エルコンドルパサーが凱旋門賞でモンジューと死闘した時、フランス人たちは凱旋門賞馬は二頭いたと讃えた
日本人生産者による複雑なインブリードと配合理論で生まれたエルによって、ようやくアジアの後進国はホースマンとして認められつつあったのだ

それからしばらくして、フランスに金子服を着た大量の日本人が押し寄せる
彼らは紳士淑女の社交の場であるロンシャンでレースプログラムを我先に奪い合ってワゴンを押し倒し、奇声にひとしい大声を上げた
その日本馬の結果は完敗の上、薬物失格だった
フランス人は彼らを「ジャパニーズクレイジー」と呼んだのである