.blog129.fc2.com/blog-entry-34307.html
敕語が「天皇主権の欽定憲法」とは全く意味不明である。
>文言は正しいのですが、戦後の国民主権の民定憲法の精神や立場とは相反し矛盾します。
詰り戰後の體制は斯有る正しいきコ目を否定する縡が前提の社會でありと云ふ縡であり、斷固として打倒されねばならぬ。
而して占領憲法は民定憲法では無い(嗤)。
>だからこそ1948年の衆参両院で訣別宣言、教育勅語の破棄が確認されたのです」
敕語は敕語でしか排除は出來ぬ爲に斯有る議決は當然無效であり、國會にては斯有る議決の無效確認決議が必須である。
>「・憲法守る立場の大臣たる者が憲法違反の教育勅語の擁護をするとは憲法99条にも反します…
固より「ヘ育に關する敕語」は規範國體に位置する國務法體系の中の一であり、仮に百歩讓つて占領憲法を正當なる憲法典と認めうるとしても、
憲法典の立場から規範國體たる國務法體系其の者を否定は出來ぬし、況や違反するに於てをや。
揩オてや占領憲法は固より憲法としては無效なのであるから、如上の意味でのヘ育敕語問題なんて者は固より存在しないのである。 >>205
追記
ヘ育敕語が占領憲法に違反せるのでは無く、寧ろ占領憲法がヘ育敕語に違反せるのである。