【凱旋門賞】「チャンスはあると思いますし、勝ちたい」池江調教師インタビュー〈その3〉


 ―オルフェーヴルでは2年連続で2着。12年はゴール前でソレミアの強襲に遭いました。

 「取りこぼした、という感じでしたね。競馬が終わって、ホテルに帰った時にエキディア(フランスの競馬専門チャンネル)が流れていて、ゴール前がアップで何度も流れて。
悔しくて、涙が出ましたね。競馬で泣いたのは、後にも先にもあの時だけ。スミヨン騎手も家で泣いていたら、奥さんも子どもも泣いてくれて、家族みんなで泣きじゃくっていたそうです。彼も競馬で泣いたのは初めてと言っていましたね」

 ―13年はトレヴから5馬身差の2着でした。

 「前年の時ほどのコンディションにもっていけなかったですね。5歳春の鼻出血が尾を引いたかな。
そして、ヨーロッパの層の厚さを痛感しました。勝負どころでキズナにブロックされて追い出すタイミングが遅くなったが、
(トレヴに)直線でさらに突き放されましたからね。
向こうはゴールまで手綱を引っ張っていたし、完敗だなと思いました。と同時に、前年度の取りこぼしが悔しくて。
自分の未熟さを痛感しました。1年目は扉に手をかけたけど、開くところまでいかず、2年目は扉に手をかけるところまでいかなかった」

 ―06年には父の泰郎さんが手がけたディープインパクトの帯同馬であるピカレスクコートの調教師として同行しました。

 「親の敵を―というのはもちろんありますね。ディープは勝てると思っていたし、何とかディープ産駒で勝ちたい。そして、優勝パレードの時に父を馬車に乗せたい」