【魏の曹操】劉備玄徳に天下統一の機会はあったか?【呉の孫権】
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最近三國志読んだんだけどなんで諸葛亮や龐統、関羽や張飛いたのに負けたの? >>79
孔明の説得が下手だったんじゃないか?ホウトウが来たら、リュウショウ攻めたし 国力的には官渡の戦いが実質天下分け目の戦い
日本やと本州の東と西が曹操と袁紹で、
九州が呉で、四国が蜀やろ 張遼も良いね。呂布の騎馬隊の力を引き継いでるね。軽騎兵、凄いね、あれは。泣く子も黙る。 三国志に於いて関羽ほどに大将首取った奴も
居ないだろ
呂布はザコ専で怪しいし
張飛なんて何もしてない >>102
四国と九州が本州を同時に攻めたら、
どっかは削れるから。 やっぱりこの時代で一番の英傑は曹操だな。彼自身はかなりのインテリで有能だったけど
こういうタイプは自信過剰に陥りやすい傾向があるが曹操は能力がある人物を集めて
適材適所に使ったのが偉い。あの司馬仲達も曹操に認められて出世していったし。 簡単に言うと関係性は蜀がジオン、魏が連邦ってとこ
メンツ保つためにちょっかい出してやった気になっただけだね(北伐)
国力差20倍は本当だよ
どんなにエースパイロット(将軍)揃えてても数には勝てなかったし補給も続かなかった
今ですら陸路で長安から成都まで歩くと行き倒れるレベルなんだぜ?無理無理w >>30
赤兎馬はキタサンブラックより強いのか?
がベストなスレタイのになwww 天下三分の時点で劉備は詰んでた
袁紹がもう少ししっかりしていれば 物語りなどでは登場人物たちが普通に会話をしてるけど、実際は例えば曹操・劉備・孫権は
ほとんど外国人同士が会話するようなものだからな。 劉備と孔明でさえスムーズな会話が出来てなかったらしい。だけど孔明は今でいうところの
バイリンガルだから劉備の出身地の言葉は多少はわかるけどそれでも完全に普通の会話は出来なかったらしい。
筆談などを交えて苦心して劉備との意思疎通をしてた >>113
今でも中国人はそんな感じ
中国語が地域によってぜんぜん違う 劉禅は場所的な要素もあるけど仮にも孔明が死んだ後30年国を保ったわけだし
孔明には完全に好きなようにやらせていたんだし優秀だよ
>>43の返答も滅んだ国のトップが宴でカマかけられた場面での答えとしては100点
この返答では難癖のつけようもない >>105
本州全土で2000万石くらい
四国・九州合わせても300万石くらい
合計しても7倍の兵力差
2方面同時に攻めても余裕だよ >>116
始皇帝の統一は例えるならば今のヨーロッパがひとつになったようなものだよな まがりなりにも史実を記録した三国志と、物語の三国志演義は、別物。 少ない可能性はあったけど関羽が荊州奪われた時点で詰んだ、夷陵の戦いでさらに追い討ちをかけて終わった テキロとかいう縁起の悪い馬いたよな
あれに福永祐一乗せたいよな、日本ダービーで矢が飛んできそうだしwww 誰かが乗って死ねばそれ以降縁起の悪さは解消されるらしい 演義の入蜀前の孔明なんて知力300だからなw入蜀後は知力95ぐらいになってる まだ三国時代までは国や政権を追われても献帝や劉禅などは退いた後も天寿をまっとうしたけど
その後の東晋・宋・斉・梁・陳の場合は政権が交代すると前政権の王族は皆殺しにされたんだよな・・・ >>120
曲がりすぎてるからたいして信用できない 実質関羽が三国志では最強の存在なんだけど
それが潰れた時点で終わったよな
最強と言ってもタイマンで勝てる相手はいないが、囲まれれば普通に負ける
それは呂布でも馬超でもそうだわな >>124
是非競馬会の鳳雛こと福永祐一にテキロに乗ってもらって
日本ダービーで華々しく散って欲しい! 結果はどうあれ、反董卓連合が集結するシーンが好きだったな。 優柔不断を好意的に解釈された劉備
優柔不断を批判的に解釈された袁紹 袁紹が田豊の言う事聞いてもうちょっと検討してればね
横山派が多いのかな
蒼天航路派は少数か 三國志の武将は、ひらがなを変換したら、一発ででてくるな。武豊もでてくるがな。 >>134
そうなんだけど、結局日本で呼びやすいように、かっこいいように呼べばいいよな
厳密にいうと読み方そんなんじゃないし、字を使う相手使わない相手も変わってくるし役職で呼んだりってことにもなってくるからね 何で劉備美化されたんだろうな・・・
曹家ばかり叩かれるがこっちも献帝生きてるのに皇帝名乗ったクズやで 田豊は言ってることはまともだが言い方が目上の人に対しても挑戦的でとにかくイライラさせられるような人間だったらしい >>133
全く同意。小学生の時に袁紹の話読んで、人の話を聴く事は大切なんだと学んだ。沮授と田豊は使える主人を間違えた。 >>138
単に日本人の中2が、王道主人公だとか聖人君子に劣等感抱いて貶す思考に陥ってるだけ
普通に当時の大善人で人気も実力もあったからだよ three kingdomあれ面白いよね
あれくらいハマった歴史ドラマないわ 伏竜と鳳皺どちらか1人でも得る事が出来れば天下を窺える、と言われた2人ともを家臣に迎えたまでは奇跡的だけど
その内の1人を戦死させる様なトップでは天下を獲るなんて事は無謀だったんだろう
劉備はいたずらに戦乱に拍車をかけただけの存在 そもそも袁紹が有能で息子達をちゃんと教育していればサクッと終わる時代だったのに >>139
俺が袁紹なら田豊を牢獄に繋ぐとか甘い事をせずに
即斬るけどな、どうせ福永祐一みたいな奴だしなw 福永はぎゃくじゃん
言ってる事はおかしいけど目上の人にはペコペコして話し方は場慣れていてとにかく上手い >>149
田邦彦や田幸四郎といった親族も功労者だし、なかなかそんなことも出来ないんだろう >>149
そういう所が、袁紹の優柔不断たる由縁なんだろうさ >>148
本当にそれ。身内で争ってどうすんだよ。片方は敵である曹操を頼る始末。本末転倒過ぎる。普通にやってれば、袁家の統一だよな。 >>94
まだ落ちてないのかw
孔明は漢の三傑で言えば蕭何タイプ
叩き上げの劉備にはそれがわかってたから劉備存命中の孔明は主に内政と補給など後方支援を担って軍事面では発言権はほぼなかった 劉備は曹操には勝てるけど孫権には勝てないからなあ
項羽と劉邦みたいに二大勢力で争っていたら天下統一できてたかもしれないね 袁紹で思い出したけど、
関羽が曹操の元に身を寄せ、劉備が袁紹の元に身を寄せてていた頃の話
関羽が曹操の元にいるという話を耳にした劉備は袁紹の家臣で勇猛で鳴る文醜に
「関羽を見掛けたら私(劉備)は袁紹殿の元にいると伝えて欲しい
関羽は必ずや袁紹殿の元に駆け付けるだろう」
と頼んだそうだ
話を聞いた文醜は快く承知、戦場で関羽を見付ける
劉備からの伝言を伝えようと関羽に声を掛けた所、戦闘モードの関羽は振り向き様に文醜を叩き切ってしまったとか
正史とかではなく、民間伝承かなんかの話だけど何となく劉備という人物を象徴しているエピソードに感じて印象に残っている >>1
張良、韓信、蕭何、曹参、樊噲、韓王信、陸賈、英布、周勃、王陵、周昌、酈生がいなかったから。 諸葛亮と言わず孔明と呼んでいるのはいかにも競馬板って感じがする 顔良、文醜の二枚看板が一瞬で斬られたからな、あの頃の関羽は切れたナイフだったな。 >>161
これが事実だったなら
人の良さげな文醜が不憫で
劉備はつくづく罪な人物だとも思ってしまう >>168
劉備「あいつ買い被り過ぎ。大したことないぞ」 >>168
師匠であり兄のような存在の孔明が悪いな
謀略や後方支援で使えばいいのに重要な場面で使ったしな
競馬で例えると平場で活躍してもG1では用なしタイプ あの兄弟って実はどっちも大した事無かったんじゃないの
白眉とか言う兄の方も夷陵で劉備に付いて行って火攻めを止めれずただ死んだだけだし 孔明と仲達は字でって人が多い気がする漢字3文字だからか? 諸葛孔明以上の軍師って誰だ?
既出の張良くらいしか思いつかん 卒論三國志の俺が来ましたよ〜
ていうか
曹操が天下とりそう→いやもう1人で抵抗できるわけないじゃん。天下とるより3分割ぐらいで、バランスとれば生き残れる。
ていうのが孔明が授けた天下三分の計なんだから=とれるわけないが正解だろ。
とれたら最初から三分の計なんかやるわけないだろ。話しの腰を折るような質問だ。反省しなさい。 >>138
12世紀頃に北方の女真族に華北を奪われ
漢民族が南に追いやられた背景を元に
金を魏の曹操、南宋を蜀の劉備に見立てて
劉備=善、曹操=悪という構図が確立されたと言われている >>176
軍師をどういう役割として定義するかによるが、
孔明は基本政治家であって、軍略家ではない。
蜀で言えば法正、ホウ統の方が「軍師」と言える。
魏だとカク、郭嘉あたりか。 こういうこというと実も蓋もないけど
過去の人物の功績とか性格の伝聞であてになるのって
せいぜい過去200年程度じゃね
アメリカ建国されるより前の時代の人間と考えると相当信憑性は厳しい
江戸幕府だって末期はさすがに記録取ってる学者いたかも知れんけど
初期の3大将軍時代とかは神格化して話盛ってるだろうし
まして中国三国時代は… >>179
卒論三國志の俺だよ
三國志演義の成立年代は、元末→明初だからモンゴル(元)や金などの異民族をやっつけろ的な気持ちと滅んだ漢を復興させるドラマと重ね合わせた。と言われてるよね。
ただ判官びいきみたいのは、中国人にもともとあって唐代には、『説三分』=三國志の原型たぶん講談みたいなやつをやると観客は、劉備が勝つと喜んだとすでにある。 >>180
ありがとう。その辺全然知らなかったので参考になります。 >>5
この人口比率のところは、三國志の話しの趣旨では、大切だと思うぞ。
俺が聞いたのは、魏と蜀では、10対1ぐらいと聞いたが孔明さんは、少ない方なのにガンガン攻め込んじゃうですよ。
この出鱈目感。いやこれぞ攻撃的防御。
そもそも呉があることで牽制されてるからできる戦法であって、その根本の形(三分鼎立)を作りあげちゃう政治感覚。これが孔明の真髄じゃないですか?
でも史実だと最初に考えたのは、魯粛なんだたとか。最も俺は三國志演義が専門で史実の正史あまり興味ない。 >>185
北伐は劉備死んだ後纏める為のパフォーマンスだよ(謙信もよくやってた手法)
一か八かなのに魏延の長安強襲案は退けてるのが根拠 龐統って変換できることにビックリシタナモー(笑)
龐だけだとどうやって書いたらいいの?
↑ちなみにこれはコピペしただけ >>186
そうだったんろうね。演義を読むだけでは、その意味がかえってわかり辛くなっちゃうんだよね。
>>130
漢字探すの面倒。
ホウトウが乗ってた馬は、劉備が乗っていた的盧と思われがちだが演義をよく読むと思わせ振りなだけで明記されてない。これマニアの豆情報ね。俺も最初そう思いこんでた。 >>11
三國志演義では、関羽は、だいたい関公と書かれていてなぜか1人だけ『さん』づけなんですよ。チョー別格なのよ。
キャラクターによって『さん』づけとか呼びつけとか曹操は、幼名でなんか怒鳴りつけてるの?みたいな書き方になってたりする。いや差別でしょ >>31
おいおい
三國志演義の前のバージョンの太平三國志平話を知らないな
こっちは、生まれ変わりネタなのよ
カンシン→曹操
ホウエツ→劉備
ゲイフ→孫堅
カイトウ→孔明
劉邦と呂后→献帝と皇后
司馬相如(そもそも誰よ?)→司馬懿
て設定があんのよ。
だからカンシンは、曹操なんだわ
でも史記だと蜀から関中に攻めいったのがカンシンなの変なねな。 >>173
原住民を調略して味方に付けたから任務は果たしてる。
軍略をどうこう言う地位に無かったから、どうしようもない。 >>176
陳平
范増を嵌めて項羽と離間させ、脳筋項羽を騙して劉邦を逃がし、呂后が専横すると、殺されないように酒色に溺れたフリをして、呂后の死後に劉氏に政権を取り戻した。 >>9
馬超って異民族なの?後漢の時にあちこち暴れまわった馬阮だっけ?っかの子孫でなかったっけ?
三國志のキャラクターなかじゃむしろ由緒正しい方だと思ってたが、あれは演義だけ?設定上なの?自分で子孫て勝手に名乗ってるだけ? >>193
チンピラの語源だよなー
チンピラならみんなよく見たことあんだろ >>58
系図のことはあまり詳しくないが、最近、劉備の名乗りに出てくる何代か前の王族の墓は、発見されてるんだよな。部分的には、系図が続いていたことは間違いないらしい。
そもそも蜀漢が、後漢の後継王朝と見なされなかったのは、血統の問題でなくて勝手に王を名乗ったり、そもそも曹操と戦わないで他の王族の領地分取りまくって復興させる気ねーだろと評価されたわけであって。
その違和感に読者つっこもうよ(笑)
魯迅は、劉備と孔明の設定偽善者すぎんなー。曹操は、悪く書こうとしてんのにかえって人間性でまくって愛すべきキャラじゃん。関羽だけが、作者の意図にはまってて完璧と評価したとか。 劉備玄徳って呼び方はおかしいんじゃなかったっけ?
劉備か劉玄徳が正しいって聞いたが 魏も結局なくなるしね
呂布と一緒にいた陳宮が好きだったなあ >>197
諱のことを言いたいのかな?
本来、字で呼ぶんですよね。
諱は、口に出して言わないわけでまあゲド戦記ですよ。俺、あれ見て諱の話しかな?と思ったよ。
諱で検索して見ればわかるよ。
なんせ中国は、皇帝なんかになれば皇帝の諱は、畏れ多い国中で使っちゃいけーね。なんてことになる。
漢字には、同じ意味の字が複数あることがあるが、これは、実はここから来てたりする。
劉邦が出てくるまで『くに』のことは、『邦』で表したが、劉邦が皇帝になっちゃったから『邦』は、使えなくなり『國』がそれに代わった。 実際は曹操が袁紹破った時点でほとんど勝負あったんだっけ。あれで国力が圧倒的になったと。
日本の戦国時代でいうなら人口も経済力もダントツの畿内完全にとったようなもんか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています