年度代表馬がホウヨウホウヨウヒカリデユールの時代wwwwwwwwwwwwwwwwwww [無断転載禁止]©2ch.net
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旧6歳時の成績
3着 エメラルド特別(名古屋)
3着 東海キング(名古屋)
地方での成績 38戦7勝 重賞勝ち 東海桜花賞(1回)
中央移籍
1着 朝日チャレンジカップ ←芝経験は地方時代に1走のみ
2着 天皇賞(秋)
5着 ジャパンカップ ←日本馬最先着
1着 有馬記念
1982年 JRA年度代表馬 どっちかっつーと
カネミノブ、グリーングラス、ホウヨウボーイの3年間の方がヒドイと思う
カネミノブ→有馬レコ勝ちも9番人気、重賞3勝も年間獲得賞金は公営のハツシバオー以下
グリーングラス→その年4戦1勝で有馬勝っただけ ホウヨウボーイの時代は競馬人気高かったんだが
むしろルドルフの時代が暗黒だった >>5
ハツシバオーが日本で一番稼いだ馬だったのかw
この賞金が伝説の金盃につながってしまったと >>6
モンテプリンスとかアンバーだね
人気あったのかなあ >>7
年間最多獲得賞金を地方馬が叩き出したのは
同年の公営四冠馬ハツシバオーと98年のアブクマポーロの2頭だけ
中央のG1賞金が上がった今ではもう起こり得ないだろうね
アブクマポーロはスペシャルウィーク、セイウンスカイ、サイレンススズカ、エルコンドルパサー、タイキシャトル
このメンツ相手に年間獲得賞金額で上回ったんだから凄いの一言 ハギノカムイオー、あの時代で\185,000,000は凄かった。 >>6
まあ戦後最長不況(当時)の辺りでしたし
他の公営競技もこの辺りしんどかったような
これが各公営競技でグランプリやる方向に向かわせたが ハギノカムイオーってアレでしょ?
テスコボーイの牡馬はセリに出さなきゃいけないルールの中で、もう事前に牧場と馬主の間で支払う額決まってる出来レースだったけど
そこにそういう事情よく知らない新参馬主が競りかけたもんだからアホほど値段が上がったってやつ、実際に動いた金額はそれより小さいっていう
ひょっとしたらトウショウボーイ産駒牡馬のサンゼウスの方とごっちゃになってるかもわからんが、どっちかは確実にそれ ホウヨウボーイとモンテプリンスの秋天の一騎討ちは名勝負!
枠連一点で取って感動した ハギノカムイオーは、姉の馬主&伊藤師と中村畜産のオヤジが競ったから、ド素人ではないな。 82
桜花賞 リーゼングロス
皐月賞 アズマハンター
天皇賞春 モンテプリンス
オークス シャダイアイバー
ダービー バンブーアトラス
宝塚記念 モンテプリンス
天皇賞秋 メジロティターン
菊花賞 ホリスキー
エ女王杯 ビクトリアクラウン
ジャパンC ハーフアイスト[外]
朝日杯3歳S ニシノスキー
阪神3歳S ダイゼンキング
有馬記念 ヒカリデユール
年度代表馬 ヒカリデユール 飛び抜けたスターは居なかったけど、競馬自体はコロコロ勝ち馬が変わって面白かったな
八大レースを勝って無い中にも個性派が多かった時代でもあった気がする >>17
凄いなこの年はw
しかも、春天、ダービー、菊花賞はレコードだったという...
>>18
サンゼウスのセリはよく知らないんだ。
でも3.5億だもんな。 >>19
メジロファントム
ジュウジアロー
サンエイソロン
シルクテンザンオー
ホスピタリティ >>21
いいねえ、あの頃は地方出身がそこそこ活躍したw 当時は地方黄金時代だもんな
関係ないけどこの当時の名古屋競馬場のパドックが有刺鉄線に囲まれてた写真見て笑ったわ >>23
カツアールなんかは中央唯一の勝鞍が宝塚記念だったりしてた >>27
未だに思うんだけど、加藤和が油断したんじゃないかと。
もちろん、それをキッチリ捉えた河内は凄いと思ってます。
>>25
カツアールとカズシゲがごっちゃになります、たまに。 >>17
競馬2板で以前きいたハーフアイストの厩務員の話はほっこりした >>27
勝負根性に優れたアンバーと競り合ったら勝てないと踏んで、離れた外から一気に交わしたと言ってた気がします 予定より後ろ過ぎた事は事実だと思う
河内本人が自分の騎乗ミスを馬がカバーしたと後述してる >>28
カズシゲ居ましたね
前のレスにも出てた中村畜産の社長の持ち馬でした
前レスにも出たサルノキングやハギノカムイオーも半持ちしてました この少し前、TTG、マルゼンの頃にJCが開催されてたら
勝負になってただろうか?ちょっと興味ある。 公営中京で、カズシゲとヒカリデユールの一騎打ちを生で観た身としては、その後の両馬の活躍は嬉しかったな >>33
個人的な見解ではチャンスは合ったと思います
特にマルゼンスキーは仕上げられれば高確率で勝てたのでは無いかと >>27
そういえば、この有馬は史上最悪の実況だと思ってる。
伝説のフジ堺アナの大レース初実況? ホウヨウボーイはプリティキャストに秋天で逃げ切られた印象
ヒカリデュールは雨の有馬でアンバーシャダイを差し切った印象
しかしまったく語られない時代の名馬
まだカツラノハイセイコやハギノトップレディ、ハギノカムイオ―、サクラシンゲキ
あたりの方がまだ名前出てくる。 ホウヨウボーイってトウショウボーイのパチもんってイメージしかないわ 地方所属で別に最強馬でもないようなやつが
実は芝生で走ったらルドルフやシービーなんかを捻れる実力があったかもしれないやつが
人知れず埋もれていたかもしれないと思考えていいんですかね? >>40
こういう馬はダートでも普通に走って名馬になってた時代
これよりも後だがサンオーイは中央の調教師が見事にぶっ壊した代表例 >>40
可能性は有るとは思うけど、多分限りなく低いとは思います
南関最強馬だったアズマキングが中央入りしたものの、芝はサッパリみたいな例は多かったですけどね ヒカリデュールは一介の地方馬から中央の年度代表馬まで昇り詰めた
英雄にも関わらず、引退後は不遇過ぎた
同じ地方出身のハイセイコーやオグリに比べると
サラ系故に最初から生産者に敬遠され、最後は消息不明というのは余りにも悲しい ヒカリデユール、カズシゲ前後の東海公営って異常にレベル高いんだよな、確か
ハローキングも壊さなきゃ天皇賞チャンスあったという述懐を伊藤修司がしてたはずだし
ゴールドレットは後年ジュサブローがJC出た時にジュサブローの調教師が同じ生え抜きならゴールドレットの方が強かったという述懐がある(管理調教師は別)
んで笠松の生え抜きなら最強の1頭のダイタクチカラが少し上で、そのダイタクチカラと地方競馬招待でワンツー決めたリュウアラナスも居る 地方にも強い馬が点在していた時代
北に コトノアサブキ
東に アズマキング
西に ハローキング
と言われていた プリテイキャストの天皇賞
昔はディスクボックス?の定番だった 82年の天皇賞(秋)の動画見たけど色々とスゴいんだよね
ゲストの大坪さんがレース前から小島太の騎乗をディスったり
西の前哨戦を東の人間は詳しくは把握していないみたいな前提が新鮮 >>48
その動画を見ていると普通の競馬中継でいいよねえ
今のフジやカンテレとは大違いw ホウヨウボーイとモンテプリンスがjcで振るわなかったのは秋天の一騎打ちの反動という説があるね ジャパンカップ五着かいな
そりゃすげえわ
ってなった 南関東と東海は双璧と言うべきレベルの高さを誇ってましたね
その次が道営の順でした
中央じゃ脚が持たなくなった馬がよく流れる紀三井寺なんかも有って地方競馬も面白かったです >>51
ホウヨウボーイはゲートで顔面ぶつけて歯をへし折って血飛沫上げてたらしい
加藤和宏がそれもあって一切追わなかったから、まともなら勝負になっただろうと後述してる
ホウヨウボーイの場合はアンバーシャダイに置いていかれた有馬がお釣り無しだったんだろう >>54
ちなみにモンテ吉永はホウヨウボーイがそんな状態だと気付かず、マークしていって一緒に沈没… 逆に今年のJCのメンバーはショボいってここ最近毎年言われるけど
第3回なんか海外勢は手薄も手薄なんだよなぁ
ハイホーク、エスプリデュノール、スタネーラ、今の時代なら3頭とも二桁人気かも 3回目はオールアロングに断られたよね。
凱旋門賞とワシントンDC勝ったからもういいわ^^って。 ユーザーフレンドリーが凱旋門であと半歩踏ん張ってたら
6戦6勝の凱旋門賞馬が来日してたんやなぁ
盛大に散る事になるけど >>1
さすがにホウヨウボーイの時代は分からん(笑)
負けたわ(笑) >>57
第5回と比較したらショボくは無いよ
当時ジョンヘンリーに次ぐ北米No.2ホースのエリンズアイルも居たし、前年覇者のハーフアイストも来てた
スタネーラだってアイルランドのトップレベルに位置してた馬だったしね
どうしても前年と比較したら、そう感じるのも無理は無いとは思うけど 82年に馬券買い始めた人が当時20だとして、現在55
もちろん当時既に馬券歴数年たってる人もいただろう
よってこのスレに詳しく当時のことをレス出来る人
50代60代?あるいは70代もいる!? 加藤和って糞下手な割には良い馬乗れてるよな
シリウスシンボリとか今なら即乗り替わりだな 83票 スペシャルウィーク(AJCC1着 阪神大賞典1着 天皇賞春1着 宝塚記念2着 京都大賞典7着 天皇賞秋1着 JC1着 有馬記念2着)
72票 エルコンドルパサー(イスパーン賞2着 サンクルー大賞1着 フォワ賞1着 凱旋門賞2着)
56票 グラスワンダー(京王杯1着 安田記念2着 宝塚記念1着 毎日王冠1着 有馬記念1着) >>67
当時も乗り替わり問題で大変だった。
二本柳の大先生は頑固者なので加藤の乗り替わりは無い。 >>67
加藤が下手は無い
二本柳俊師の秘蔵っ子みたいな感じで、他からの騎乗依頼が来ても二本柳俊師が断っていた 浅田次郎もこの時期の競馬はすごく面白かったって言ってたな
すごく強いスターホースが出てたからと言って、その時期の競馬が面白いのかと言ったら
それは関係ないってこったね 加藤和宏の腕はともかく「シリウスシンボリに関しては下手に乗った」と言われても致し方ないのは確かだろうね >>74
加藤は寧ろ上手かった
けれどシリウスシンボリで旧3歳時、二回ヘマしてしまった
上手い下手抜きにして乗り代わりは当然とは思う
特にオーナーが、あの和田共弘氏だしね >>19
あの頃はスーパースター不在でも個性派が分厚く存在して今思うと最高に面白かったですね
牝馬だけでも、セーヌスポート、ジュウジアロー、ジュウジエイブル、プリティキャスト、ハザマファースト、エイティトウショウ
他にも関脇小結でヨシノスキー、サーペンプリンス、ニチドウアラシ、スリージャイアンツ、キョウエイプロミス、メジロティターン…
今ではホウヨウ、アンバー、モンテ位しか語られないけど、すぐ下にクセ者が一杯いて凌ぎを削ってました
近年の重賞は、すぐ燃え尽きて「出席するだけの脇役」化するのが多く、面子が薄い気がします この頃は厩舎と騎手の結びつきが強いよね
自厩舎の人気薄ハツシバオーに岡部が乗る為にグリーングラスは引退レースの有馬記念で大崎昭一に乗り替わり
自厩舎の馬でダービー勝ちたいからって中島啓之が皐月賞馬アズマハンターから降りて
旧3歳戦で実績残してるとは言え重賞未勝利のトウショウペガサスにNHK杯から乗り替わり 77−82年世代はよくわからんな
わかるのはマルゼンスキーとバンブーアトラスくらい 2001年から馬券買い始めたオレ
ほぼ同時期に競馬はじめた輩もそうだろうが、この世代からすると全体的な暗黒時代といえば2007-2009だな
1982年もそのような時代だったとは先輩方勉強になりましたm(_ _)m ここまで史上最強の二冠馬、カツトップエースが出ないとは ホウヨウとモンテの天皇賞ってもっと語られてもおかしくない名レースなのに、JCの方が語られてしまう悲劇 オペックホース
カツトップエース
バンブーアトラス
語られないダービー馬たち 皐月賞馬もすごいぞ
ハワイアンイメージ
カツトップエース
アズマハンター 菊花賞馬も...
ノースガスト
ミナガワマンナ
ホリスキー カツラノハイセイコですら現代ではほぼ語られないよね 90年代後半から競馬に触れた人間だけど
当時の名馬や名勝負みたいな話でもCBとルドルフ以前の競馬って
シンザン、ハイセイコー、TTG、時々マルゼンスキーやカブラヤオーぐらいか
ダイナナホウシュウとか知りようもない >>85
ミナガワマンナ、ホリスキー、アンバーシャダイのアル共は今でも聞くな >>79
2001年だとその時期は既に斜陽だろう
ギャンブルと言えばパチスロの時代に突入してたし
わざわざ馬券買いに行って当たらない競馬より若者達は設定6を探しに朝から並んだ 長距離偏重の番組の時代で一度勝った馬は天皇賞に出られないルールがあったのに
菊花賞馬が後に天皇賞を含めて大レースを勝つって例があんま多くなかったのはなんでだろうか >>86
ド根性の馬と言われた
カツラノハイセイコ懐かしい
馬体重が大幅減だったり
故障休養明け1年ぶりのレースだったりしても
根性だけでゴール前は追い込んできた
父ハイセイコーとは正反対に
ものすごく泥臭く活躍した名馬 >>91
ハイセイコー 皐月賞 宝塚記念
カツラノハイセイコ ダービー 春天
お父さんが勝てなかったレースを勝った孝行息子 >>92
そう
そしてお父さんの勝ったレースでは
すべて負けたという異端児でもあった
実際には母ジャヴリン
その父タルヤーの血を受け継いでいたと言える 名馬史をざっくり言うと
メイズイ
シンザン
暗黒
ロングエースなど3強+タニノチカラなど豊作
ハイセイコー
カブラヤオー
TTG(ここまで名馬の時代)
暗黒
シービー
ルドルフ
暗黒
タマモ
オグリ
谷底
マック(芦毛時代)
テイオー
ブルボン
ブライアン
暗黒
98
暗黒
ディープ
暗黒
オルフェ
以下、ずっと暗黒
こんな感じ ニホンピロウイナー
ブロケード
ゲイルスポートなどなど
短距離路線が整備されていれば、もっとクローズアップされたろうに。 >>97
ゲイルスポートは1200なら1170、1000でも970で垂れるイメージしか湧かないけどね ハギノカムイオーを潰す為だけの存在だからなあ
加賀は今だったら相当叩かれると思うぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています