【早稲田憲法】西原先生が亡くなったらしい
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1930年 ロンドン軍縮条約締結
日本政府には、膨れ上がった軍事予算を縮小させ政府赤字財政を
健全化させる必要があった
1931年9月、満州事変勃発
軍縮条約に不満を持つ軍部が独走して日本の大陸侵攻が開始された
1932年 軍部によるクーデター515事件、 首相が海軍士官の暴徒に暗殺される
515事件によって、日本政府は満州から軍を撤退させることが出来なくなる。
と同時に、満州占領を激しく批難する世界各国によって、国際連盟脱退を
余儀なくされた
1933年 日本でのクーデター515事件からの影響、ドイツでヒトラーがクーデター、
ドイツ国の全権を掌握した
1933年 日本は国際連盟脱退を強行
1933年 ヒトラーも国際連盟脱退を強行し、ドイツも軍備大増強へ
1936年 軍部クーデター226事件
日中戦争を全面戦争に出来ず、軍部に不満。
日本の主だった政治家が全て陸軍士官によって暗殺される
1937年 前年の226事件により、対中国の全面戦争が開始される
1941年8月 日本軍、陸伝いに中国南端まで到達、
フランス領インドシナへの侵略を開始、
10日間前後でインドシナ全域を占領してしまった。
これを受け、米国政府、原油を含む対日完全禁輸を発動。
事実上、日本の暴発を待っていた
1941年12月 日本軍による真珠湾攻撃、太平洋戦争勃発
1942年1月 世界各国がサンフランシスコに結集、
国際連合軍(現在の国連)の結成を宣言
1945年 大空襲、日本の都市の全てが焼き尽くされ消失した。
1945年8月6日9日 ヒロシマ・ナガサキ、原子爆弾の投下
すでに原爆製造は量産体制、
次は東京に原爆投下を予定。
1945年8月15日 日本はポツダム宣言を受諾し、
日本は自ら無条件降伏を行うことを申し出た
昭和天皇「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍べ。」
1945年9月2日 Accepted at Tokyo Bay, Japan.
Douglas MacArthur
Supreme Commander for the Allied Powers.
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f8/Instrument_of_surrender_Japan2.jpg
なお中国との戦争については、じつに1931年から1945年まで
継続していたことになる。 後藤光男含め、
社学の公法の体制はどうするのかね。 早稲田の政経・政治学研究科の憲法学では大西邦敏教授の伝統があります。
改憲派。大西教授の政治的なスタンスを継承したのが、小林昭三、西修、竹花光範、新田均、八木秀次といったみなさん。
石田光義も小林の弟子筋ですが、親族の民主党・北川を早大教授にコネ採用し、微妙に調整していますね。
大西教授の博学を継承したのが、清水望。その弟子筋は比較的リベラル。川岸令和、遠藤美奈は、藤原保信にスタンスが近い。
ただし、防衛大学校の松浦一夫は有事法制推進論者。 八木秀次教授に、早稲田大学法務研究科教授にご就任願います。
東アジア離島列島の土人は、買った兵器は使わないのか!
これではおまえら自衛隊員が、国民に蔑み軽蔑されているのは当然のことだ!
防衛省自衛隊、国連が制定している憲法に対してグダグダと文句たれるな!
来年度の社学憲法はバカ島が担当か。
つくづくこの世は無情。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています