個人の好みは置いといて、今日的国家運営に於いて
それを司る存在が不要という考え方を採っている国は
今のところない。天皇機関説の元となった国家法人説は
主権概念が未成熟な当時のドイツや日本にあっては
一種アクロバティックな法理論で、事実ドイツでは
短命に終わっている。責任の所在の明示をしないまま、
変化し続ける国家に決定権を丸投げすることは、
結局のところ丸山の言うところの無責任体質を醸成し、
誰も責任を取らない倫理の欠如をもたらす。