双葉山時代はこのペースだった
それが若乃花(初代)の頃に興行中心になってスポーツとしての相撲が廃れた
年間6場所、90勝負では例えば骨折をした力士が骨が治るまで休めず皆が痛いところを抱えながらの興行になってしまい
真剣勝負とはかけ離れたものになってしまう