【吉田ドクトリン】日本をこんな国にしたのは吉田茂
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/kokusai/1285679483/424,432,442
2017/05/03
【憲法記念日】GHQの憲法草案に「これでいいじゃないか」。昭和天皇のお言葉、メモに★3 [無断転載禁止]©2ch.net
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1493780025/884

2018/8/15付 社説
歴史を知り日本の針路に生かそう
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO34160870U8A810C1EA1000/
 鈴木の役割は戦後も続く。
 「柔弱は生路なり。強硬は死路なり」

戦争放棄は誰の発案か

 これは枢密院が現憲法の原案を審議した際、9条に戦争放棄のみならず、戦力不保持を書き込むことを議長だった鈴木が
前向きに受け止めた発言である。大きな異論なく原案が了承されたのは、鈴木の手腕といってよい。
 その9条の根幹である戦争放棄を最初に思いついたのは、首相だった幣原喜重郎なのか、GHQ(連合国軍総司令部)最高司令官
だったダグラス・マッカーサーなのか。さまざまな見方がある。中央大の服部龍二教授が近年、新たな説を紹介している。
 日独伊三国軍事同盟を推進した外交官の白鳥敏夫が出所というものだ。「天皇に関する条章と不戦条項とを密接不可離」
にすべきだとの書簡を終戦後、吉田茂に送ったという。慶応大の細谷雄一教授は「白鳥がA級戦犯として有罪になったことを
考慮すれば、皮肉なめぐり合わせ」と評する。