さて、本日は休暇のため、ヒトカラに行ってくるとしよう。

前回はジョイサウンドだったので、今回はDAMを選択することとする。
録音して、自分の歌声の出来を確かめてみたいところ。
 
その場では「自分の歌声はイケている」などと勘違いしがちだが、録音したものをあとで自宅などで冷静に聴かなければ、正しい判断はできない。

「素敵で価値があると思える楽曲を、歌うことで全身でその魅力を感じながら、自分らしさで表現する」のがカラオケの基本目的だが。
録音機能を使い、自分がどれだけ素敵な曲を表現できたかを確認したり、歌の技術向上に努力もすることで、さらに深く楽しむ、というわけだ。


しかし、よく、採点に必死になっている人がヒトカラーのなかにいるが、しょせん機械の採点では「魅力があるかどうか」までは判断できない。

実感として、歌声というのは、音程がいかに合うか、を求めてもほとんど意味はないように思う。
やはり「自分自身を磨く」ことでしか、魅力そのそもの向上させることはできないのである。


どれだけ素敵な曲を知っているか、それをどれだけセンスよく歌いこなせるかなど、すべては、知識や技術修得だけでは絶対に得られない。
「自分そのものの魅力を上げる」ことでしか実現できないのである。

音楽や歌について語ってはいるが、結局、あなた自身に魅力があるのかどうかが、カラオケでも大きな要素となる。

音楽そのものを愛して、その魅力を深く理解し、自分のなかにそれをたくさん吸収することで、その人も魅力になっていく。
それは歌に限ったことではなく、すべてに共通し、ふだんの生活全般に係わること。

採点に必死になるだけでは、画面の見た目の数字(点数)は変化しても、あなた自身はほぼ何も変わっていない、のではないだろうか。