日本は死刑制度を容認している野蛮な国ですねよ
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>>183
都合が悪い?
いや好都合だろ
廃止論者は連続殺人鬼と認定してるんだからな
こんなもんは言い出した奴のお里が知れるだけ
お前はそういう暴言を許すのか?言った本人か? >>183
つまり君にとって議論とは、人を殺したから死刑になりたくないと相手を断ずることなの?
>>175
そんなに殺人鬼がうようよしてると思ってるのかね?
それが事実ならそりゃ死刑にしたくもなるよな
で、事実はどうだね? ちょっと人を殺しただけのやつを死刑にしたらいけないよな。
ちょっと人を殺しただけのやつをねw 死刑制度は間違っている。
犯人が何をしたというんだ?何も悪いことしてないだろ。ちょっと人を殺しただけだろ。 >>187
誰がちょっとだけ殺したの?
もしかしてここの人のこと? >>187
アホ!!よく読め!!
ちょっとだけ殺したんじゃなくて、人を殺すことが自体がちょっとだけの些細なことという意味。
だからちょっと人を殺しただけのやつの命を奪ったらいかんということ。死刑という名目でねw >>81
これだろうな
だから「廃止派は殺人鬼」みたいなことを言うのだろう
パヨクとは限らんのに >>190 人は人を殺してはいけません。
まず自らの罪を自覚して処罰を受け入れてください。 >>192
アホ!!よく読め!!
誰が殺したんじゃなくて、人を殺すことが自体がちょっとだけの些細なことという意味。
だからちょっと人を殺しただけのやつの命を奪ったらいかんということ。死刑という名目でねw >>193
>人は人を殺してはいけません。
>まず自らの罪を自覚して処罰を受け入れてください。
人は人を殺してはいけないのだよ。
だから自らの罪を自覚して死刑を受け入れなくてはならないのだよ。
だから死刑はいいのだよ。 死刑制度はほんらい復讐の延長線上に生じたものだかれども、理性的に
整理してゆけば自殺刑がもっとも整合的ではあるのよね。ソクラテスに
毒薬を勧めたのもあくまで勧めたのであって毒杯を仰ぐことを強要した
わけではない。 >>196
そう、切腹が一番整合的ではある。昔は子供でも切腹したそうだから、いまの大人ができないということはないだろうw >>199
ちょっと人を殺しただけだ?あ?
一人だろうが十人だろうが、戦争だろうが刑罰だろうがちょっとで人が殺されていいもんか
なんつーキチガイだよ >>200
ちょっとで人が殺されてはいけないぞ!!
ちょっとで人を殺した者は死刑にしなくてはならないぞ!!! ちょっと人を殺しただけで死刑にしてはいけないぞ。
加害者の命は地球よりも重い。死刑制度は廃止しなくてはいけないぞ!! ちょっとで人が殺されてはいけないぞ!!
ちょっとで人を殺した者は絶対死刑にしなくてはいけないだろうが!!! >>186
死刑は殺人だぁ
存置論者は人殺しだぁ
って人にも教えてあげてくださいな >>186
自らが人殺しをしたいが為に死刑を廃止しろと喚く廃止論者。
殺人犯罪者を特別な存在として崇拝し、殺人犯罪者を処刑する法を無くそうとする廃止論者。
このスレは、大体この二つ。
後は、弁護士のように廃止論者であると言った方が飯の種になる輩。
まぁこの辺りは、態々匿名で廃止を訴える必要はない。
名前を出して廃止すべしと言う事に意義があるから。
身内を殺された途端、廃止論者を辞めた弁護士はいるけどなww >>193
>人は人を殺してはいけません。
状況によりけりだろ。
死刑廃止国だって、裁判に掛けるまでもなく犯人を射殺する。 人は人を殺すべきではないというのは倫理規定であって
「人は人を殺すことができない」という真理命題ではない
殺すか殺すでないかを選択がを選択が可能であれば
殺すべきではない。どうしようもなく殺す必要があるのなら
殺すことは可能である。こういう関係だな。 推敲しないからぐちゃぐちゃな文章になってしまっただ ⊂⌒~⊃。Д。)⊃ >>206
>>人は人を殺してはいけません。
>状況によりけりだろ。
>死刑廃止国だって、裁判に掛けるまでもなく犯人を射殺する。
では日本も死刑を廃止して、逮捕した段階で裁判にかけずに射殺するようにすればいいねw 日本の警察のように暴走族や逃走車などをいつまでも追跡していると、一般車を巻き込む危険性が高くなって非常に危ない。
そうならないために、見つけ次第全速力で体当たりしてぶっ飛ばすようにすればいいのに、どうしてそうしないのだろう?
一般車を巻き込むことが何よりもいけない!!そうならないためには、手段を選ぶ必要はない。 >>210
そこまで酷い国にすべきじゃないな。
逮捕し裁判にかけ、死刑にするべきか否かで解決する。
司法国家のあるべき姿だと思うよ。
人種差別や、その場の雰囲気で射殺するような国に、日本はなるべきじゃないな。 >>211
暴走車両を追い詰めると、更に酷い事になるからじゃないかな。
日本は町の中のそこら中に監視カメラがあって、ある程度特定できれば、
後追いでも捕まえる事が出来るから。
渋谷の軽トラ横転の犯人も、それで捕まえる事が出来るくらいだし。 >>209
死刑相当の犯罪であるか否かは選択は出来るけど、死刑相当の事件であれば
死刑一択だな。 >>212
>その場の雰囲気で射殺するような国に、日本はなるべきじゃないな。
その場の雰囲気は大事だよ。
裁判というのは所詮は机上の論理だ。机上の論理で人を裁いてもいいのか?
一方その場の雰囲気というのは、現場の論理だからね。我々庶民は日常を現場感覚で生きているんだよ。机上の論理で毎日の生活を送っているわけじゃない。
現場で地べた這いずり回って生きている我々庶民には「現場の論理」をこそ適用すべきじゃないのか!?
お偉方の「机上の論理」を適用すべきではない。 >>213
>暴走車両を追い詰めると、更に酷い事になるからじゃないかな。
追い詰めないで、見つけ次第一般車両を巻き込まないように、もりを撃ち込むとかしてその場で強引に停止させればいいだけの話だ。
どうしてそうしないのだろう? 裁判という制度は非常に長い歴史的な集積物であり
世界的にもあらゆる地域で採用されている制度なのだから
これを机上の論理というのは現実を無視しようとする意見。
そういう一見強く響く言葉で何事かを証明したような気に
なってもらっては困るな。あなたがいかに「裁判など机上の
論理だ」と得々としようとも、日々裁判は開廷され判決文は
執筆され判決は執行されている。 「我々庶民の現場の論理」というものが仮に原告や被告にのみ通用する法理を
指しているのならばそれは私理であり道理ではない。法律というものは、あまたの
私理(わたくしの理屈)を集約し、経験により試金され、広く大衆に「道理」として
了解されたものが記述されているべきものである。むろん歴史的には必ずしも
そうではなく、法律とは皇帝が判断し、国王が命令したものが記述されていtもので
あった時期は長く、それが大衆に受容され、【従う文化】のもとで受容されてきた
ものだ。法が法たりうるのは、大衆がわにこの【従う慣習】があってこそである。
これがベンサムのいう「法による統治」の原則。なっとくできない法は拒否すべき、
などという反逆の姿勢は「法による統治」と相いれぬ思想になります。 >何事かを証明したような気になってもらっては
それはあくまで推測であり、客観的意見ではないw
>と得々としようとも、
それはあくまで推測であり、客観的意見ではないw 婉曲表現が通用しないようなのではっきり説明すれば、きみの法的主張は
よくある浅薄なもので学問ではない、学者が観測する、その対象の中心に
君ごときを据えるわけにはいかないと言うことだ。 相対化に逃げれば全ての主張が通用するような甘い世界ではないと知らなければいけない。 >>220
>学者が観測する、その対象の中心に
>君ごときを据えるわけにはいかないと言うことだ。
学者が観測する、その対象の中心にキミごちきなら捉えてもいいのかね?www 学者が観測してるのは基本は制定法と判例だよ。それの整理に
独自の視点が設定された場合が学説になる。むろん学者にも
いろいろおり、政治的偏向から記述してる者も無きにしも非ずだが
哲学とよべるほど練磨されないそれら雑味はしょせん本人が
沈黙すれば誰にも継承されないものにすぎない。 >>216
強引に停止させれば事故るだろ。
https://twitter.com/rasshi7/media
幼稚な動画作って悦に浸ってる場合じゃないだろ。
少しは大人になれよ。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>224
>強引に停止させれば事故るだろ。
事故ってもいいじゃないか。死んでもいいじゃないか。
通行人や一般車両を巻き込まなければ、それでいいじゃないか。 >>225
巻き込まれなきゃいいが。
巻き込まれるだろ、公道走ってるんだから。 >>226
>巻き込まれなきゃいいが。
>巻き込まれるだろ、公道走ってるんだから。
もり撃ち込んで一瞬で停車させれば、誰も巻き込まないだろw >>227
幼稚な動画を作ってる奴は、結局幼稚だったってことか。
お前の打ち込む銛には時間を止める能力でもあるのかよ。 >>215
何を言ってんだ、お前。
雰囲気は感覚的な話で、理論じゃないだろ。 >>231
他のメンバーが住所教えたりそそのかしたりしたってのは、
本人(山口真帆)の前で、住所教えたりそそのかしたりしたから知ってるのかな?
それとも部屋に押し寄せてきた犯人が「メンバーの誰々から聞いてここに来た」と言ったのかな?
それ以外に知りようがないと思うが・・・
また所属事務所が「他のメンバーは関与してないと聞いてます」って誰から関与してないと聞いたのかな?
つーか、そもそも関与してないことを知ってるやつなんているのか? 麻原彰晃みたいなもんを生かしておく国になる方が恐ろしいわ 麻原彰晃はキリストと同様に死刑にされてしまったね。
キリストと同様にねw >>235
キリストは異端だから処刑されたのであって、麻原みたいに人殺しのテロリストだから
処刑されたのとは、意味が違うだろ。 ローマの法じゃあきらかに無罪だったのを群衆の要求で鞭打ちにしただけだったんだよな。
死刑にしたのはユダヤの宗教法廷 例えば殺人を犯した者を懲役5年程度にしたら、「おれがしたことはその程度のことなんだ。おれは大したことはしてないんだ」と思うので、良くないだろ?
だから「おれのしたことは途方もないことだったんだ」と思わせるためには、途方もない刑罰が必要。 こんな意味の無いスレ
何時まで続けるんだw
死刑制度が野蛮って思う人より、やった行いに応じて厳しい罰が降るのが
あたり前と思う人が多くいるってことだろw
それをいちいち野蛮とか言ってるアフォがいるから
世の中おかしくなるんだよねw
どうでもいいけどさw 死刑が政治犯に大量に使われてきた歴史があるからね。日本は
長く一皇一政府で統治されてきた歴史が長いから、政治犯に法律を
適用する事例がすくなく、また刑死者も名前が挙げられるほど事例が
すくないという事情が、かえって死刑制度への信頼を与えているのだろうね。
欧州は政治犯への死刑の適用の歴史が深く、とりわけ近代の萌芽として
称揚している清教徒革命・オダンダ独立戦争、フランス大革命で膨大な
刑死者を出したという史実が、彼らに死刑廃止を受け入れさせ安い素地と
なっておるのだろうね。むろん欧州人だって女性を強姦死させるような男や
子供を虐待死させるような女には心情的には死刑を適用したいというのが
偽らざるところじゃないかと思うよ。 本居宣長が玉くしげ別本で書いてるように除害主義の死刑制度がいちばん妥当な
ところなのだと思われる。どのように扱っても害悪しかもたらさない者は一定数うまれて
くるのは世の定めで、その者に教育を与えても何度でも犯罪を犯してしまうのなら
社会とその統治者はその害悪を取り除くことに責任を感じたとしてもしょうがない事だろうよ。 >>242
更正すれば立ち直れる者と、どのように扱っても立ち直れない生まれつき邪悪な者とを見分けるのは難しいだろうな。 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイとして異例のベストセールスを続けた名著を
手軽に読みやすく。短編×100話なので気軽に読めます。
法窓夜話私家版
https://www.amazon.co.jp/dp/B07NQCZ7S7 >>243
更生することは、罪が許される理由にはならないだろ。
更生し真摯に反省することは、当たり前の事だから。 罪の許しなどというのは法理学は想定してないんだよ。
刑罰の正当化は「報復」と「矯正」。許される許されないは
関係ない。正当な報復が行われれば第三者(仲裁者)たる
国家は介入しない。そして矯正をおこなうのは公益のためで
あって、仮に受刑者が矯正を受け入れなくともしょうがない。
それをさらに処罰するか、個人の内心の問題として許容するかの
差はあるが、いずれにせよ法の歴史的発展において、受刑者の
反省や罪の許しは問責されることはない。 これはおそらく法というものがイエ単位の紛争を解決するために発達した
ものであって個々人の紛争を解決するために発達したものではない
ことによると思われる。嫁や子供、奴隷の罪は家父長の罪であって、
家父長どうしが問題の解決のために争議し、調整し、最終的に合意を
する中で形成されたのが私法の源泉であるためだろう。ツミの償いは
家父長に対して行うべき事であって、被害者に対しておこなうべきこと
ではない。被害者(のイエの家父長)が求めることができるのは報復と
矯正だけである。 おっと、例外があるか。賠償奴隷や債務奴隷がそれだね。
奴隷は主人に対して代襲的な罪があり、その反省と謝罪が
すむまで倫理的に劣る存在として使役されることになる。 死刑が廃止できない理由の殆どは、廃止論同士で致命的に矛盾しているという自滅が原因。 じっさい死刑制度が問題になるのは政治犯だからね。
あと中国における麻薬に対する極刑みたいな、いわゆる
歴史的経緯において「みせしめ」的に大量に処刑している
ようなパターン。これは政治目的からの処刑。こういうのは
廃止論に与する論者はグっとふえるはずだ。現実に日本でも
大逆罪ですら幸徳事件くらいしか先例がないくらいなんだし。
内乱罪や外観誘致など適用された先例すらんあい。
一方で強姦殺人犯や連続殺傷犯に対してまでも死刑すべきでない
などという連中のほうは、こういう主張をしてる連中こそ人格障害を
疑った方が良い。なにごとも精密に分類して慎重に適用しなきゃね。 日本で政治犯がどうこう言ってる廃止派はほとんどいないし問題にならない。
死刑そのものが論理的・原理的にダメだと主張してるのが殆どで、それらが論理的・原理的に破綻している。 人格障害という表現が相対的だからね。だからどうしても結論がでない構造になってる。
政治犯に対する死刑適用は、あきらかにタリオ「目には目を」の原則すら逸脱しているので
批判が容易で説得力を得やすい(政権批判しただけで死刑は同害罰原則にすら逸脱して
いる)なだけで、これも究極的には相対論の中に回収されてしまうことには違いないのだが。 まあ自分で作ったルールを自分で矛盾させたら相対論もへったくれもないよね。
日本の廃止論はそのレベルで終わってる。 タリオの原則に従えば、覚せい剤使用など犯罪を構成する理由がなく
覚せい剤の使用によって他人を殺傷した時点でようやく犯罪を構成し
同害罰を与えよ、ということになる。のこりについてはせいぜい警察学の
観点で麻薬を制限しておけばよいだけで、罰金や没収、あるいは薬物
中毒者の拘禁でもしておけばよいことになる。この点でいえば「目には
目を」原則は非常に公正で人道的に見える。もっとも薬物中毒者が
ナイフで人をさせばおなじくナイフでさされるべき、という側面も軽視しては
いけないのだがw つまりその法則は使いものにならないってことじゃないかw 私人が人を殺せば公人から制裁を受けるという決まり事 命を奪うことは別格の禁忌なのだ、、という死刑廃止派自身の理屈で、
別格の犯罪に適用される別格の刑罰である死刑を廃止してはいけないことが確定してしまっている イタリアのベッカリアによれば、社会は犯罪者に死刑を宣告することは可能で
あるが、執行人が死刑を執行することは禁止されているのだから、結局死刑は
執行しえず、一方で犯罪者自身が自殺することも禁止されているのだから
やはり殺すことはできない、よって死刑は宣告しても意味がないので止した
ほうがいい、という理屈を提示している。『ひとはひとをころしてはいけない』を
定言命法(前提抜きの社会的命令)にしてしまえばこういう理屈が成り立つ。 >>258
ならない。
それはハムラビ法典等と同様、単に「権威がそういう理屈に決めたからそうなのだ」と言い張っているに過ぎない。
逆にそれによって日本の死刑も強固に正当化される自滅理論でしかない。 いってることがよくわからん。単に頭から否定したいという感情を
理屈っぽく言ってもダメだ。もういちど整理して反論せよ。
ベッカリアの論は思い付きではなく死刑廃止論の中核理論の一つ。
きみが感情的に否定したとしても学理に毛ほどの傷はつかない。 >>261
いやさらに言い張られても・・・
廃止論は負けっぱなしのチャレンジャーだということを知ったほうがいいよ。 相変わらず廃止論者は自分の宗教の神さまが教団外も支配してると思い込んでるカルトだな とりあえず>>1 あたりから読んで来ればよい。
法学スレなので感覚論で議論しようとするやつは
相手したくない。 そもそもベッカリアを紹介したら、なぜ紹介した者を「廃止論者」として
罵倒しようとするのか、その姿勢自体が学術的ではない。 ベッカリアの論を否定するには『ひとはひとをころしてはいけない』は
定言命法として承認されているわけではないことを主張する必要がある
これはキリスト教社会においては重要な論題でアウグスティヌス主義が
死刑を肯定する論拠として引用される。むろんキリスト教を背景にもたない
法文化においては『ひとはひとをころしてはいけない』が前提になる
わけではないのは当然だが、この場合は個々の文化の背景から説明
する必要がある。とりわけ日本は聖武天皇・嵯峨天皇により死刑廃止の
詔が出されたことを重くみる議論はありうることだろう。 文章長くしようがそれは結局、「オウム真理教の中ではこの世は一度滅ぶべきであることに決定している」と言っているのと何ら変わりない。
他人に迷惑をかけない限り身内で好きやればいいけど、外から見てその辻褄が合ってると思わないほうがいい。
まして廃止国でだって現場射殺とかで常に破ってる机上の空論に過ぎない。
そもそも教祖のベッカリーアだって「どれだけの無辜の犠牲が出ようともだれも絶対に殺してはいけない」なんて思っていまい。思っていたらそれこそ狂信者だ。
非常に限定された場合にのみ適用される理屈を拡大適用して世の中全てに適用しようとする様が忌避され、
最初からキリスト教を鵜呑みにしている文化圏以外では廃止論が衰退しているのではないかな? w,そもそも「ひとをころす」の範囲が非常に恣意的に選択されていることに気づいていないのかな? 恣意的ではない。「ひとはひとをころすべきではない」
これが殺人を処罰する正当性の裏付けであるならば
死刑制度は廃止しなければならない、と論じてるだけだ。
だから死刑制度を肯定するためには直覚的に正しいと
おもえるこの命題を回避しなければいけない。
誰を殺すべきではないかは恣意的に選択して良い、では
通用しないよ。そんなものは法理学ではない。 ベッカリア「犯罪と刑罰」(1764年)に反応したのがカントで
カントは刑罰の本質をタリオ(同害報復)に置き、殺人したものは
殺人されなければならないから刑罰を受けるのであってそこには
「ころすべきではない」という命題は必要ないという論理を提示して
いる。名誉ある人は罪に対する罰に同意しており、その宣告が
なされれば名誉をもって処罰されるべきでありそのことによって
みずからの人倫の崇高さを示すことができる、よって死刑を廃止
する必要はない、という論理だ。 ただカントのこの論理については、タリオを基礎としている点で、現代人には受け入れにくい印象があるだろう。
なおヘーゲルもカントの説に共感を示している。 やっぱり気づいてないのか。
死刑だけが人を殺す刑罰だと思ってるあたり考えが浅すぎる。
現場射殺を持ち出さなくても、獄死に至るあらゆる刑罰は殺していると言える。
恣意的に「これとこれとこれを殺人とする!」という教祖様のお言葉で思考停止した結果を守り続けているだけいるだけ。
現代の先進国ではこれはもはや法学ではなく、文化とか宗教と分類するのが適切。 もはや論理的に何らかの正当性がある、と思って廃止論を紹介する時点で、
現在の死刑存廃論を知らない素人か、情報の更新がされていないオールドスクールでしかない。
廃止論の穴がバレて、すでに死刑存廃論は中高生のディベートの題材としても不適切とされつつあるしね。
現実の日本以外という設定で頭の体操としてなら意味もあるだろうが、ベッカリーア偏重はもはや終わったコンテンツだよ。 「ひとはひとをころすべきではない」から「死刑制度は廃止しなければならない」は論理的に唯一の回答ではないことにすら気づいてないのか・・・ 廃止論というのは原理主義だからな。聖書の一言一句解釈まで成立時点のものに依存している。
現実と齟齬があったら現実のほうが間違っていると言い出すレベルだから、輸出先での今日の凋落がある。 刑自体が意図と作為で二次被害者を出すが、遺族被害者の感情もわからないでもない。 刑罰がなぜ存在するかといえば因果応報を望む被害者感情のためだから、わからなくもないというよりむしろそっちが本体だな 自分の土俵に乗ってこないとすぐブロックするような忍耐のない人は法学に関わっちゃダメだと思うの
経験から言って、その手の人は正当性よりも権力で押さえつけようとする人がとても多くてぐったりする 死刑の存廃なんてどうでもいいんでしょうね
自分の趣味のお話をしたいだけなんでしょう >>275
>「ひとはひとをころすべきではない」から「死刑制度は廃止しなければならない」は論理的に唯一の回答ではない
キミの言うとおり、「ひとはひとをころすべきではない」から「死刑制度は廃止しなければならない」は論理的に唯一の回答ではないよ。
「ひとはひとをころすべきではない」から「死刑制度の代わりに人豚の刑を取り入れなければならない」という回答もあるよ。 結局そうやってグダグダな流れにするのか
毎回毎回御苦労なことだ 刑務所や警察署やら拘置所への移送や誘導を法律で禁止すればいい。裁判所だけを使え。生殖細胞などがつぶれるからな。徒歩での誘導も人権違反だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています