元はツーカーが日産系、デジタルがJR系(日本テレコム)。
日本テレコムは1991年(平成3年)に携帯電話(移動体通信)事業に参入するため、関東甲信地方・東海地方・近畿地方地域においてデジタルホングループを設立。
1992年、日産自動車を母体に、第二電電(以下DDI、現・KDDI)および京セラらの共同出資により
「株式会社ツーカーセルラー東京」と「株式会社ツーカーセルラー東海」が設立された。
関東・甲信、東海、関西以外の地区に関しては郵政省(現・総務省)の指導により日産と日本テレコムとの合弁出資でデジタルツーカーを設立し、全国展開を行った。
1996年前後の携帯電話の移動体通信事業者(通信キャリア)は東名阪エリアにおいて四社、東名阪以外は三社となった。
1998年後半、設立母体であり大株主であった日産自動車は経営危機状態となり、日産リバイバルプランに基づき非中核事業のリストラを行った。
ツーカーセルラーグループ各社はDDIに、合弁企業であったデジタルツーカーはデジタルホンの母体である日本テレコムにそれぞれ株式譲渡した。