兄弟子の河内洋調教師(63)が、武豊騎手の偉業をたたえた。
共通の師匠だった武田作十郎元調教師(故人)の「人に好かれよ」という教えが、JRA通算4000勝の原点。
弟弟子のデビュー時を「技術的には言うことなかった」と振り返り、今後については「体が資本。さらに活躍してほしい」と願った。

河内師が騎手としてデビューしたのは74年。
その13年後の87年、自身と同じく武田作十郎厩舎から中央競馬界に現れた若武者が武豊騎手だった。

「頭のいい子やから、何をすべきかを分かっていた。
親父(武邦彦元調教師)に迷惑かけないように、というのを一番にやってたと思うよ。みんなから応援してもらってたしね。
それが一番やろうね。自分1人じゃできないから。みんな協力してくれていた」。

兄弟子として助言やアドバイスを懇々と言い聞かせたわけではなかった。逆に、武豊騎手から聞かれることも少なかった。

「質問されることは、あまりなかったね。自分で考えていた。
言われたことは素直に聞いていた。技術的にもこっちから言うことは、なかったね」。

そんな中で、師匠の武田師が口癖のように言っていた言葉があるという。

「『人に好かれよ』というのが、師匠の教えやった。人に好かれないと、馬に乗せてくれないからね」

競馬が、今ほど国民に受け入れられていなかった時代。職人気質の関係者も多く、ひと癖もふた癖もある騎手が多数を占めていた。

「武(邦彦)さんはクセものやったからな(笑い)。ユタカは素直やから。親父からすれば、まだまだと思ってたかもしれんけど。人の邪魔してナンボという面があったからね、昔は」
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