武豊4000勝“同姓同名”愛知・武豊町も歓喜 町長エール「記録伸ばして」

天才ジョッキーと“同姓同名”の町「武豊町(たけとよちょう)」も快挙達成を喜んでいる。
読み方は違うが、同じ漢字が縁で武豊は2度来町。89年10月には当時20歳の若さで一日町長を務めた。

 「1億円ジョッキーとして騒がれていた時。絶大な人気を誇っていた」。こう当時を懐かしむのは籾山(もみやま)芳輝町長(71)。当時は産業課。
スーパースター来町の興奮を、写真を手に振り返る。メインのみゆき通りを通行止めにして、オープンカーでJR武豊駅から役場までパレード。
「町民だけでなく競馬ファンも大勢駆けつけた。知らない町に来て最初はびっくりしただろうね」。
町制60周年(14年)記念誌に「武豊騎手1日町長として来町」と町史に刻まれるほどのビッグイベントだった。

 2度目の来町は99年7月。タレント見栄晴とのトークショーで訪れた。
当時、企画課長だった籾山町長はイベントをサポートする立場。
当初は2人でのトークショーを予定していたが「1人友達が行くから」(武豊)。
名古屋場所を終えた貴闘力(元関脇)がサプライズで登場。
会場はさらにヒートアップした。
籾山町長は「最初のあいさつで“初めまして。私の名前はたけとよです”と気を利かせて笑いを誘ってくれた。トークショーの盛り上げ方もうまかった」と回顧した。

 今でも武豊町と武豊の絆は強く結ばれる。武豊町は武豊が重賞Vや節目の記録達成時に祝福のメッセージを贈り、年賀状のやりとりも続いている。
籾山町長は「彼の騎乗はブレがない。膝で全てを吸収する走り。全く動かない。それだけ技術がある。天性のものだろう。温厚で人柄もいい」と絶賛。
「4000勝は一つの通過点。この先、5000勝、6000勝と記録を伸ばしてほしい」とエールを送る。
偶然が縁で平成元年から始まった“武豊同士”の親交。第二の故郷はこれからも同名のスターを応援し続ける。