>何が「自国の女性」だ!日本とは敵対関係にあって交戦中だっただろ!

ではまず外国はどのように見ていたのでしょうか?

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●1951年5月 ワシントンで開催した米英協議
イギリスが「「韓国は日本と交戦状態になかった」として韓国の署名に猛反対。
●1951年7月9日 米Dean Rusk国務長官特別補佐官・梁裕燦韓国大使会談
米大使が韓国大使に「日本との戦争状態にあり、1942年1月の連合国宣言に署名した国家
のみが講和条約に署名できる。従って韓国は署名国とはなれない」と通告。韓国
大使は「日本と戦った韓国人部隊が中国にあった。臨時政府として対日宣戦布告
をした。」と抗議。しかしアメリカは、「韓国臨時政府を一度も承認したことは
ない」と拒否。
●1951年8月16日
米国務省が講和条約最終草案を発表。韓国の不参加が決定。
講和条約署名を主張していたアメリカも「戦勝国、連合国」として、
韓国を位置づけていない。それどころか、臨時政府の承認を真っ向から否
定している。

ロバート・T・オリバ『米大学教授が見た人間李承晩』
第二次世界大戦中にアメリカ政府に支援を求めた李承晩は国務
長官のハルに「自国の自由のために戦争をしていない国家は、
米軍の援助の対象となり得ない」とまで言われた