>>681
岡部幸雄は、先祖が競馬の始祖的な血脈の武邦彦とも違い、福永洋一みたいに武邦彦に可愛がられて、武平三とのパイプを持った福永洋一とも違い、雑草出身のなんのコネもないジョッキーだった

同期対談の中で、岡部幸雄は自分が一番下手くそだから俺が真っ先に騎手辞める事になるって話していた程
岡部幸雄は同期の中でも一番下手くそだった
コミュニティ力も洋一ら同期と比べるとマイナスで、
常に劣等感を持っていたと岡部幸雄本人が話していたのだ

そして洋一が栗東のヤクザと言われるほどの当時1位だった実力厩舎武田文吾の弟子になってから、更に岡部幸雄との格差はできてしまった
これには先輩の良血であった武邦彦さえ身長がデカいから非力で信用ならんと蔑ろにされたほど、
当時の厩舎と馬主というのは、調教師が王様主体で旦那馬主が従う構図だったわけ
武田文吾は栗田らを輩出して三冠馬も輩出していた栗東一番の厩舎であった

洋一が成功して当たり前だろ、あんな壊す乗り方しても武田文吾は怒らないという声は洋一があの事故になってから、統制されたように誰もが洋一を褒めなくてはいけない村社会の構図が必然的につくられてしまった

洋一があんな事になってGIで活躍したのが武邦彦で、
岡部幸雄も自分より先に洋一があんな事になったので努力を貫いた
そして西高東低自体に移り変わり、二世騎手ら世襲らによって美浦は打撃を受けると早くから考えていた岡部幸雄は、
ノーコネジョッキーでも、世襲ジョッキーと近いスタートラインに立てるように、エージェント制度推進に励んだ
番記者がちょっと協力するとかではなく、正式にエージェント制度を導入することによって、村以外の人間が利益目的で入らないように徹底したかったのだ