【吉田茂という反省】
https://www.zakzak.co.jp/search/?q=%E3%80%90%E5%90%89%E7%94%B0%E8%8C%82%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%8F%8D%E7%9C%81%E3%80%91

日本にも「指導者」ありけり 吉田茂の「一徹」と「柔軟」
https://www.fsight.jp/3744
 問題は、日本経済の復興と先進国化兆候をみた吉田の心境である。一九六三年刊の『世界と日本』(番町書房)で
吉田は、ある時期から(旧)安保体制の段階は「もう過ぎようとしているのではないか……と思うようになった」と
書き、安保改訂四年後の六四年秋には、長年心を許してきた辰巳栄一元陸軍中将に「今となってみれば、国防問題に
ついて深く反省している。……独立大国となったからには、国際的に見ても国の面目上、軍備をもつことは必要である」
と語り、かつ書き送った(辰巳栄一「吉田茂は再軍備に賛成した――書簡が語る晩年の心境」『世界と日本』一九七九年
十二月十七日号)。辰巳は、吉田が戦前の駐英大使だった時代の駐在武官で、戦後にも防衛問題で吉田のよき助言者
として『回想十年』にいくども登場していた。

総理大臣吉田茂と防衛大学校
http://hiramayoihi.com/yh_ronbun_senngoshi_boudai_yoshida.html
 そして、 昭和39年10月に辰巳元中将を昼食に招き、 「君とは以前、 再軍備問題や憲法改正について議論をしたが、
今となってはみれば国防問題について深く反省している。 日本が今日のように国力が充実して、 独立国家となった
からには、 国際的に見ても国の面目上、 軍備を持つことは必要である」。 「しかるに敗戦直後の国内政策は経済復興、
民主の安定を第一義とした。 一方、 占領軍の日本民主化誠作が強調されて、 国防問題のごときはほとんど等閑視された。
その後、 歴代内閣においても、 憲法を盾にする野党側の攻勢に対して消極的態度をとり、 国防問題について触れることを
むしろタブー視する傾向を続けてきた。 国防問題については、 国民を啓蒙指導する努力を怠ってきた過去を顧みて深く
反省する次第である」と語ったが、 その数日に「現在の国防問題について、 深く責任を感じている。 過日会談の内容に
ついては佐藤総理、 三木幹事長によく伝えておいた。 君からも両氏と会って詳細説明してくれ」と記した手紙を送ってきた
という(19)。

『吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』解説
文: 中西 輝政 (京都大学名誉教授)
https://books.bunshun.jp/articles/-/2712
 もう一つ本書のもつ重要な価値として、吉田茂が首相の座を退いて十年後には、憲法改正ないし正面からの日本の
再軍備を怠ったことを深く反省し、そのことを悔やみ続けていたことを明確な史料で確証していることだろう。

 では、昭和二十七年四月二十八日にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が晴れて独立主権国家の地位を
回復したあと、何ゆえ吉田は直ちに憲法改正に取り組まず、退陣までの二年半という年月を無為に過し、日本の未来を
空費することになったのか。これは今日まで続く戦後史の「大きな謎」と言ってよい。マスコミや野党の反発を恐れた
という説明は成り立たないだろう(当時、国民世論は改憲論が圧倒していた)。ライバル・鳩山一郎への対抗心から、と
言ってしまえば吉田はうんと卑小な存在になってしまう。この謎については、さらなる解明が待たれるところだ。