【追悼】本日はトウカイテイオーの8回目の命日。思い出を語れい!!!
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史上空前の競馬ブームを巻き起こしたオグリキャップが、有馬記念で劇的な勝利を飾って引退したのは1990年暮れ。
オグリキャップ引退後に競馬界に現れたのがトウカイテイオー。
いろいろな奇跡を見せてくれたトウカイテイオーだが、誕生秘話自体がちょっとしたすれ違いがあればこの世に生まれておらず、そのさ
元々シンボリルドルフの配合相手に考えられていたのはトウカイローマンだが、トウカイローマンは引退レースで好走をしたため、現役続行が決まり引退が延期となった。
そこで白羽の矢があたったのがテイオーの母トウカイナチュラルである。
幼駒時代の評価は高くなかったが成長するにつれて馬体の美しさ、体の柔軟性やその動きなどから評価されるようになってきた。
その後の現役生活は決して順風満帆ではなく、幾度となる骨折そしてそこからの復帰…。
あの“奇跡の復活”有馬記念で記録した前回の出走から中364日でのGI勝利は長期休養明けGI勝利の最長記録となり、現在まで破られていない。
2013年8月30日、放牧地から戻った後、心不全のため急死。 >>408
マック世代より強いJC勝ってるし
ビワを筆頭に強い世代に勝ってるからな
そりゃオマエみたいなヤツの戯言を聞く必要が無い >>412
ちょっと何言ってるか分かんないw
顔真っ赤なのは分かるww >>412
マック世代はやっぱりレベル高いぞ
古馬G1ジャパンカップ以外全て勝ってるし、春天、秋天、宝塚は2勝づつしてるしね >>411
ハクタイセイやアイネスフウジン達は春のダービーやらクラッシックを目指してたものは復活していない。それに参加していない菊から出て来たマックイーンとかだからな、だから人気も無かったし。 >>412
JC凄かったな、前年マックイーンに勝ったゴールドフェザントにアーリントンミリオンで勝って来たディアドクターも居たな(3着)
有馬記念は、前年トウカイテイオーが故障して負けたが、93年はハイレベル中勝ったしなあ オグリ世代
ジャパンカップと宝塚が未勝利
有馬、マイルチャンピオン3勝
秋天、安田2勝
層厚いな >>407
感慨深いなぁ。
その場面とかテイオーが走りたがらないとか。
これだけの馬とは二度と出会えないだろうし。 南井が下手こかなきゃイブキが
皐月勝ってたのによ
あいつって漬物石よりダメやろ
オグリもブライアンもこいつの下手な
騎乗が無ければもっと活躍できた >>419
「もういいよもういい」って松元調教師に支持された稲原さんが場長に声かけるんだけど
その意味を知ってる岡元場長は鞍上で涙を拭うんですよ
しかし松元調教師の姿が見えなくなった翌日嬉しそうに走ったとかで
ああ!テイオーに一杯食わされた、テイオーの一芝居の騙されたって記事にありました(笑)
骨折するたびに戻るに二風谷で岡元場長との絆を描いた「キラリ」最近動画で上がってますね
北海道でTV見ましたよって言ったら収録時間長かったのに30分番組だったといわれてましたが(笑)
4度の骨折の理由等(機嫌悪くなるとリンゴを差し出したりする)アスリート番組ですが、
あの時の戻った気になります。自分も録画したのビデオからDVDに焼いて大事に持ってます。 何十年前の話ししてんだ
未だにんな事で必死になる爺どもは
アルツハイマーなんか? >>423
スレッドの通り話しているだけなんだがな
今年ウマ娘の2期主役で凄い人気だからな
アニメ版DVD恐らく破られる事のない空前の大ヒットらしいしな
>>424
30年後に伝説語られているといいな 昨日のように覚えてるよテイオー??
ジャパンカップで低評価覆して颯爽と勝ったこと
有馬記念で・・・・・
引退式にも当時のいいカメラ買ってったよいい思い出しかない; 先輩から1万円とマークカード(テイオーの単勝に1万)預かって当日府中場外に買いに行ったな
当日結構混んでて買えるかどうか心配だった
とにかく先輩の馬券優先しなきゃって思ってた
自分は枠連で買ったけど獲れて良かった >>423
本当にコンプ拗らせてるなぁ…
>>424
お笑いコントくんどころかディープくんの有馬よりタイム速いんだよ
高速馬場じゃないのにね 岡部は「ルドルフと比べたら集中力と闘争心が足りない」と言ってたけど、あの有馬記念だけはそんな事なかったんだろうな テイオーが1年ぶりの有馬記念という大舞台であのメンバーで奇跡の復活をはたして奇跡の名馬と呼ばれたのに対しコントはあのザマだからね
テイオーみたいに骨折したわけではないのに疲れたとレースからは逃げるし
運はあると思うけどね
でもコントがどう思われてるかは周りの反応で一目瞭然
奇跡の名馬とラッキー珍馬とでは格が違う >>422
やっぱり賢いんだね。
引き際もわきまえてるテイオーは流石だわ。 ルドルフからのテイオーだけどどちらかと言えばシービーの方が華やかさやヒーロー感が似てる シービーはめっちゃ人気あったしグッドルッキングホースだったしね >>397
大久保のほうが三冠全力だったし古馬と対戦は厳しいて言ってて元々は出す気ねーから
古馬のまともなのが故障あがりの万全じゃないライスしかいない手薄だったから結局出したってだけで ブライアンの有馬はブライアン以外だとヒシアマゾンが有力視されてなかった?
全兄弟対決は盛り上がるからビワが無事ならビワとブライアンどちらもJRAは出走要請出したと思う ヒシアマゾンは1200〜2400を6連勝して有馬記念に出走。
6人気19.1倍と、それほど期待されていなかったようだ。
マル外馬で春のクラシック不出走、エリザベス女王杯を優勝しての参戦。 単枠指定時代の最後のダービー20番枠、皐月も大外18番枠。
両方とも圧勝。
カッコいいねぇ >>401
あの時代だと、まだ走らせんのかって思ったけど、7歳8歳が平気で走る今なら不思議でもないか あの頃、ウインズで1日中ワイドの無い、馬連鉄火勝負してた20代が
こんだけ生き残ってることの方が
感動するわ >>436
そんなもんだったのか
そういえばエアグルーブまでは牝馬は幾ら強くても牡馬には通用しないって感覚強かったな
今だと斤量も有利だし強い牝馬は当たり前に牡馬に勝つけど >>438
大川慶次郎が有馬でこれだけの馬なんだからもう引退させて欲しいと言ってたな
なかなか勝った馬に言わないセリフ >>436
だから、美味しかった
ブライアンとアマゾンの馬連1点で勝負出来たから >>438
今の7歳、8歳ってあの頃の5歳、6歳より出走レース数は少ないのばかりでしょ
比較にならないよ ヒシアマゾンは大川慶次郎が対抗にしてたような覚えがある
俺も当時は四歳牝馬が来るわけねーじゃんと思ってた 95年から見始めた勢
トウカイテイオーよく知らない あの時点での重賞での対牡馬実績は
京成杯3歳Sや4歳京成杯で2着、勝ちもクリスタルCとニュージーランドTだからな
ちょっと突っ込むには度胸いったろうな
>>445
実際6人気だったのもそうした見方多かったのだろうし無理もない >>439
あの頃は最低でも1点千円賭けで馬連だと数点買い。
重賞だとそれが万単位になったりも。
なので1日20万負ける時もあったが、何かしらの仕事に早く就けたり、やりたくもないパチンコで馬券代を稼いだり、フーテンの寅さんと呼ばれた自分でも生き抜いてこれた。
浅草のタカラブネというパチ屋で毎日同じ台、日当3万の台を打って月に100万とか。
横浜駅近くの007で日当5万円の権利物を2週間打ち70万とか。土日に競馬で大敗してその台を捨て親の実家で静養したり。何をやってるか分からない状況になっていた。
携帯もネットも無い頃で、主に場外や競馬場まで足を運んでいた時代。94年頃の重賞は本命馬が強く、そこからヒモ馬を絞るだけの簡単さだった。
一般戦は東上してくる関西馬を狙っていれば穴馬券も獲れた。
場外に行くと何十万と買っているハズレ馬券が捨ててあったり。
あの頃はまだサラ金地獄でパンクする人も多く、大阪の次に福岡と東京が多かったらしい。横文字の大手サラ金会社は関西本社、三洋信販は福岡で武富士は東京。 >>447
度胸なんていらなかったよ
めちゃめちゃ自信あった馬連1点だったから >>449
またいつものコンプレックスくんか
今以上に昔は大外不利だぞ >>436
マル外がクラシック走れるようになるの先だもんな
ヒシアマゾンは時代に恵まれなかった >>445
大川さんがすげーウキウキで解説してたの覚えてる とても特徴的なバネの効いた歩行と走法だったけど産駒にはぜんぜん引き継がれなかったね
あのしなりはどこから来たんだ 大阪杯の現地でパドック見てたらめっちゃ馬糞食ってて引いた
犬もウンコ食うけどサラブレットも食うんだな >>451
頭おかしい人?
昔の強い馬は不利な大外でも勝つけど今そんな強い馬いないだろ >>455
オルフェーブルが牧場で自分の糞の匂いを嗅いで「クセ〜!」って顔する動画好きw >>454
あれは偶然の産物でしょ
テイオーの産駒や兄弟に限らず、あんな歩行の馬は見たことない
テイオーより強いサラブレッドはいるだろうけど、あの歩行は唯一無二 よく知らんけど虚弱だったらしいな。G14勝ってアーモンドアイの半分以下かよ
昔はこの程度で名馬扱いされてたの? >>456
昔の馬が強いのはわかるが>>449の言い方だと
内枠取れなくても勝てるレベルだったと言ってるように思うが
>>459
21世紀と20世紀はG1の数も調教技術も馬場の状態も全然違うからな
アモアイみたいにパワー、スタミナが低めの馬だとG1を1勝も出来ない時代だぞ コントレイルみたいに虚弱じゃないけどなw
放牧でさえ耐えられないのに骨折でもした日には即引退だねw >>459
当時はドバイ国際競走はなく、香港国際競走は誕生して間もない時期で日本のG3勝った馬が行っていたレベル。
欧州競馬はほぼ無関心、米国競馬には参戦意思表明するだけで実際行かなかった馬がちょくちょく出るくらいだった。
日本国内の限られたG1を取り合っている時代だったからね。
トウカイテイオーが勝った有馬が豪華メンバーと言われていたけど、
結局一線級馬の出走するレースの選択肢が限りなく狭かったというのがある。 >>459
昔でも名馬扱いされてはいないよ
人気薄で走るラキ珍枠だった >>463
またコンプレックス拗らせくんかよ
そんなに拗らせてるなら見に来ない方がいいんじゃないか? >>454
あれは本当に不思議な次元のしなやかさだったね
隔世遺伝も期待出来ないのが残念 >>454
故障の影響もあるのか父シンボリルドルフも
ストライドの広い走法に変わってたらしいよ
ストライドは1mもあったらしい
ルドルフも柔軟性凄かったんじゃないかな >>463
確かに名馬と呼ばれていなかったな
ガラスの貴公子とかそんな感じだった
その後上位互換のスペが出てきて
テイオーを思い出す人が多かったよ >>459 アモアイ程度でテイオー語るんじゃねーよ、語っていいのはオルフェクラスのみだ 絡め脚って題で長年レースで競走馬の写真を撮ってた人がこんな馬初めて見たと
トウカイテイオーが前脚と後脚をからめてる写真を載せてた
そういえば松元調教師はテイオーは若駒のころ何度も落鉄して帰ってきたというのは
後脚の踏み込みが深いためと前脚の掻き込みが強いため、前脚と後脚とぶつかり、
後脚の蹄鉄がはがれてしまうからかな調教では蹄を保護するテイオー蹄鉄を使用(トウカイテイオー27分26秒8の奇跡に写真あり)
装蹄師も毎年200頭ぐらい付けるが(アカネテンリュウ、ロングエース、カブラヤオー、トウショウボーイなど含め)
トウカイテイオーは名馬の条件とされる長い繋を持つだけでなく、稀にみる柔らかい繋という特性も兼ね備えている初めてみた経験だったそうだ >>401
天皇賞って秋天のことか?
翌年も現役続行する予定だったが春は宝塚記念目標でその前に安田記念使うかもってことだったぞ
春天はマックに完膚なきまでに叩き潰されたのに懲りて回避だったからなw >>474
まーた、コンプレックス拗らせくんか
本当に懲りないな >>474
安田記念の話が出たのは疝痛で春競馬が終わりそうな93年
前年の秋の天皇賞、骨折からぶっつけで熱発で調整が遅れ外枠から57.5秒を追走し1800までなら勝ってただろうという事で思案に入ったが結局登録も無しで宝塚記念にしぼったった。その調教で三度目の骨折ではあったが
そういえば、マックイーンは社台ファームにテイオーが入った初日にケンカ打って返り討ちにあってテイオーに歯向かえなくなったよな >>469
ハア?テイオーの上位互換んー???
スペがか?
さすがにそれはない テイオーは唯一無二
上位互換も下位互換もない
強く美しく賢く気高く華がある馬 >>478
そいつはただのコンプレックス拗らせくんだからな
スレ遡ると同一人物だと思われる書き込みがある 生誕
1988年4月19日 小嶋陽菜
1988年4月20日 トウカイテイオー 99.9ドラマ1、2に大好評でトウカイテイオーって犬が出ていたが、今秋の映画は出番あるのかな?(1.2で出てたワンちゃん死亡)
今日9月9日でトレンド入りして思い出したわ >>477
1800までなら勝ってた?
プレクラスニーは1800でダイタクに勝ってるけどテイオーじゃ無理だろw
強いマック世代に入ったらGTひとつ勝てるかも怪しいからな >>483
あの秋の天皇賞は
ダイタクとパーマのバカ逃げで超絶ハイペースになってしまったからな
7着テイオー8着ダイタクになってしまったレース
競馬が見れる人なら、その後JCテイオー
マイルCSダイタクが来ても不思議でないと分かるレース >>483
まーたコンプ拗らせてるのか
すぐ論破されるんだから懲りればいいのに
>>484
秋天はバカ逃げもそうだが最初の方で他馬と接触からかかってしまったんだよな
岡部は接触も含めて騎乗ミスを認めてるし そもそも秋天は体調、状態的に微妙だったからね
休み明けでも大阪杯や有馬とは全然違うよ 初めて見たテイオーの歩様には驚いた
繋ぎが柔らかくてグニャグニャ歩くイメージ
こんな馬もいるのかと思ったが、テイオー以来そういう馬は見てない 岡部が乗って2回も骨折したテイオー可哀想
秋天は無謀だった テイオー復活の有馬記念
当時まだ競馬はやっていなかったが、翌日のスポーツ新聞の一面が悉く「テイオー奇跡のV」だったのはよく覚えてます。 >>477
有馬記念勝った後に月刊優駿だったと思うが松元調教師のインタビューが載っていて
「海外遠征は考えていない」「安田記念も視野に入れている」と語っていた。
Wikiとかでは6歳時は春の天皇賞を目指していた云々書いているようだけど
当時春天行くような話なんて聞いたことないんだけどなあ。4歳時で懲りてるから陣営は使う気なかったはず。 ほんとテイオー基地はタラレバばっか
テイオー基地とローレル基地は同じ匂い漂わせてるよなw 94なんてビワも成長するし距離も長いしとか言って早いうちから安田目標で春天なんか否定だよ
妄想捏造基地が居座ってるけど >>469
スぺが上位互換ww
今じゃ誰も語ってないでしょスぺなんて。
下位互換だろよどう考えても >>490
93年1月7日 92有馬記念で痛めた中臀筋治療のため鹿児島県 山下牧場へ
93年4月11日 疝痛でおくて前哨戦を使えていない天皇賞に8分の出来上がり登録せず
目標は宝塚記念だが、きちっと年あがれば安田記念も考えられる
93年5月2日 安田記念最終登録せず宝塚一本へ
93年6月3日左トウ骨剥離骨折 6月4日新聞発表
宝塚記念G1(13日阪神競馬場)に復活をかけ栗東トレセン坂路追い切りで故障
岡部騎手追い切り後、松元調教師は予定通りWコース入りを指示したが
岡部は馬上から「ダメ ダメ」異常を知らせる合図で下馬。
左前脚に見た目で分かるぐらいのハ行が認められ、レントゲンの検査を受けた結果骨折が判明したもの
岡部「左前脚に全然力が入らない
「先週の調教は何か滑るような感じでぎこちない止まり方をしていた。今日は完全にハ行していた
左脚を引きずる素振りを見せ9時にレントゲン左トウ骨粗面剝離骨折(長さ2センチ幅5ミリ)
全治3か月 三度目の骨折。 >>495-496
長文スマソだが俺が言っているのは結局走ることなく引退した94年なんだ・・・。 >>493
安田使うかもってのはあったけど、春天使わないなんてのもなかったから
順調なら、普通に大阪杯とかから、春天、宝塚が予定だったんでしょ
あと、春天マックに負けたあと
距離が合わなかった、長かったなんて陣営が言ったの?
記憶にないが >>491
秋天がヤマニンゼファーの2着で良かったからね。 >>498
テイオー陣営が獲りたかったのはルドルフが獲っていない宝塚記念と秋の天皇賞。
春は大阪杯と宝塚記念、そして秋は秋の天皇賞に絞られていた。
しかし今度は大阪杯の追い切り後右トモに筋肉痛発症してしまい4月14日4度目の骨折。 >>501
とはいってもあの時代に大阪杯と宝塚だけなんてローテーション組まないからね
順調なら普通に大阪杯→春天→宝塚だったよ >>492
それなら、わざわざ来なくていいよ
バカには住み分けなんてわからないんだろうけど ダービー、ジャパンカップ、有馬
全て内容が超優秀だからね
内容重視すれば日本歴代No.1ホースと言っても問題ない馬 ダービー、ジャパンカップ、有馬の3つとも勝った馬は過去3頭しかいない
ルドルフはダービーがイマイチ
ディープはジャパンカップがイマイチ
3レースともにテイオーのレースが一番レベル高いからね 凱旋門賞は頭にない時代だね。
テイエムオペラオーの頃に聞かれ始めたので。 >>506
凱旋門なんて賞金安すぎるレースは眼中ない時代でしょ >>505
ダービーは不利要素しか無かったし
ジャパンカップは史上最強レベル
有馬は稀に見るほどの強豪揃い
これを制したのは大きい >>506
ナリタブライアンの時に凱旋門の話がチラチラ出たような
テイオーのダービー歴代NO.1に格好良かった
格好良すぎたと言ってもいいくらい
大外枠20番w
他馬が勢いなくす府中の坂をモノともしない、いや寧ろ楽しんでいるかのような鬼脚!グングン進む勇姿に鳥肌が立った
良いもの見せてもらったなあ・・・ もはやこの先の人生に
なんの希望もないジジイは
ひたすら思い出話で
ノスタルジーに浸るだけか
みじめだな… いつまでも語られるドラマティックなレースがこの馬にはある
アーモンドアイみたいなクラブ馬じゃツマンネー ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています