90〜95年をリアルタイムで体験した人教えて!
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90 アイネスフウジン 大中野コール
91 トウカイテイオー 無敗二冠
92 ミホノブルボン 無敗二冠
93 三強対決
94 ナリタブライアン 無敗三冠
95 サンデーサイレンス旋風
羨まし過ぎる。
毎年毎年競馬が面白かっただろうな。 つ「調教、追切なんかじゃ普通に75kgの助手や調教師が乗って馬追ってる」 1988年(昭和63年)は中山競馬場スタンド改築だったので
中山開催は正月のあとなくて、次が暮れの開催だったが
旧スタンドは4角に近いほうだけ残っていて
新スタンドは完成していず、あちこち囲いだらけで
今の東京駅とか横浜駅の工事中区域みたいに
狭い仮通路を通ってパドックから本場場に出るような
状態だった
開幕週だったか、カリブソングが芝2000mの新馬戦に
一本人気で出て、負けたのを覚えている
(2着だと思っていたが、今調べたら3着だった) 今は重い斤量がなくて、とくにハンデ戦なんかで
買う意欲が高まらんよなぁ
馬場も整備されているし、おまけに騎手の体格向上もあるだろうから
上限を62〜63Kgぐらいに戻してもいい気もするが ラシアンゴールド、アドマイヤボサツ、ミスタートウジン、そしてナリタハヤブサとダート路線が整備されていない時代の名馬達。 これだけは言える
ネットが当時あったらまた別の盛り上がり方になっていたはず >>148
当時ネットがあったらオグリ関係のスレが何百も立つだろうな >>146
馬の平均体重も当時と比べて20〜30kgは増えてるよな >>144
そりゃ当たり前だわな
調教では前後の馬を避けて急加減速や左右に切り返しながら全力追いなんかしないんだから >>147
そこにダイナレターも加えてくれw
当時は重賞が年2回くらいであとはop特別しかなかったので
斤量でだんだん苦しくなっていくんだよな。 93年夏に競馬始めたけど、小倉開催終わって、秋が始まり神戸新聞杯で
ビワハヤヒデがネーハイシーザーを寄せ付けず完勝してたのが印象に残るかな。
ナリタブライアンが現れ、マックイーンが去り、トウカイテイオーが有馬を勝つ。
競馬始めた年は本当に印象によく残るレースが多かった。 源氏パイ藤田も若いころは俊英感があったよな
デビュー2年目だったか3年目だったか、
スターマンでナリタブライアンを下した京都新聞杯なんかは
面目躍如だった 日本は芝優先なのは今も変わらないけど、地方交流によって昔よりは
ダート路線はマシにはなってるね。
ただ、距離体系で言えば2000前後の距離適性ある馬はいいけど
短距離、長距離タイプはかなりしんどいよね。 >>153
札幌記念はダート2000だったのが
芝コースになったのがダート馬には厳しくなった
そもそも札幌がダート専門のコースだったと
知る人が少なくなってきてるだろうが >>159
札幌競馬場と言えば、さらにその前は左回りだった
自分もそのころは競馬やってなかったが……
90年代でなくてすまんが、ダートの札幌記念と言えば
重の鬼にしてダートの鬼オーバーレインボー
(これも4歳春は関西の秘密兵器と呼ばれていた)や
テルノエイトなどを真っ先に思い出す >>159
知識としては知ってたけど始めたのは89年なんで
実体験としては知らなかったなぁ。
自分が始めた時はもう芝あったわ。 90年代からやってる人間にしたら、老舗牧場がどんどん廃業してるのが辛い
メジロ牧場も早田牧場もないんだよなー >>143
テンポイントやトウショウボーイは勝ちまくってたので重賞でも60越えですぜ ムーンリットガールもこの時代だったな。
この頃って年末の深夜に中央競馬の振り返り番組があって良かった >>101
JRA最後の年にムーンリットガールという(抽選馬レベルで)強い馬がでてきて無謀にもスプリンターズSに使ったりしたけど当時の園田や南関では通用しないのは地方競馬ファンなら誰でも判ってた
西日本の公営はアラブ主体だったからそこそこアラブ競走の認知度は有ったのだろうけど
南関は重賞の賞金は高かったけど在厩頭数が減りすぎて
まともに条件戦も組めなかったので今の障害戦以下の存在感だった まだこの頃だとニホンカイユーノスが出る前か。
益田もまだあったんだよな・・・ >>92
佐藤浩市の愛亀の名前
佐藤トウカイテイオー 大学入学で上京してきて初めて買った馬券が天皇賞春
市川の大学だったのに錦糸町のウインズ行くっていうクラスメイトに頼んだのが最初だったよ。
イブキマイカグラの枠からのトウカイテイオーとメジロマックイーンの枠への流し馬券だったけど
同枠のカミノクレッセが2着に来て的中、でも何だかモヤモヤしたのを覚えてるわ。
負ける訳ないって思ったJCでのユーザーフレンドリーの惨敗とか有ったけいい時代だったよ! 俺はマックテイオーからだわ
昔は今みたいな切れ味勝負はすくぬかったなあ カルビソング、カミノクレッセは好きな馬だったな。
特にカミノクレッセは春天→安田記念→宝塚連続2着とか当時はえっ!?だった。 個性派が多かったよな主役級も脇役も
今競馬にはまってる人が同じように感じるなら単に思い出補正なんかもしれんが 個人馬主花盛りの頃だな
まだ名誉やノブレスオブリージュに価値が残ってた時代 >>174
悪い意味でファンの声が大きくなり過ぎた
こういうの盛り上げるにはマスコミの煽りも必要なんだわ >>168
レベルは差し置いて、南関東アラブ三冠とかサラ重賞より全然面白かったけどな。 イブキマイカグラは南井じゃなければ古馬G1を勝っていた。 >>168
ムーンリットガールって坂路でヒシアケボノと互角に走れるとか言われてなかったっけ?
アラブのレースは末期しか知らないけど、未勝利だろうがオープンだろうが1日に1レース、しかも第1レースに組まれていたから本当に見てる人も少なかったと思う
ただ、連闘や中一週が当たり前で走っていてメンバーもそれほど代わり映えしなかったから個々の馬を覚えるのは早かった、自分はエスエムファイヤーという名前のインパクトが印象に残ってる >>1
SS旋風はスゲーなってだけで、盛り上がったり面白かったりはしてない。 レースシーンがプリントされたラガールカードを使って阪神競馬場まで通っていた 大川がライアン!と声を出してしまったのが忘れられない おお逃げのツインターボ
地方移籍で今はなきかみのやま競馬までいったわ オグリのラストラン(90年)
テイオー奇跡の復活(93年)
の有馬に両方出てたホワイトストーンさんのこともたまには思い出してあげてください 銀座WINSが入場規制したときがあったな
あの時に比べたら今はガラガラだよな そう言えばウインズ梅田のエスカレーターで事故が起きなかったか?
ナリタブライアンが参戦した高松宮杯(G1として第1回)、中京競馬場が満員札止めになってたな >>193
ウインズ梅田のエスカレーター将棋倒しは96有馬の日だったはず >>195
明石の歩道橋のやつか?あれは2000年過ぎてからじゃなかったか? >>196
2001年だね
27時間テレビの放送日で番組内でドミノを制作予定が事故が起きて企画が無かった事になった ミホノブルボンが当時の3歳最優秀牡馬?に選ばれた時の司会進行役は草野アナだった
ウインズで映像が流れてた
ミホノブルボンは人気薄を連れて来て特大万馬券を出してたが、当時の本命党は馬連から超人気薄など買わず、特に重賞では度々大きな配当が出ていた >>1
あの頃はみんな本気で三冠馬、凱旋門賞馬を目指してた
今は楽して稼ぐのが偉いって風潮で、短距離馬化、高速馬場になってしまった 94のエリザベス女王杯が大好き
オークス馬とマル外の意地をかけた一戦 >>200
あれは現地で見てたけど、良いレースを見たなぁという気分になったね >>198
テイオーのダービーの単勝が1.6倍も付いて、高校時代の俺は進学しなくても馬券で食っていけると確信したわ。 >>138
ホワイトストーン、ハギノリアルキング、カミノクレッセ、ムッシュシェクル、センゴクシルバー、スターマン、ゴーゴーゼット、インターライナー、エアダブリン辺りがG1勝つようなもんかなぁ
>>167
去年復活したけど何か物足りなかったわ テイオーとマックイーンの春天のレース前一週間が凄かった。
NHKの7時のニュースで追い切りを流したくらい盛り上がっていた。
スポーツ紙も一週間「帝王」が大見出しだった。 ダビスタをやり過ぎて、実際の競馬で3〜4馬身付けてもG1三つくらい勝っても、大したこと無いな、つまんねー、と感じてしまう弊害 >>204
録画したの見たらNHK特集は二日連続だったわ
めちゃ長いので触りだけ書くと
7戦して7勝負け知らずのトウカイテイオー
無敵の新わあを今度も作るか
手綱を取るのは現役最多勝の名ジョッキー岡部幸雄43歳
天皇賞連覇を目指すのはメジロマックイーン
騎乗するのは天才ジョッキー武豊騎手23歳
ファンの声
(トウカイテイオー勝つ メジロマックイーン勝つ (騎手の)武豊勝つ)を挟んで
天皇賞 ‘‘夢の対決”
世紀の対決とも夢の対決とも言われますのは明後日の天皇賞
骨折を乗り越えて今月初め大阪のレースで復活したトウカイテイオーが勝つのか
それとも去年春の天皇賞からスランプを克服してメジロマックイーンが連覇を果たすのか
競馬ファンならずとも注目が集まるところです
いずれも天皇賞に復活をかけるトウカイテイオー メジロマックイーンを追いました
本編〜
カルビソングは芝砂両用のいい種牡馬になっていたはず。 >>207
9歳でダート交流勝って死んじゃったの本当にショックだったわ コウカイテイオー シンガリルドルフ シルバーストーン ベリーナイス
「あっと おどろく だいたんな きじょう」の おがわきしゅは謎 >>87
夢を見られたからね
想像力をたくましくして (;^ω^) 90年代前半は芝のレース体系が長距離中距離マイル短距離程よいバランスだった
ダート重賞が整備され始めたのは95〜96年から ビワハヤヒデ、ナリタブライアンと
続いたと思ったら、
プライムステージから始まった、サンデーブーム。
ジェニュイン、タヤスツヨシとすぐに
G1馬を出したからな〜。 >>203
本番では勝てなかったけど、ステキな敵役がいましたよね。
ホワイトストーンなんかは、ちょっと上手くいけばG1ひとつは勝てたかな?とも思うけど、ホワイトストーン+政人&田面木ていう組合せみると、なんかしっくりくる成績なんだよなぁ。 おかしくなってきたのは
1996年のNHKマイルG1創設からだろ >>215
これは禿同。あとダビグラのグレード化てイシノサンデーが勝って、日本競馬は完全に終了したわ。 うーん、試しに92〜93年の重賞日程を見ると、特にスプリント路線は洗練とは程遠い
マイル路線としての1400m戦と新造路線の1200m戦の施行時期が被っていたり、
スプリンターズSは6ヶ月振りに行われる古馬1200m重賞だったり……過渡期だなぁと この頃ゲーム業界もすげぇ楽しかったよな
PCエンジン、メガドラ、スーファミ時代 >>217
有馬の前週のスプリンターは激熱だっただろ。ほんとJRAは無能だわ。時期変更だけで一気にゴミG1と化したからな。 アメリカでは2歳戦が最も価値があるとか
1600m勝てる馬は2400mもこなせるとか
奇妙な意見であふれてあっという間にステイヤーが滅んだ 「スプリンターズS秋開催に戻したのは改悪」
「なんで?」
逃走
までがテンプレ >>221
2歳戦軽視は今でも変わらないからね、ここで需要を作るってのも馬産のためにやってることだろうに
米国に限らず欧州でも豪州でも2歳戦に重きを置いてるだるお?
例えばユニコーンライオンみたいな血統の馬を2歳戦で走らせないとか本当にもったいない >>223
スポーツ性やファンの嗜好を無視した2歳戦偏重が馬産のためってのは違うな
馬を買う馬主が稼ぐ賞金はファンが払った馬券代だからな
イギリスはまだ長距離や障害を大切にしているから比較するのは失礼
ダメ競馬会比べはアメリカとオーストラリアにしておくべきだな 競馬場やウインズに「シンザンのレースも見たことない奴らが・・」って急に増えた競馬ファンをディスってるオヤジがいた この年代ではビワ、チケット、タイシンの3強クラシックが好きだな。 タイシンの皐月賞の内ラチ強襲と菊の心房細動は驚いた。 京都新聞杯が秋にあっただけで、菊花賞が本当にワクワクするレースだった
神戸新聞杯、京都新聞杯、ちょっと実力ある馬は京都大賞典使ったり、嵐山ステークス使った上り馬とか
セントライト組含め、ここら辺が一気に出てくるのが菊花賞だった
天皇賞秋へ行く馬もあんまりいなかった
いまは神戸新聞杯でほぼ勝負付け済んじゃう印象 ブライアンはスターマンに負けたレースで現地の喪失感が凄かった
最終始まる前まで静かだったわ >>229
その場にいたよ
歓声もなくスタンドが静まり返ってたよね エアグルーヴが弱くなった時から
スペシャルウィークやグラスが古馬になって活躍する頃までが90年代の唯一の暗黒期だった
この間の活躍馬はメジロブライト、シルクジャスティス、サイレンススズカなどの繰り上がって2流の馬ばかり
衰えた牝馬とピークでも弱い古牡馬の争いだった >>228
前哨戦がバラエティあって面白かったよね
牝馬もサファイヤSあったし、重賞に参戦してくる北海道組の構図も楽しかった 95年アイリッシュダンスの快進撃に痺れたね〜なんと天皇賞秋で1番人気になろうとは 95年はたしかにサンデー初年度が席巻したわけだけど
それ以上にマル外旋風というのがあったんだよな
上で書いてる人もいるけどNHKマイルカップの創設
この辺からカオスになってきた >>235
芙蓉Sは今もあるぞ?
個人的にはテレ東杯3歳牝馬を年末に復活させてほしい。
今のフェアリーSだっけか NHKマイルカップもエルコンの第3回、もう少し甘く評価をすれば
クロフネの第6回まではマル外ダービーの名に相応しいメンバーのレベルと格を維持していたが、
ダービーのマル外開放以降は全くもって存在意義が無くなった >>1 俺初めて競馬に携わったのが昭和58年のダービー、シンザン以来の三冠馬で盛り上がった翌年に無敗の三冠馬が誕生。そんで翌年が皐月と菊の二冠馬だかんな。今思うとすげえ時期だったわwww >>173
カリブソングだと思うけど。。。。
ダートもこなせる当時の名脇役だったな。 騸馬がこの頃に比べると少なくなったな
馴致技術の進歩か? >>173
カルビソング (笑)
カリブソングの90年秋からの重斤量路線はアツかった
特に60.5kgを背負って勝った91年目黒記念は印象に残っている
尾花栗毛のトウショウファルコや女傑メジロモントレー、キリサンシー
渋い馬達が多かった頃だ >>14
枠連で44じゃ無かったけ?
スタート直後にメリーナイスが落馬して、4角でサクラスターオーが骨折してと色々有ったから覚えているわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています