藤原頼長『台記』
悪左府の愛した男性たちは、「台記」に記されているだけでも何人いるのかナッ?
名前を列挙してくれないか?
ヰキで記されている
随身の秦公春、秦兼任のほか、
公卿藤原忠雅、藤原為通、藤原隆季、藤原公能、藤原家明、藤原成親、源成雅
以外にもまだいるのか?
秦公春が死去した時、三ヶ月にわたって公事を休み評判を落としたらしいが
正妻が没したなみの籠りかただな 笠間書院あたりから、註釈+現代語訳付きかで出版してくれないかなぁ。 ナッちゃんってトテモ素晴らしい筋肉美の超美青年ですね。 なぜ「台記」は現代語訳されていないのだ?
小学館あたりで講釈付きで出してくれないかなー >>7
台記によると両方のプレイを楽しんでたみたいだね。
神田龍身氏によれば、悪左府頼長公は、タチぶって兄貴風を吹かしている隠れネコだったらしい(笑)
細面の美少年よりも男らしく凛々しい青年貴族を掘ったり、屈強な体格で荒々しい武士に押し倒されるのが好きだったらしいよ。
今の時代のゲイにも、素直に自分がネコだと認めたくなくて一応タチぶってる奴って少なくないよねww
出会い系とかのプロフでは「タチ寄りのリバ」とか書いておきながら、実際会うとバリバリのメスネコだったりwwww
何も院政期は頼長公だけが男色に精を出していたわけじゃない。
上皇と摂関家との男色関係は最早当たり前のように営まれていたし。
鳥羽院と信西(藤原通憲)、崇徳院と藤原為通、
後白河院とその「男ノオボエ」と言われた藤原成親、近衛基通など。
保元・平治の乱は男色関係が背後に蠢いて引き起こされたと言われているしな。 最晩年の折口信夫が構想を練っていた『死者の書』の続篇の主人公が藤原頼長だったね。
折口も実生活では相当男色にのめり込んでいたからなあ…
そういや『台記』の猟奇的ハードホモな記述が注目され出したのはいつ頃からなんだろう??