>>87
学歴のない底辺には難しかったかな?w

「観」は、「見」が部首であることからわかるように、視覚に関係する意味を持つ漢字、
それに対して「感」の方は、「心」が部首であることからわかるように、心の状態に関係する意味を持つ漢字、
そうすると、「倫理観」「道徳観」の方は、「倫理をどんなものだと見ているか」「道徳をどんなものだと見ているか」という意味だということになる
このように、あることがらに対する見方、考えを意味する場合には、「観」を使うのが一般的、
同様に考えると、「感」は、あることがらに対する感じ方を意味する場合に用いられることになりそうですが、それだと「観」との違いはなかなか実感できないでしょう?
こんなときに有効なのは、似たようなことばをいくつか思い浮かべて、比較してみること、
「感」を含む似たような熟語を、いくつか考えてみると、「絶望感」「虚脱感」「挫折感」……、そんなマイナスイメージのことばばかりだと、縁起が悪いよね?
「達成感」「幸福感」「絶頂感」なんてのもある、
これらはみな、「絶望に対する感覚」「達成に対する感覚」ではありませんよね。「自分が絶望しているという感覚」「自分が達成したんだという感覚」なのですw
以上をまとめると、次のようになる、
○○観○○に対する見方、考え方
○○感自分が○○している(である)という感覚
このように考えると、「倫理感」「道徳感」は、「自分は倫理・道徳している(である)という感覚」ということになる
だから、このような「感」の使い方は間違っている、という人もいるけど、ちょっと学のある人は、「自分が行っていることは倫理的・道徳的であるという感覚」と理解できないでもない、
実際、「道徳感の欠如」という場合は、その人の行っていることは道徳的ではないわけだから、「感」がぴったりはまる
そう考えると「倫理感」「道徳感」を間違いだということはできないという東大での論文に対する評価ですw