幼少期は寂しい子供時代だったんだよ
兄二人は勉強も優秀で、スパルタ教育の母は、勉強嫌いな豊を差別していた
いつも外に閉め出され、近所の馬房の馬達が話し相手で心の支えだった
石橋守や河内や田原なんかは、そういう姿を知ってるので当時から可愛がっていた
父邦彦は放蕩癖が酷くあまり家に帰らなかった
幸四郎が産まれると、両親は末っ子なので溺愛し始め、豊は更に蚊帳の外に追いやられた
兄に気を遣い、弟の為に我慢し、感情を抑制する癖がついてしまった
競馬学校入学手続きも全て自分で行い、学校生活の三年間一度も親は面会に来ず、外泊時のお小遣いすら無かった
そんな豊に手を差し伸べたのが同期の蛯名
蛯名が自分のお小遣いを分けてあげて外泊時は一緒に行動していた
卒業後、邦彦が自分の厩舎では無く武田さんの元へ託したのは、幼少期から面倒を見てた河内が居たからだ
邦彦には豊を育て向き合う自信が無かった
豊が卒業式のスピーチで、武邦彦の息子では無く、豊の父と言わせてみせると宣言したのは、そういった親子関係からきていた
洋一のポスターを部屋中に貼り、父に対して囁かな抵抗をしていたりね
放蕩癖の父ではなく、寡黙で華やかな洋一に憧れて、騎手を目指したんだよ
だから豊は、デビューから数年は強引な騎乗が多く、制裁も多かった
大川さんは、武邦には似ていない乗り方だと苦言した事もある
マック降着事件以降、更に成長出来たから良かったがね

幼少期の話し等は、浅見国一が話していた事