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1986年9月のデビュー以来新馬、特別戦をいずれも3歳馬離れした走りぶりで連勝し、この時点で3歳馬の筆頭格、翌年の東京優駿(日本ダービー)優勝候補の呼び声も高かった[2]。3戦目の府中3歳ステークスではレコードタイムでの勝利を果たしたが、
最内を突いた際にラチ(柵)にぶつかってしまった[3]ことによる左後脚の繋靱帯断裂が競走後に判明し、競走能力喪失と診断されそのまま引退した[2]。

騎手を務めた小島太は「無事なら三冠馬になったかもしれないだけに大ショックだった[4]」と述べている。
なお、2戦目のりんどう賞で破ったメリーナイスが同年朝日杯3歳ステークスを制して3歳王者となり、翌年には日本ダービーに優勝。3戦目の府中3歳ステークスで破ったマティリアルも翌年のスプリングステークスを制し皐月賞と日本ダービーでそれぞれ1番人気に支持された。
また小島は同期馬でクラシック二冠を制するサクラスターオーにもデビュー3戦で騎乗していたが、同馬について「ロータリー以上とは言わないけど」手応えを感じていた、としている[4]。