憲法から演繹するのは「じゃあ憲法を替えろ」論になるので難しいところあるね。あくまで国家を拘束するというのが
社会契約の立場なので、慣習的に死刑がおこなわれてきたものを、憲法の新たな解釈によって従来の死刑の慣行を
否定する所まではもっていけないのじゃないかと、常識的にはそういう印象がある。むろん憲法改正によって明示的に
死刑を廃止することはありうる選択肢であり、そのばあいは、改憲以降はあきらかに死刑は廃止しなければなるまい。

すくなくとも死刑制度は旧憲法のもとでも新憲法のもとでも一貫して実施されているし、近代刑法の訴訟方法は「仲裁」
モデルであって、死刑判決の判決理由には被害者遺族の処罰感情が峻厳であることは明記されるのが慣例であるので
素直によめば憲法の制限にはいるという解釈は難しい。

また仮に、憲法が国民の盟約であると仮設するならば(実質的にはGHQの押し付けなので仮設にもほどがあるが)、
犯罪という行為は憲法の規定する人権の保護規定の例外であることは明記されており、「被害者による復讐」はこの
憲法盟約からの開放の論理を肯定するものといえるのではないかと思われる(もっとも、復讐という制限された局面に
おいて、であるが)。よって、憲法の保護している刑事訴訟に従い、適正に判決されているかぎり、被告の人権規定に
対する保護の義務からは、国家は解放されていると解することもできる。