90〜95年をリアルタイムで体験した人教えて!
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90 アイネスフウジン 大中野コール
91 トウカイテイオー 無敗二冠
92 ミホノブルボン 無敗二冠
93 三強対決
94 ナリタブライアン 無敗三冠
95 サンデーサイレンス旋風
羨まし過ぎる。
毎年毎年競馬が面白かっただろうな。 面白かったのは
タイキシャトル サイレンススズカ メジロブライト
エルコンドルパサー グラスワンダー スペシャルウィーク
が現役だった時代 バンブーメモリーもいたよ
オグリと一緒にMC-JC連闘したのに、JCは完全に空気だった。 当時らしい話題って意味ではオグリローマンも
メインというよりサイドストーリー的な存在だけど 確かに面白かったけど、93年の3強対決ってのはクラッシック戦線のことか?
当時はこんな風に煽ってなかったけどなぁ〜ビワハヤヒデの安定感は秀逸で
秋天でレース後にパンクして馬運車に乗る時のビワハヤヒデの姿は見たくない光景だった。 >>23
それつまらなくなり始めた頃だろ
藤沢っていう観客にとってつまらない競馬にしたクソ調教師が頭角を現しだした ハヤヒデはパドックでよくうんこしてた。なんでハヤヒデだけ切ってた ハヤヒデはパドックでよくうんこしてた。なんでハヤヒデだけ切ってた >>16
早じかけを残した柴田政人のダービーの意地を感じたよね!ビワ岡部とナリタ豊にの三強も良かったしガレオン、マイシンザン、シクレノンシェリフの脇役も良かったな。 ネット(競馬板)が競馬コンテンツ潰した事がよくわかる話 ブルボン、ハヤヒデからそろそろ三冠馬が出そうというか三冠馬がみてみたいって雰囲気 ダイユウサク級の衝撃は、その後の有馬で経験したことないな。
あと、ブライアンートップガンの阪神大賞典。 トウカイテイオーが若葉ステークスで中山へ来るまでミステリアスな存在だった
関西のレース映像まったく見れなかったんよな ブライアンが出てくるまではオグリ基地が今のディープ基地並みにうるさかったしウザかった
強い馬が出るたびに勝った訳でもないJCのレコード持ち出してウダウダ言い始めてたわ >>36
関東も刺客はいただろ
ライスシャワーとかさ シンザン記念がこんなに出世レースになるとは思わなかった 97年3強の春天が1番ワクワクしたな
正直俺の中ではオワコン扱いだったトップガンがまさかね 全部冠付きの個人馬主の馬だな
フランス語とかキモい名前のクラブ馬とか一頭もいないじゃん この時期は毎年、燻し銀の悲願のダービージョッキー誕生で毎年盛り上がった
90アイネス中野
91テイオー安田
92ブルボン小島
93チケット柴田
94ブライアン南井 >>39
テイオーが大阪杯勝った時
「マックイーンよ見ているか。トウカイテイオー復活したぞ〜」ってのがあったな まさに、トウケイニセイが駆け抜けた5年ではないか。 >>40
違うよ
すみれSや若草Sの勝馬がダービーでよく知らないけど強いらしいと穴人気することだよ
大概は秘密にしておけばよかったと言われ唯一炸裂したのがフサイチコンコルド どちらかと言えば関東の刺客はライスの渾名のイメージという意味でね この頃はJCが一番興奮した
仏英独は勿論今は亡きイタリアからも来てたしアメリカやカナダの北米(騎手は南米もいたっけ?)、豪州やNZの南半球からも最強馬の触れ込みで来てた
レース始まる一週間週刊のブックやギャロップ、大スポまで買って読んでた
ほんま楽しかったなあ タイキブリザードのあのかっこいいフォームを知らない世代 JRAのCMがまともだったのもこの頃まで
キムタクの踊るあたりからめっきり劣化した ナイスネイチャーしぶかったな、レガシーワールドとかメジロパーマー、ツインターボ、ユキノビジンとか好きだったわ、イクノディクタス、オースミロッチ、ヌエボトウショウ
トウショウがまだ結構いたんだよな トウショウファルコが好きで競馬見るようになったんだわ サンデーサイレンスは小粒揃いだったから大して盛り上がらなかったよ
繁殖集中させた新種牡馬がクラシック席巻するのはトニービンブライアンズタイムと続いて三番煎じだったし
二年目の四天王揃うくらいから徐々にほんとにやべーなってなってきてた フェブラリーがまだ重賞じゃなくて、重賞になった頃にはミスタートウジンがピーク過ぎた感じでちょっと悔しかった。ナリタハヤブサとかカリブソングとかダイカツジョンヌとか懐かしいな
独りで沢山書き込んですまんかった。有り難う >>51
そうだ。
JCがJCとしての機能を果たしていた時代。日本馬が勝つなんて想像出来なかった時代。
まさかトウカイテイオーが凱旋門賞馬に勝てるとは思わなかった。 関西の秘密兵器
ラグビーボール、や
シンチェスト
ロングシンホニー
メルシーアトラとか
チョットマニアックでは
ランスオブスリルとか
そんな世代
おもろかったなぁ 初めて生で見たダービーがミホノブルボンの年。
雨が降ったらライスシャワーは怖いってレース後に新聞に書いてあったのに気づいた思い出。 >>58
んなことねーだろ。
初年度から本命のフジキセキが消えたと思ったら、皐月ダービーと牡馬クラシック占めたんだから。 >>55
中井時任真田からの本木鶴田は良かったなぁ 関西の秘密兵器はフサイチコンコルド、シルクジャスティスと2年連続で来て言葉自体が廃れた感 福島のきんもくせい特別でナリタブライアンを見たけど、まさか三冠馬になるとは思ってなかった。
素質馬が秋枯れの福島に来ると思ってなかったからね。 ホクトヘリオスに対して冷たいな
東京新聞杯カッティングエッジ1本かぶりからの最後方一気 私はヤクルトファンだが、その年代が一番ヤクルト強かったわ オールカマーのツインターボやビワチケ
スワンSのバクシンオーとノースフライト
古馬の前哨戦にも見所があった
今の競馬には無いね
牧場で仕上げてぶっつけだから >>59
フェブラリーは当時
フェブラリーハンデというG3の重賞だ >>60
ヨーロッパ年度代表馬
英オークス 愛オークス ヨークシャオークス 英セントトレジャー
デビューからG14つ含む6連勝だったけど凱旋門賞はゴール前首差さされた >>72
池山がUFOキャッチャーでオグリのぬいぐるみ取ってた何かの番組で そういや昔は競馬雑誌買ってたなぁ
ネットもないからスポーツ新聞かネットしか情報源なかった 92年のフェブラリーハンデの個性的メンバー、勝ち馬ラジアンゴールド。
92年の天皇賞春マック対テイオー。
敢えて挙げるならこの2つかなぁ〜、レース前のワクワク感最高だった。 >>58
SS初年度産駒と同い年にSSの全妹になるマイライフスタイルという馬がいたけど、その馬ですら「今をときめくサンデーサイレンスの全妹です!」って扱いだったぞ
しかもその馬は忘れな草賞でイージーゴア産駒と対決したという トウカイテイオーとビワナリタの3頭対決が見たかった 震災の後京都の宝塚記念を生で観た
ライスの最期も見届けた 笑っていいともで佐藤浩一がゲスト出演した際
有馬記念感動してしまって亀に「佐藤トウカイテイオー」と名付けたいうて
タモさんに佐藤がついてるの?とか色々やり取りしてた 打倒テイオーのマイカグラさんが余計なレース使って骨折 ネットがなくて情報源が少なかったから熱狂出来たってのはあるよなあ競馬に限った話じゃないけど 好きな馬はイブキマイカグラとセキテイリュウオーです 基本王道ローテで面白かった。名前出てる馬皆故障してるけどな。 ブルースカイ作戦が全盛期だった頃かな?
平日はサトル節聞きたくて、授業サボって船橋か大井に行ってた。
92年の帝王賞は何度見ても痺れる。
ノリもポツンとかしてなかった時代。 佐藤浩市 他の番組でもJCでトウカイテイオーが勝った時、民族意識か嬉しくて涙が出たと言ってた
テイオーが好きだったのかな マジで中学とかのガキが馬券売り場にいっぱいいたなw まあそこと比べると今年は酷いとは思う。サートゥルナーリア辺りが盛り上げないんだもんな。まあ無敗二冠したら面白いけど。 ヒシマサル田島信行のコンビが本当に強かった
武豊が乗ってから急に普通の馬になってしまった。 >>38
わかる 土曜日にビール飲みながら阪神大賞典
懐かしいな! 春天と有馬がチャンピオン決定戦として機能していたことが一番大きな違いだろう >>43
俺も97の春天が一番かな〜
2番人気ではあったけど実際玄人や評論家筋の間でもトップガン一番評価低かったよね >>99
阪大でギリギリまでメジロランバダに1人気譲ってたからな
かかり癖もあったし 当時知ってる人間でもアラブ競馬についてほとんど語れないのかな?
廃止になる直前だけど大レースの賞金も高くて名馬も出現して熱い時代だったんでないの?って後世から見ると思うんだけど
全国交流の大レースとか今の交流重賞よりもよほど面白そうにみえる >>1
すみません、リアルタイムではないですが
間違っていることを指摘させてください
ナリタブライアンは三冠馬ですが、無敗ではないです >>92
あのJC前の報道は国際G1になるから外国馬ばかりスポット当てられていて
欧州年度代表馬しかりJCと相性の良い豪年度代表馬とか英ダービー馬二頭とか
前年JC覇者破って米G1勝って来たとか道悪の鬼とか日本馬はまた今年も勝てない
って言われてたから直線の興奮からドヨメキからもう凄かったよ
あの時のレースに勝つというのは本当によくやってくれたと思う。
報道も何もかも誇らしげで興奮状態だった。アメリカAP電の取り上げも勝ちっぷりなど詳しく報じてるしね。
(翌年レガシーも米雑誌の表紙飾ったはず) >>102
すみませんネタスレだったんですね
確かめもせず、ごめんなさい... 中野コールのダービーは東京競馬場で観戦した
とにかく暑かった…
ウイニングチケットのダービーも東京競馬場で観戦した
直前まで馬券購入に時間がかかってしまい、スタンドには入れなかったからモニターで観戦した
タヤスツヨシのダービーも東京競馬場で観戦した
名前は忘れたけど、一枠にいた長距離が得意そうな馬を本命にした記憶がある…横山が乗っていたっけな? >>61
メルシーアトラは予後らなければ大きいところを勝てたのではないかと思う
大阪杯で首を振りながら苦しんでた光景を今でも覚えてる(´・ω・`) >>101
アラブは平成になってからは中央競馬じゃ
現在の障害競走見たいな存在だったよ。
重賞競走も二つあったけど、
全然盛り上がることはなかった。
地方競馬ではそこそこ頑張ってたけど。 >>101
なにトチノミネフジのことかいな?
宇都宮デビューだったが大井にいっても強かった
しかし中央走ったのは確か吾妻小富士だかに出てきて
かなり人気におされてたが芝は惨敗だったな
俺が一番印象に残ったのはこのあと大井の重賞(ワード賞だったか)
に65kgだか背負って勝ったのを現地で見た時だな
だいたい中央にはアキヒロホマレ以降アラブの名馬なんて
いなかったし
語れっていっても地方もやってた人間じゃないと無理だ >>101
テンプラ問題が有名になって一気に下火になった >>111
シゲルホームランかもしれんww
まあ最後の最後になかなか稼いだ
しかしアラブ競走に関しては完全に地方と中央のレベルが
逆になっており名馬とは言えんな この時代の中央競馬ダイジェストは毎週欠かさず見てた
ナレーションの女の人の声もなんか印象に残ってる 土曜の仕事終わって、ウインズ横浜直行
特別から開始、1Rにつき5000円投下、重賞10000円、G120000円
もうこんな賭け方出来ないやw >>92
あの当時は外国馬が強かった時代だからね
日本の強豪が出てきてもなかなか勝てなかった この頃はむしろG1が社台の運動会じゃなかったことが大きい
使い分けとかもなくて社台も含めた全部の牧場が全力で戦ってた >>96
馬と騎手とのコンビが語られるのは今以上のものだったよな
ヒシアマゾンに中舘とか
今じゃ有力馬はごくごく一部の騎手に集中しているけど
昔はもっとおおらかだった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています