【追悼】本日はトウカイテイオーの8回目の命日。思い出を語れい!!!
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史上空前の競馬ブームを巻き起こしたオグリキャップが、有馬記念で劇的な勝利を飾って引退したのは1990年暮れ。
オグリキャップ引退後に競馬界に現れたのがトウカイテイオー。
いろいろな奇跡を見せてくれたトウカイテイオーだが、誕生秘話自体がちょっとしたすれ違いがあればこの世に生まれておらず、そのさ
元々シンボリルドルフの配合相手に考えられていたのはトウカイローマンだが、トウカイローマンは引退レースで好走をしたため、現役続行が決まり引退が延期となった。
そこで白羽の矢があたったのがテイオーの母トウカイナチュラルである。
幼駒時代の評価は高くなかったが成長するにつれて馬体の美しさ、体の柔軟性やその動きなどから評価されるようになってきた。
その後の現役生活は決して順風満帆ではなく、幾度となる骨折そしてそこからの復帰…。
あの“奇跡の復活”有馬記念で記録した前回の出走から中364日でのGI勝利は長期休養明けGI勝利の最長記録となり、現在まで破られていない。
2013年8月30日、放牧地から戻った後、心不全のため急死。 あの復活有馬で「テイオーが来た!テイオーが来た!」というアナウンスを思い出すだけで鳥肌が立つ 中を突いてスッとトウカイテイオーが来たぞ!
トウカイテイオーお見事!
JRA公式チャンネル
1993有馬記念
https://youtu.be/fGIx7bHC-I0 >>201
皇帝シンボリルドルフの初年度産駒でテイオーの名を付けられた仔がって出来過ぎだよな カノープスの降着
え?これ有馬に岡部乗れないんじゃ?っていう衝撃 >>205
ウマ娘の特典でも、とにかくテイオーに対しての強い思い語ってくれてたわ
人生そのものとまで言ってた 「ダービー馬の意地を見せるかトウカイテイオー」という実況が元々ウイニングチケットが来た時のために用意していたセリフだったというのには笑った。
確かに「なぜ今さらダービー馬?」だわな。 >>210
本当にあの有馬はテイオーはお客さん扱いだったからな…
ビワがダービー勝ってないからそこまでおかしなことにはなってないのが救いか ダービー馬の意地の前にビワよりテイオーの方が格上で強いよって違和感はあったな
4角でテイオーが迫ってきて勝ち切れる程の脚がビワにはないのにって思ったわ >>208
的中直後じゃないようなので、66000円近い払い戻しを拒否かな。もったいない。 >>214
そこは前例無い有馬→有馬ローテに一年振りってのもあるだろうね
実際、テイオーとビワは後続を完全に千切ってるし コピーの可能性は?
30年弱で地紋消えるかどうかだが >>216
途中で送信しちゃった
実際、テイオーとビワは後続を完全に千切ってるし上記の不利を考えるとそう言っちゃったんじゃないか? 宝塚記念のグラスとスペシャルみたいな感じ
ビワと他の馬の着差はデカいけどテイオーとビワの能力差も着差以上にあった >>215
コピーです
初めての馬券購入
高校生でこの払い戻しは大金だったから興奮した
当時の全財産だったし
今こんな大胆な買い方できないw 強さだけならルドルフかも知れないがこれだけヒーロー感のある見た目のいい馬でドラマ性もあるのはもう出ないだろうな 今の競馬界じゃドラマ性のある馬なんて産まれないだろうね… >>220
コピーでしたか。(^_^;)
若い頃は後先考えずに買えても今は買えませんよね。 >>221
たしかテイエムオペラオーが無双していた頃じゃないか。 テイオーの後でドラマ背負ってた馬ってスペシャルウィークとメジロブライト辺り?
何かドラマ度は違うけど
テイオーの雰囲気がまた独特だった >>229
坂路の申し子ミホノブルボンに生粋のステイヤーライスシャワーとかもドラマ性あった
ミホノブルボンは調教師や騎手も含めて トウカイテイオー。
1988年4月20日、北海道新冠町の長浜牧場で、トウカイナチュラルは牡駒を出産した。
父の異名「皇帝」からの連想で、牡駒は出生直後より「テイオー(帝王)」と呼ばれ、幼名は「ハマノテイオー」とされた。 >>231
当時はオセアニアの方が欧州より強く
JCは総合力を問われる馬場だったから強豪も来てくれたからな
今のJCの次元が違うのに勝ってしまうのがテイオー テイオーは明らかに距離に限界があった。当時の競馬をリアルタイムで見ていた人ならこれに異論はないはず。
人気で臨んだ皐月賞の走りが案外だったことからもやはり根本的にはマイラーなんだろう。あれだけの雄大な馬格をもってしても血は争えないってことかな。
親父のニッポーテイオーも好きな馬だっただけに大きなタイトルを取らせてあげたかったなあ。 テイオーちゃんすき
二期のマックイーンとの絡みは可愛かったし感動したなー コント基地がテイオーに対してコンプ拗らせてるのホント草 >>221
wikiによると1999年
確か小錦がCMに出演してた
ワイドな体型だからという理由で >>27
ジャパンCは5番人気だし最後の有馬は番人気。さすがにそれでノーマークはないわ。 >>239
それは羨まし過ぎる
近くで見てもイケメン? >>242
引退してたけどイケメンマッチョだった
噛まれるよって言われたけどテイオーに触れるの人生でココしかないと思って勇気だして鼻の上を撫でた
柵の隣にはマックイーンが寝転んでて
呼んだけど来なかった >>244
マッチョは意外だな
テイオーは奇跡の馬だと思ってるけどマックも好きだからマジで羨ましい
テイオークラスの馬に触れる機会は貴重だなぁ >>244
テイオーはファンサービスはしっかりしてたそうだね
ただマックイーンは気性がアレだからマジで噛まれたかもね >>244
テイオーはファンサービスはしっかりしてたそうだね
ただマックイーンは気性がアレだからマジで噛まれたかもね 厩舎にはサンデーサイレンス、トニービン、フジキセキがいたのを覚えてる
この馬がフジキセキだよと紹介されたがその頃ダビスタ程度の知識しか無かった俺はフジキセキ知らなかったw
26〜27年くらい前の話でした >>246
まだ隣同士の時テイオー目当てで社台ファームに行った時、人人人で見れず隣のマックイーンさんのとこ行ったら、こっちに寄って来てくれた。
あんまり怖いイメージなかったけどなあ 日本調教馬の能力が海外馬水準まで辿り着いたのって坂路導入してからじゃないの?
それが正式に証明される(海外G1勝利)には(まず遠征して且つ結果を出さなければいけないので)タイムラグがあったけど
テイオー、ミホノブルボン、ナリタブライアン辺りの時代から既に海外G1をキチンと段取って選べば勝てるクラスの
馬達だった様に思う
ルドルフってその前の時代の馬だけどこの馬は今の時代の先取りみたいな馬で、レースの度に放牧し
牧場の坂路で調教→帰厩→レース、っていう今の坂路調教と外厩の先取りみたいな馬なんだよね 日本調教馬が海外G1を勝ちだしたのもサンデーサイレンス産駒じゃないしね
シーキングザパールとかタイキシャトルが確か先では?(外国産馬ではあるが) イケメンとか言われてるけど馬の顔なんて全部同じに見える >>251
シャトルの時代に海外勝てたのは補助金や報奨金制度のおかげでしかないからな
90年代前半以前に同じ制度あったら、もっと早く海外どんどん勝ってたでしょ
オグリだってマックだって海外行ってあっさり勝った可能性全然あるからな 最後の有馬、ナイスネイチャの3着付で3連単取ったわ >>249
現役引退後は大人しくなったとか聞いてたけどマジだったんだな つか、テイオーとハヤヒデなんて普通に一点で取れるわな。 >>250
上であがってるけど、皐月賞はデータ的に史上最強って
井崎脩五郎のデータでポンだったか?動画で皐月賞とダービーあがってて言ってて
「優駿」の記事でも、ラップを載せて皐月賞もダービーもゆるみのないきついレース
の見出しで大きく太字で
トウカイテイオーは、かつてないほどの強さを持った馬だった。
骨折が残念だよなあっ。ってあるなあ。 ダービー馬の意地を見せるか!
トウカイテイオー!
トウカイテイオー!
き、季節の復活っ!! >>261
成長期完全に棒に振ったからな…
それで、あの強さってどうなってんだ?ってなるわ
骨折しなかったらどんな化け物になってたんだろうな >>258
トウカイテイオーも現役で93年夏に北海道で放牧されてた時行ったけど
ファンの人と一緒に写真撮る時に「ガブ」「ガブ」って二人続けて嚙まれてた
「痛っ!」「わっ!」て言いながら喜んでたけど、自分が撮ってるもらう時
テイオーは顔撫でられるのが嫌いだから、顔と顔でをこう合わせて撮ったらいい
って手本で場長がやって無口で抑えて貰って顔と顔で撮ってもらった
写真見たらテイオー笑ってくれてた テイオーは自分が人気馬だと分かってたよな
大観衆を平然と眺めてるようなとこがあった >>263
これは色んな人や関係者が言ってるね
今年ダービー前に野平祐二氏も皐月賞の時点で、あるいは皐月賞の時点でルドルフを超えていたかもしれない
って見た時は調教師って見る目が違うんだなって思ったわ
>>265
分かってたね。写真ひとつでもさっさとポーズとって終わらせたり出来る(笑) >>264
それは羨ましいな
人が思ってるより馬は頭が良いって教えてくれるよなテイオーは >>267
最高の思い出をもらったね。
社台で担当者してた工藤さんだったかな?も記事で
テイオーは馬というのは、こうなんだよって教えてくれる先生だったって書いてたね
徳武氏は頭の良さは馬を超えていたって載ってたけど >>268
だろうなぁ…コロナじゃなかったら墓参り行きたいんだけどなぁ…
テイオーは本当に特別な馬だよな
名馬ってテイオーのことを指すって言っても過言じゃないわ 騎手・安田隆行と駆け抜けた日々
トウカイテイオーの主戦騎手は、5歳での復活以降こそ岡部や田原が務めている。
が、しかし、日本ダービー迄の無敗ロードを共に駆けてきたのは、安田隆行騎手(現・調教師)だったということを忘れてはならない。
今回は、安田騎手とテイオーとの間にあったエピソードやテイオー降板劇の真相等について振り返ってみたいと思います。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~eiko-no/gallery-gaiden2.htm オグリと帝王の有馬は。似て非なるものなんだがドラマチックだったなあ。
どっちも中山で見たんだがこんなに有馬記念って感動するんだってかこんな展開あるのが有馬記念ってのがねえ。
ダイユウサクメジロパーマーも有馬記念らしい勝ち馬。 トウカイテイオー
安田:強かったですねえ。今思えば、この俺でさえ勝てたのですから(笑)。
安田:いや、今のジョッキーを見ていたら、みんな素晴らしいですよ。昔に比べると、かなりレベルが高いような気がするんですね。
調教師というのは「より高いもの」を望むものですけれど、その望みがかなう気がします。
みなさん上手いですわ。自分なんて我流で乗っていて、それで勝てたのですから、トウカイテイオーは本当にすごかったです。
安田:少しゲートの出が悪くて後ろからになったのですが、つかまっているだけで、すいすい、すいすい、楽に先頭に立ってそのまま押し切って、これは強いな、と。本当に強かったです。
安田:ずっと乗せていただいていました。本当に乗りやすい馬でした。引っ掛かることなく、ジョッキーの思うように走らせることができましたし、ああいう馬は走るな、と思いましたね。
ガッと引っ掛かる馬は絶対にどこかでロスがあるので、自分の力を100%は出せないものですが、トウカイテイオーのような馬は力を120%出せる感じです。
安田:それもありますね。また、フットワークがなめらかで、そういう素晴らしい馬でした。
安田:シンボリルドルフを間近で見たことはあまりなかったんですよ。
ただ藤沢調教師や、岡部さんの話は聞きました。中山の若葉Sに行ったときに岡部さんと「雰囲気が似ているなあ」というような話をしましたね。 >>273
5行目は新馬戦のことかな。テイオーが亡くなった翌日2013年8月31日
net競馬に載ってたコメントは「思い出に残っているのは新馬戦。出遅れて馬群に包まれてもう駄目
だって諦めたら馬が勝手に馬群を捌いて勝ってくれました。
テイオーの名に恥じないように調教師頑張ります」こんな感じであったように思う。
現役の時テイオーの大阪杯の時違う馬で出走で、まかしてやろう頑張ったのですが、全然追いつけませんでした。
僕は今まであんなにも強い馬に乗ってたんだなと思いましたのコメント何とも言えない気持ちになったな >>259
そういうのマジで恥ずかしいからやめたほうがいいよ あの大阪杯は凄かった。しかも鞍上は岡部。そこから春天までの時間は人生の中で最も競馬のことばかり考えていた。
春天の2日前に娘が生まれたのだが分娩室には入らずにスポーツ新聞を3紙買って予想していたよ。 忘れもしない。有馬記念テイオー、ビワハヤヒデの馬連に3万入れた。
32.9倍付いて100万近く手にした。当時20歳。
仲間も2万買ってあって2人で吉原ソープデビューしてハシゴした。
それから堀之内、南町、地元のソープへも行って大人の世界を満喫した。
あれから30年近く経つが100万近くの金を手にする事は無かった。
歳とともに精力も無くなった。あの頃に戻りたい。 >>279
春天は初距離もそうだし大阪杯で馬なり圧勝した馬がスタミナ切れすると思わなかった岡部の緩みと馬場が渋ったこととか色々重なった結果だったしな
だから中距離での再対決が望まれた訳で 当時は坂路のノウハウが確立されてなかったのもあるか
坂路調教で3000m超のレース勝ったのってビワの菊が初だからな
まあどっちにしてもマック負かすのは至難ではあるけど、故障明け2000m一叩き、坂路調整だけでマックと戦うのは今考えると無謀過ぎた >>47
44だけど中山にいたよ
クリスタルコーナーの穴場はガードが甘くてねぇ(謎) >>279
二着馬、準オープン勝ち馬
翌年のマックの大阪杯みたら度肝を抜くぞ 名探偵コナンに出てくるゴウカイテイオウは見たけど
美味しいぼに出てくる
タケシバオー(ラフロイグ)サッカーボーイ(ボウモア)
シンボリルドルフ(ホワイト&マッカイ)
トウカイテイオー(バランタイン)
ウイスキーの名前が出てくる回何巻の何話とか分かる人居てる? 皐月賞と日本ダービー
安田:18頭立ての大外でしたけれど、良いスタートを切って中団よりも前につけ、なんの不利もなく4コーナーで先頭に並びかけて押し切るという、本当に「横綱相撲」ができました。
安田:かえって大外枠が幸いしたと思います。馬ごみに入るとどうしても不利があったり、不利まではなくても躊躇するところがあったりしますが、そういうことがまったくありませんでしたから。
本当に「ふわっと」出て、あとは好きなように走りなさいと(笑)。
引っ掛かるところもありませんし、4コーナーでも手応え十分でしたから、乗っていて勝てるという確証を持つことができました。すごく楽でしたね。
皐月賞の口取りで指を1本立てたのは三冠という気持ち?
安田:そうではなかったですね。シンボリルドルフで岡部さんがされていたので、これはしなくてはダメだと、そういう話なんです(笑)
安田:ダービーも本当に楽でした。大外枠からなんの不利もなく、乗っていてまったく心配するところはありませんでした。
安田:このレースもスタートが良かったんですよ。それで1コーナーに入るときは「ダービーポジション」と言われる10番手以内、7番手あたりにすっとつけられました。
それで大外をまわることもなく、内でごちゃごちゃしたところに入ることもなく、そつのない競馬ができました。20番枠というのは、あの馬にとっては最高の枠でしたね。 >>286
これは実際に寄せた捏造ってすぐ分かるな
何度雑誌やビデオを語られてると思ってるかな 何でいつも大外枠だったの。枠操作って当時からあったのか >>288
短枠指定の場合あった頃なら分かるけど
今思えば外多くて可哀想だったな ダービーのレース後にテイオーの歩様がおかしくて
安田が浮かれてるのを調教師の松元が「チャラチャラしてんじゃない!」ってキレたんだよな
まぁ実際二度と安田が乗ることはなかったわけで >>290
TVドキュメント1時間番組
日本ダービートウカイテイオーあったから
取材に夢中で浮かれたように見えたんだろうね
歩様はおかしかったが、全治6ヶ月の骨折も5回目のレントゲンでハッキリして、東京競馬場にしばらくいて美浦でお世話になって北海道だからな >>291
あの頃って競馬ブームが凄かったからなぁ
安田もその日の夜のNHKニュース9かなんかに出てた記憶あるし
ダービーだから仕方ないけどあんな追わなければって調教師も思っただろうね
あの時の安田は周り見えてなかった >>293
そんなくだらん接待インタビューじゃなく
いくらでも見れるダービーの動画見ろよ無能 >>289
テイオーは皐月もダービーも単枠指定だっただろ >>272
テイオーやオグリの頃はJCに海外強豪来てたがあの感動は有馬ならではだな
熱狂度も凄かったしサブちゃんがキタサンの有馬で泣き崩れたみたいに昔の馬主は有馬への思い入れも違う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています